766:融解せし愛の檻 その27
「――《化身展開》」
そう告げたアルファヴェルムの背後。そこに、実態のない半透明の物体が出現した。
それはひどく前傾姿勢になった人型。顔は無貌の仮面で隠れ、その背中からはまるで千手観音の様に無数の手が生えている。
だがその質感は生物的ではなく、腕も球体関節のようになっているようだ。
アレがアルファヴェルムの正体なのだろうか。だが、その姿は半透明のままで、しかも人の姿のアルファヴェルムも残ったままである。
果たして、あれは一体何なのか。その答えが出る前に、アルファヴェルムの本体らしき半透明の怪物は、無数にあるその腕を大きく広げた。
瞬間――アルファヴェルムを中心として、アルフィニールの展開した領域が半透明に揺らぐ。
「っ……この範囲だけでも、中々きついですね。閣下、長くは持ちませんよ」
「構わぬ。大儀である、アルファヴェルム」
苦しげに顔をゆがめるアルファヴェルムをねぎらいながら、ドラグハルトが前に出る。
その表情の中には苦痛も不快感の色もない。
何となくではあるが、察しは付いた。アルファヴェルムが行った何らかの方法により、ドラグハルト達はアルフィニールの攻撃の影響を受けないようにしたのだろう。
その具体的な論理は分からないが、ドラグハルト達はそれだけの準備を行ってきたということか。
「さて――ようやくここまで辿り着いたな、揺籃の女よ」
『ふふふ。まさか、その程度のリソースで私たちの真似をしてみせるなんて、本当に驚いたわぁ。お母様が喜びそうな光景ねぇ』
「残念だが、かの魔女にこれを見せる機会は無いだろう。これは、貴公らを殺すためだけに作り上げた術式である故」
そう告げて、ドラグハルトはその魔力を解き放った。
息が詰まるほどの、濃密な魔力の渦。指向性も破壊力も持たない筈の魔力の発露は、ただそれだけで彼の周囲にあった床や柱を塵へと変えてしまった。
そのあまりにも破壊的な力の奔流に、思わず後退してしまいそうになる衝動を堪える。
こちらに向けられていない筈の力。だというのに、ドラグハルトの力は圧倒的だった。
「大公、アルフィニール。ここに、貴公の全てを簒奪せん」
『おいでなさい、勇敢な子。成長する悪魔なんて……本当に、楽しみだわぁ』
その言葉を引き金とするかのように、ドラグハルトの体が黄金の魔力に包まれる。
眩い光の中で大柄な男の影は解け、膨れ上がるように巨大化していく。
その大きさはアルフィニールやアルファヴェルムの姿すらも超え、この場にいる全ての存在を見下ろすほどに。
こちらに殺気を向けられているわけではない。だが、ただその存在感だけで、アルフィニール以外の全ての存在を圧倒してしまっていた。
彼が示した、その真の姿は――
「ドラゴン……!」
巨大な、黄金のドラゴン。
その姿は、以前に金龍王の浮遊島を訪れた時に見た、金龍王の配下たちの威容に酷似していた。
だが、ドラグハルトのその姿は、紛れもなく龍王の体躯と同等のもの。
最高クラスにまで成長したシリウスを、二回り以上上回る圧倒的な体躯で、ドラグハルトは力強く告げる。
『我は竜心公ドラグハルト! 世界よ、ひれ伏すがいい――我が《龍神気》の前に!』
大きく翼を広げたドラグハルトは、それと共に周囲へと向けて膨大な魔力を解き放つ。
黄金に輝く魔力の発露。それは空間を伝播し、果てしなく遠くにまで届き、満たしていく。
――そのドラグハルトの魔力を受け、アルフィニールがついにその表情を変化させた。
『……驚いた、強引な方法ねぇ。それを成し遂げられるほどの力があるだなんて……あちらの子の力添えかしらぁ?』
『アルファヴェルムの力を借りたことは是と答えよう。しかし、それだけではない――余がここまで辿り着いたのは我が総軍、そして勇者たちの軍があってこそだ』
驚くべきことに、ドラグハルトは真正面から俺たちのことを称賛した。
その言葉の中には、一切の偽りの色は無い。限りない本心で、ドラグハルトはアルトリウスの戦いを評価していたのだ。
『故に、勇者たちを讃え、我が《龍神気》は彼らを拒まぬ。対立はすれど、轡を並べた勇士。その歩みを余が否定することはない……共に、世界を砕く戦いへと参ろうではないか!』
ドラグハルトの堂々たる宣言に、思わず苦笑を零す。
