765:融解せし愛の檻 その26
世界ごと塗り替えたアルフィニールの力。
その正体は不明だが、このエリアにいること自体が俺たちにとっては不利だと言えるだろう。
尤も、ここから抜け出す方法があるのかどうかも不明ではあったが。
「攻撃を再開してください!」
まずは小手調べということだろう、アルトリウスの号令の下、多数の遠距離攻撃がアルフィニールへと向かう。
巨大な肉塊と化したアルフィニールだ。その的を外すような心配はなく、その攻撃は次々と奴の体に着弾する。
ここまでやってきたプレイヤーたちだけあり、それぞれの攻撃の威力は非常に高い。
着弾と共にアルフィニールの体が爆ぜて削れ、血が飛び散る――しかし、その上に生えている奴の本体は、まるで余裕の表情を崩していなかった。
『うふふ、元気がいいわぁ』
頬に手を当てながら上機嫌にのたまうその姿は、まるで俺たちを脅威として見ていないようであった。
足元に群がるアリでも見ている気分なのか、これだけの攻撃の数々をまるで意に介していない。
油断をしているのは結構だが、ロクな対抗手段が無いことは悩ましい事実であった。
(本体と思わしき部位にも攻撃は届いている。ダメージが通っているようにも見える。が……瞬時に回復してやがるのか?)
それは最早復元と言ってもいい速度で、アルフィニールの傷は即座に消えてしまう。
攻撃を受けても一秒の後には元通りになってしまうのだ。HPバーが見えないという点も相まって、まるで攻撃が効いている気がしない。
果たして、これはどのような仕組みなのか。
(たとえ大公級であろうとも、絶対に倒せない敵を用意するはずがない。マレウスとて、その前提を崩すことはあり得ない筈だ)
必ず、何かしらの攻略の糸口はある筈だ。
そのためにも、まずは情報を集める必要があるだろう。
そう考えて、俺と緋真は一瞬だけ目配せをし、共に地を蹴って走り出した。
目指すはアルフィニールの側面、味方の遠距離攻撃の射線に入らない位置だ。
「単純に火で炙ったからって、どうにかなるようには見えませんね」
「《奪命剣》が効くかどうか、まずはそこからだな……」
アルフィニールは今のところ動きを見せていない。
どこまでも舐め腐ってくれるものだが、積極的に動かれるよりはマシであることも事実。
こいつが油断している内に、弱点の一つでも見つけておかなければ。
「《奪命剣》、【冥哮閃】!」
餓狼丸の刀身を黒い渦が包み、その一閃と共に巨大な刃を形成する。
俺の放った一閃は確かにアルフィニールの肉体へと食い込み、その生命力を奪い取った。
だが、血が溢れ出すその深い傷も、あっという間に復元されて元通りになってしまう。
他の攻撃よりは幾分か復元が遅かった気もするが、やはり効果があるようには見えなかった。
「生命力を奪えるってことは、効いていないわけではなさそうだが……」
「単純にHPと回復力が高すぎるってことですか? それこそ勘弁してほしいところですけど?」
「そうだな、そうなると流石に厳しい」
攻撃を防がれているならば、その防御を貫くなりすり抜けるなりすればいい。
攻撃を避けられているならば、回避できない方法で攻撃すればいいだろう。
しかし、単純なタフネスと回復力だけで防がれているとなると厄介だ。
その回復力を上回るダメージを与え続けなければならないが、この化け物を相手には現実的ではないだろう。
「どうしたものかね……!」
先に突き刺した【命喰牙】は既に効果を失ってしまっている。
新たなものを突き刺しつつ、俺は改めてアルフィニール本体の姿を確認した。
巨大な肉塊、それに生える人間の体。正真正銘の異形であるのだが、今のところこちらに攻撃してくる様子はない。
俺たちの攻撃を無駄な足搔きだとでも言わんばかりの様子で大層気に入らないが、今はそちらは無視しておく。
重要なのは、攻撃が通じていない理由を探ることだ。
(アルフィニールには効果的な筈の《奪命剣》すらそれほど意味をなさない。そもそもどういう理屈で回復していやがるんだ、コイツは)
大公級悪魔がマレウスの生み出したAIであるということは理解した。
奴は、一つの箱庭を蟲毒の壺に仕立て上げることで、最終的に四つのAIを見出したという。
これらすべてが事実であるとするならば、アルフィニールは一つの箱庭を構成するリソース、その四分の一を保有している可能性がある。
つまり、純粋な力の総量が桁違いだということだ。
「そんな理由で、耐えられてたまるかよ」
それほどの巨大なリソースを有しているなら、それは最早覆しようのない差となってしまう。
そこで思考停止をするわけにはいかない。必ず、どこかに攻略の糸口がある筈だ。
アルフィニールの背後側に回るように移動するが、変わったものは特には見当たらない。
ただ、攻撃があまり命中していないため、この化け物の巨体の全景が見えやすい程度だ。
巨大な肉塊と化したアルフィニールは、ただこの領域に横たわり、俺たちの抵抗を眺めているだけ。
移動しようという様子は、まるで見受けられなかった。
(……いや、これは)
そもそも、この体と思わしきこの肉塊は、どうやら床から分離してはいないようだ。
体の下の部分は床と融合しており、この肉体はその場から移動できないらしい。
と言うより、そもそもこの肉塊は本当にアルフィニールの体なのか。
――少しだけ、嫌な予感が頭をよぎる。もし、前提が異なっているのだとしたら。
『うふふふ……さあ、そろそろ遊びましょうか』
「……!」
耳に届いたアルフィニールの声に、思考を切り替える。
アルフィニールが攻撃を開始するなら、悠長に考えている暇はない。
考察は後ろの連中に任せ、俺はアルフィニールの動向を警戒しつつ距離を取った。
腕を広げたアルフィニールは――まるで囁くように、けれど不思議と響き渡る声で告げる。
『第一層――剥離』
刹那、世界が胎動した。
元より肉感のある、生物じみた見た目の空間ではあったが、それがほのかに燐光を放ちつつ脈動し始めたのだ。
無論、始まったのは外観の変化だけではない。
この場に立つ俺たちの全身に、びりびりと肌を刺すような刺激が加わり始めたのだ。
「これは……ッ、スリップダメージか!」
「うぇ、結構きついですね……!」
強力過ぎる日光に肌を晒している時の感覚を増幅したかのような、不快感のある刺激。
それが全身に浴びせられているのだから、堪ったものではない。
確認すれば、俺たちのHPが徐々に削られていることが分かった。
俺の場合は自動回復で賄えているため、HPそのものの影響は殆ど無いのだが、この刺激のある不快感は厄介だった。集中を乱され、動きが鈍りかねない。
打開策が見えていないというのに、全体に効果があるような能力を発動してくるとは。
「――さて、こうなると僕の出番ですか」
手をこまねいているしかなかった、ちょうどその時。
離れた位置であるにもかかわらず、不思議とその声は明瞭に響いた。
燕尾服の上に、前開きのローブを纏った奇妙な出で立ちの、黒髪の悪魔。
メガネの位置を直しながら、その悪魔――アルファヴェルムは溜め息を吐きながら告げる。
「では閣下、僕は維持に努めますので――後のことはお願いします」
「よい。励むことだ、アルファヴェルム」
ドラグハルトの端的な激励を受け、アルファヴェルムは恭しく礼をする。
そして――アルファヴェルムは、静かに告げた。
「――《化身展開》」