747:融解せし愛の檻 その8
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ただ、そこに立っているだけだというのに、押し潰されそうになるほどの圧迫感。
それに耐えながら、黄金の男の姿を正面から見据える。
公爵級第一位、竜心公ドラグハルト。その力がどれほどのものなのかは定かではないが、奴がこのエリアを狙うというのであれば全力で抵抗しなければならない。
――それこそ、持てる全てを用いてでも、だ。
「警戒しているようだな、英雄よ」
「警戒されない理由があるとでも思うのか?」
「いや、貴公はそうであるべきだ。貴公の牙であるならば、我が鱗も貫ける故に」
ドラグハルトは、その視線を餓狼丸へと向けてそう告げる。
どうやら、コイツを解放した能力についても把握しているらしい。
確かに、ドラグハルトがどれほど強力な悪魔であったとしても、完全解放に至った餓狼丸であれば届くだろう。無論、相応のコストを強いられることとなってしまうが。
しかし、必要とあらば切り札を切ることも辞さない覚悟だ。そうでなければ、この怪物を抑えることなどできないだろう。
「……それで、何の用だ?」
「案ずることはない、英雄よ。貴公とここで刃を交えるつもりは無いとも。余とて、大敵を前にして無駄な消耗をするわけにはいかん」
苦笑するドラグハルトは、その言葉通り戦意を見せる様子は無かった。
とはいえ、その気になれば一撃でこちらを殺せる怪物だ、油断をするべきではないだろう。
それに、その言葉が事実であるなら、確認しなければならないことがある。
「戦う気が無いなら、何故ここに来た?」
「何、頃合いだと思ったまでのこと――貴公らも、あの悍ましき肉塊の真実を知るべきだ」
言いつつ、ドラグハルトは視線を上へと上げる。
その向き先を追うまでもない。ドラグハルトが見ているのは、巨大な肉の塔だろう。
この都市を花に見立てるならば、恐らくはめしべに当たるであろうそれ。大公アルフィニールが存在するであろう、この都市の本丸だ。
もし、ドラグハルトがアルフィニールについて語ろうとしているならば、それは値千金の情報だ。
そして同時に、何故この男がそれをこちらに渡そうとしているのかも気にかかる。
本来、敵であり競争相手でしかない俺たちへ、何のために。
それを問おうと口を開こうとして――光が、閃いた。
「……っ!」
「良いタイミングだ。貴公も来たか、勇者よ」
横合いにあった建物が、光と共に焼き尽くされる。
白鳥のような白い翼を持つ巨大なドラゴンの一撃。
シリウスの巨体には及ばないが、それでも巨大な光のドラゴンによる魔法攻撃だ。
それによって道を塞いでいた建物を破壊したのは、他でもないそのドラゴンの主。
多くのプレイヤーを引き連れた、アルトリウスの姿がそこにあった。
「皆さんは、予定通りのルートで移動を。僕は、彼と話をします――大丈夫です。今は戦闘にはなりませんから」
どうやら、建物を破壊して移動しようとしたのはイレギュラーであったらしい。
ドラグハルトの気配を察知し、急いできたということか。
破壊した建物は、あまり時間を置かずに再生してしまう。後に続くプレイヤー全員が乗り超えるには、いささか時間が足りないだろう。
面倒ではあるが、普通に進める道から移動した方が逆に効率が良い。
だが、彼一人程度であれば、その移動も問題は無かった。
「さて……お久しぶりですね、竜心公」
「余にとっては、瞬きの間に過ぎた時間ではあった。果たしてどのような戦いになるのか、期待が止まなかったものでな」
既に安全圏――つまりは石碑の範囲内に入っているにもかかわらず、ドラグハルトは平然とした様子で答えている。
以前にも、ディーンクラッドが平気な顔で結界の中に足を踏み入れていたし、公爵級ともなれば普通に耐えられるのだろう。
多少は力を削られるのかもしれないが、この怪物からすれば微々たるものということか。
「二通り、考えてはいました。貴方が、こちらのことを気にせずにアルフィニールに挑むのか、それとも――」
「妨害工作程度はあれど、表立っての衝突を選ぶはずはない。故に、ここで余が出てきたのは想定外であったか」
「正直に言えば、その通りです。たとえ貴方であろうとも、全力を発揮したクオンさんを相手にすれば、相応に消耗することになる。大公との戦いを前に、そのような判断をされるとは思いませんでしたから」
「然り、今ここで英雄と戦うような真似はせぬよ。目先のみを見据えた判断で、大局を見失うようでは王とは言えぬ」
鷹揚に語り、ドラグハルトは微笑む。
その言葉の中には確かに敵意も殺気も存在しないのだが、コイツはただそこに立っているだけで周囲に威圧感を撒き散らしているのだ。