全くもって気に入らないが、この場で対立している状況ではないことは紛れもない事実。
この場は、奴に協力する他に道は無いだろう。
それに――今のは、十分なヒントになったはずだ。
「アルトリウス、何か分かったか?」
『情報を整理中ですが……ある程度確信は持てました。かなり荒唐無稽な話ではありますが、アルフィニールが――大公の正体が初期AIだとするならば、辻褄は合います』
どうやら、アルトリウスも同じ結論に達していたようだ。
だが、大公の正体がマレウスの初期AIだとして、それがどのように攻略に繋がるというのか。
『いいですか、マレウスの初期AIは一つの箱庭のリソース、その大部分を分割して保有しています。ただ一体で何ペタバイトものデータ量を持つ、小規模な仮想サーバだと言ってもいいでしょう』
「……よく分からん、結論を言ってくれ」
『つまり、アルフィニールの本体はあの体ではありません。この領域全てが、アルフィニールの体なんです』
結論は分かりやすい話ではあったが、同時に頭を抱えざるを得ないような内容だった。
あそこの肉塊だけではなく、この床も柱も天井も、全てがアルフィニールの一部だということか。
つまり、俺たちは文字通り、アルフィニールの腹の中にいるということなのだろう。
ドラグハルトが《龍神気》――恐らくは《龍王気》の上位と思われるスキルを使ったのは、その全域に効果を発揮できるスキルだからだろう。
とにかく、ただあそこにいるアルフィニールを倒すのでは解決せず、このエリア全体を破壊しなければならないということか。
「……どうしろと?」
『完全な回答を出すには、まだ情報が足りません。ただ、やることはある程度見えました。幸い、スリップダメージはドラグハルトのスキルで押さえ込まれているようなので……部隊をより広く展開します』
目標があるなら攻撃しやすいが、この空間そのものが敵と言われても困る。
しかし、どれだけの人数がいても標的を定める必要が無く、とにかく攻撃を重ねれば良いというのは分かりやすい。
とにかく、目につくものを全て破壊していけばいいということだろう。
『恐らく、広範囲に影響を及ぼすスキルが有効です。可能であれば、空間そのものに影響を与えるスキルが』
「そんなとんでもない物があるか?」
『ええ、ありますよ。ちょうど、今発動するところです』
――アルトリウスが告げたのと、ほぼ同時であった。
黄金に輝く巨大な火球が、アルフィニールの頭上、この領域を覆う天蓋へと向けて放たれたのだ。
立ち並ぶ柱を焼き斬り、膨大な熱量を以てその天蓋を包み込んだその炎。
その中に、あり得るはずのない青い空と、中天に輝く太陽が顔を覗かせたのだった。
「あれは、ディーンの強制解放か!」
『ここまで強力なものは滅多にありませんが、これは紛れもなく空間そのものに効果を発揮するタイプのスキルです。僕のもその類ではありますが、こちらは単発ですので……』
「そうだな、まだ使い所じゃないだろう。色々と、試してみることとするか」
丸っきりの手探りよりは、大きく前進したと言えるだろう。
ドラグハルトのお陰であることが業腹だが、ただ闇雲に戦うよりは遥かにマシだ。
使えるものをあれこれ確認することとして――俺が狙う先は先ほどと同じでいいだろう。
正体がどうあれ、意志を持っているのは目の前にいる肉塊だ。こいつの様子を見ている方が、効果の有無を確認しやすいのである。
『ふふ……素晴らしいわぁ。それじゃあ、今度はちゃんと遊んであげないとねぇ』
だが、ドラグハルトのスキルに晒され、その正体を露呈したことで、アルフィニールもまた行動を再開した。
淡く笑みを浮かべたアルフィニールは、己の身を抱きしめるように腕を組み――それと同時に、体が生えている肉塊が、そしてそれに繋がるエリア全体が胎動する。
『第二層――免疫』
刹那、ボコボコと周囲の床や柱が変化し始める。
それらを割って現れるのは、数えきれないほどの怪物の群れであった。
顔を出そうとするその顔面へと刃を叩き込みながら、俺は笑みと共に告げる。
「的が分かりやすくなるのはいいことだ。とりあえず、削り取れるだけ削ってやるとしようか」
その言葉と共に、俺は地を蹴って化け物の群れの中へと飛び込んだのだった。