754:融解せし愛の檻 その15
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恐らくはシリウスが立ち上がった時よりも巨大であろう、白銀の大甲冑。
僅かに見える隙間の内部は伽藍洞であり、その内側にあるべき肉体が無いことを示していた。
これまでもそのような姿の悪魔は存在していたが、あそこまで行くと巨大なロボットのようですらある。
その虚ろな体の内部より響き渡るのは、怜悧な女の声であった。
『嘆かわしい……見るに堪えん醜態だ、ユグレヴィーナ。公爵級、その第三位ともあろう貴様が、何故そのような醜い姿を晒している』
公爵級第二位――つまりはドラグハルトに次ぐ実力を持つとされる大悪魔、レヴィスレイト。
予想だにしない形でその真の姿を目撃することになったが、その当人は到底聞き流せない言葉を垂れ流していた。
大地を震わせるほどの殺気が向けられているのは、アルフィニールが存在すると思われていた塔。
その巨大な肉の柱へと、レヴィスレイトはビルすら両断できそうな長大な刃を向ける。
『我らに反目することは、閣下も認められたことだ。だが――そんな有様で我らに背を向けたというのか、ユグレヴィーナ! 答えよ!』
言葉は無く。それに対する返答は、おしべの砲口から放たれる巨大な砲弾であった。
凄まじい速さで飛翔した砲弾は、しかし瞬時に反応したレヴィスレイトの刃によって粉砕される。
かなり距離があるというのに、その衝撃は俺たちの元にまで届くほどであった。
突如として起こったこの事態に、周囲には混乱の気配が広まってきている。
が――生憎と敵は止まっていない。思わず舌打ちしつつ、俺は即座に声を張り上げた。
「事情だのなんだのは後ろの連中が何とかする! 俺たちは俺たちの仕事を果たすぞ!」
動きが鈍っていなかったのは師範代たち程度のもので、流石に門下生たちも動揺を隠しきれなかったようだ。
しかし、俺の号令には即座に反応し、近寄ってきた化け物へと即座に斬りかかっている。
それでいい。今俺たちがすべきことは、動揺して足を止めることでも、あの悪魔共の情報を整理することでもないのだから。
斬法――剛の型、刹火。
こちらへと飛び込んできた小型の化け物の首へと刃を差し込んで、一息に両断する。
一撃で殺し切れる規模の敵であれば、【刻冥鎧】の力により、いちいち《奪命剣》を発動せずとも倒し切ることができる。
吸収を終え、攻撃力が上がり切った状態の餓狼丸であれば、それも可能なのだ。
(状況は分からんが……レヴィスレイトが出てきたおかげで、あのおしべだのは全てあちらに集中している。こちらへの圧が減っているなら、一気に距離を詰めておくべきだ!)
事情は分からないが、レヴィスレイトはあの柱に対して心当たりがあるらしい。
ユグレヴィーナ――レヴィスレイトの言葉が事実であるなら、公爵級第三位の悪魔。
ここに来て情報のない、しかも第三位の公爵級悪魔など考えたくもない。
だがあの様子では、レヴィスレイトは確信を得ているようだ。少なくとも、何の根拠もなく呼びかけているというわけではないのだろう。
舌打ちを零しつつ、俺はアルトリウスへと通話を繋いだ。
「アルトリウス、情報は何かあるか!」
『いえ、詳細不明です。後方で協議して貰っています。クオンさんは――』
「こちらへの圧が減っている状況だ。今のうちに距離を詰めるつもりだが、構わんな?」
『はい、お願いします!』
やはり、アルトリウスにも未確認の情報であったようだ。
何の情報もないという状況は好ましくないが、最早引き下がれない状況となってしまっている。
俺たちは前に進むしかないのだ。玉砕覚悟で、アルフィニールに挑む他に道は無いのである。
であれば、足踏みをしている暇はない。死地に飛び込み、道を切り拓かなければ。
「《オーバーレンジ》、《奪命剣》【咆風呪】!」
留め置くのではなく、吹き抜けるように黒い風を放つ。
攻撃力の上昇した餓狼丸の攻撃力であれば、ただそれだけで大きくHPを削り取ることが可能だ。
そうして体力の削り取られた化け物へ、俺は一気に肉薄して刃を振るう。
斬法――剛の型、輪旋。
鋭さを増した餓狼丸による一閃は、化け物の外皮を斬り裂いて切断する。
強靭な肉体ではあるが、今の攻撃力ならば容易に斬り裂くことが可能だ。