俺や緋真は耐えられているが、ルミナには中々辛そうな圧力である。
正直、あまりのんびりと話していたい相手でもないし、用件を聞いたらさっさとお帰り願いたいところなのだが――流石に、アルフィニールに関する話となれば聞き逃すわけにはいかないだろう。
「なら、とっとと用件を言ったらどうだ。のんびりと雑談しているような場合でもないだろうに」
「貴公は性急だな、英雄よ。しかし、その言葉もまた一理ある。無駄な時間の浪費は、余とて望むところではない。だが今ひと時は待つが良い。この場で、あれが沈黙を保つとは思えんからな」
「……何をするつもりだ」
眉根を寄せ、そう問いかける。
しかし、ドラグハルトは俺の問いには答えず、ただ街の中央を見上げるばかり。
一体何のつもりなのかと、もう一度声をかけようとして――
『――うふふ。そこまで期待されちゃったのなら、声をかけないわけにはいかないわぁ』
どろりと溶けるような、甘い声音。
その色は、聞き慣れたブロンディーの語り口調にも近い――相手の心を溶かすための発声。
深く耳を傾けそうになる己を律しながら、俺はその声が響いた方向へと視線を向けた。
そこにあったのは、地面から生えてくる肉の塊。それは赤黒くうねりながら人の形を形成し、やがてその頭頂部から変質を開始した。
ただの肉塊に過ぎなかったはずのそれは、シルクのように滑らかな薄紫色の髪へ。
肌は白く、そして瞳はパールのような独特の光沢を持ち――やがて現れたのは、地面を覆うような長いドレスを身に纏う、一人の女の姿であった。
「お久しぶり、竜心公。そして初めましてぇ、異邦人の英雄さん――私はアルフィニール、始まりの四つが一角。よろしくねぇ」
甘ったるいその声音に思わず顔を顰めながら重心の位置を変える。
今の出現からして、コイツがアルフィニール本体とはあまり考えづらい。
だが、いつでも戦闘に入れるようには準備しておかなくてはなるまい。
この女がブロンディーと同じタイプであるならば、その言葉そのものが毒であるとも考えられるのだから。
「予想通り姿を現したか、揺籃の女。であれば、我々の挑戦を受けるつもりであると?」
「勿論よぉ。可愛い子供たちが、私のために集まってくれたのだものねぇ。抱きしめてあげないわけにはいかないわぁ」
悍ましいことに――敵意を向けられているアルフィニールは、逆に俺たちへと一切の敵意を向けていなかった。
その声と、表情の中にあるのは、ただ親愛に満ちた感情だけだったのだ。
だからこそ、気味が悪い。俺たちを敵と認識して、戦いになると分かっていて、ただ愛情しか抱いていないこの女が。
「どうやって戦うかは、貴方たちの自由。競い合っても、奪い合っても――私が全て、抱きしめてあげるわぁ」
思わず、舌打ちを零す。
この女は異常だ。マレウスの在り方ともまた違う。敵という存在の認識が、根本的に異なっているのだ。
「私は、あの塔の中で待ってるから……早く会いに来てねぇ、可愛い可愛い、子供たち――」
そう、一方的に言葉を告げ、アルフィニールは再び溶けるように地面の下へと消えていく。
何か言葉をかける暇もない。ただ圧倒的で異常な気配を撒き散らし、アルフィニールは去って行ったのだ。
思わず舌打ちを零し、俺は改めてドラグハルトへと視線を向ける。
――黄金の男が言葉を発したのは、それとほぼ同時だった。
「理解できたか? 否、理解はできぬだろうが、体感することはできただろう。アレは、根本からして食い違っている存在だ」
「……そのようですね。駆け引きも何も、意味は無い。アルフィニールは、そういう存在ということですか」
硬い表情で、アルトリウスは呟く。
どうやら、アルトリウスもあの女の異常性は感じ取れたようだ。
まあ、戦闘的な能力についてはまるで分らなかったが、とりあえず床や壁を利用して出現できることだけは分かった。
アレが本体なのかどうかは分からないが、どちらにせよあの能力を利用して奇襲されたら面倒だ。
どのような手を打ってくるかは分からないが、警戒は怠らないようにしなくては。
「あの女についての認識を共有する。此度の我が目的はそれだけだ。次に会う時は、あの女の眼前か――撤退するのであれば、歓迎するのだがな?」
「それはそれで期待外れなのでしょう、貴方は?」
「クハハ、相違ない。では、期待通りになることを待つとしよう」
そう告げて、ドラグハルトは踵を返す。
あちらはあちらで、独自のルートから中央に到達するつもりなのだろう。
その背中を見送り、俺は改めて中央の塔へと視線を向けた。
(普段であれば、宣戦布告と取るところなんだが――)
アルフィニールに、その気はないのだろう。
ただ親愛の情を示してくる慮外の怪物に、俺は再び舌打ちを零していた。