しかし、痛みを感じた様子もない化け物は、それでも気にした様子もなく反撃を繰り出してくる。
歩法――縮地。
しかし、来ると予測している攻撃など、回避することは容易だ。
俺の体を掠めるようにして地面に突き刺さった化け物の腕。それを足掛かりに跳躍し、俺は相手の頭上を取った。
「『生奪』」
斬法――柔の型、襲牙。
跳躍した俺を追うように、こちらへと向けられた単眼の眼球。
その中心へと、俺は餓狼丸の切っ先を振り下ろした。
黒い切っ先は敵の目を、そしてその奥を貫き、生命力を啜り上げて崩壊させる。
しかし、この化け物は何故か枯れ果てることなく溶けて消えた。否、一部は崩壊しているようだが、大部分は溶けてしまっている。
《練命剣》を組み合わせることがいけないのか、或いは《奪命剣》のテクニックが必要となるのか――
――そんな俺の考察を他所に、巨大な白銀の甲冑は独自の戦いを続けている。
『……これが貴様の返答か、ユグレヴィーナ』
レヴィスレイトに向けられているのは、強大な破壊力の砲撃ばかり。
しかしそれらを一蹴しながら、レヴィスレイトは低く怒りの篭った声を上げる。
『いいだろう、最早慈悲は不要。その醜態が貴様の見出した答えであるなら、その命を閣下へ捧げるとしよう』
『う、ふふ――相変わらず、頭が固いのですね……』
答える気配のなかったユグレヴィーナなる悪魔――だが、ついに呼びかけに対する答えが響いた。
声をかけてくるとは思っていなかったのか、振るわれようとしていたレヴィスレイトの刃が止まる。
ほんの僅かな逡巡。その隙に放たれた砲撃はレヴィスレイトに直撃し、奴の体を確かに揺らした。
『ッ……ユグレヴィーナ、貴様ッ!』
『ふふっ、ふふふ……!』
街の中央にそびえる、巨大な塔。
めしべをモチーフとしていると思われるそれに、変化が生じる。
単純に言えば、塔の上層部分が形を変え始めたのだ。
元より肉の塊であり、その質感が変化する様子はないため分かりづらいが、全体の形状で言えば間違いなく女の上半身。
輪郭だけが表現された、不出来な肉の人形――元は美しかったであろう女の顔で、異形の肉塊は笑みを浮かべる。
『ふふふふ……醜態なんて呼ばれても、わたくしには分からないわ。だって、こんなにも満たされているのですから』
『その醜い姿がか! そのような、肉の塊になることがか!』
自らを抱きしめるように腕を回すユグレヴィーナに対し、レヴィスレイトは切っ先を向けて怒号を上げる。
大地を揺らし、砕け散らせるほどの怒気を前にして、しかしユグレヴィーナは泰然とした態度であった。
その姿に、俺は違和感を覚える。あのユグレヴィーナなる悪魔は、受け答えをしているというのに、その意識の焦点がレヴィスレイトに合っていないように思えるのだ。
まるで夢うつつのような、陶然とした恍惚感のままに口を開いているように見える。
『これは愛よ、分かりませんか?』
『……何を、言っている』
視線を向けている余裕はあまりない上に、今のレヴィスレイトはそもそも鎧だけの姿。
だが、人の体をしている時のレヴィスレイトであれば、間違いなく呆然とした表情をしていたことだろう。
俺も内心では同じ思いだ。あの肉塊は、一体何を言い出しているのか。
『全てが溶けて混ざり、一つになる。あのお方の中で、溶け合うことができるのです』
『あの悍ましい、大公アルフィニールの権能! それを、貴様はッ!』
『あの方は、全てを愛して下さいます。揺り籠の中で、溶け合って――指で掬って、口づけを与えていただけた』
恍惚と、艶然と……ユグレヴィーナはそう告げる。
その言葉は俺たちだけではなく、レヴィスレイトにとっても理解できないものであったようだ。
だが、それでも。一つだけ確信できたことは――ユグレヴィーナは、今の在り方に確かな幸福を抱いていたのだ。
『わたくしたちはただ産まれ、己が存在意義に従った……だからこそ、知らなかったのです――愛を』
――故に、言葉は通じない。
決定的に噛み合わない、全ての価値観が掛け違ってしまった末路。
それが悪魔だから、MALICEだからという話ですらない。ユグレヴィーナは、あの女の一部になってしまっているのだ。
『ですから……貴方にも、教えて差し上げましょう。あの方が与えてくださる、母なる愛を』
殺意のない、慈愛のみの言葉。
あまりにも悍ましいその在り方に反吐が出る思いで――俺は、薄くなった敵陣を突破したのだった。