744:融解せし愛の檻 その5
これまでも何度か、異形の化け物とは相対してきた。
真の姿を現した爵位悪魔、それの生み出した怪物――言ってしまえば、これもそのうちの一部なのだろう。
だが、姿を現したこの化け物は、これまで戦ってきた敵とは一線を画するほどの異形であった。
生き物というより、不出来な肉の塊と呼んだ方がまだ自然な、異形の中の異形。
統一性の見られない粘土細工のような姿に、嫌悪感以外の感情を抱く余地は無かった。
『シギギギィ……ッ!』
こちらの姿を認めた化け物は、不揃いな関節の足を蠢かせながらこちらへと走ってくる。
これまで姿を見せることはなかった、この領域内における敵。
いかなる理由で姿を現したのかは知らないが、正直マトモに相手をしたいような敵ではなかった。
「シリウス、叩き潰せ!」
「グルルッ!」
俺の言葉に呼応し、シリウスがその剛腕を振り上げる。
不気味な唸り声を上げながら走ってくるナナフシのような化け物は、それに怯むことなく鋭い前足を振り上げ――それが届くよりも早く、鋭いシリウスの爪によって薙ぎ払われた。
足の部分はかなり頑丈なようで、金属のような硬さであったようだが、シリウスにはさほど関係は無い。
その鋭い爪による一撃は、頑丈な足による防御をものともせずに化け物の体を引き裂いた。
胴体ごと断たれた化け物は、緑の血を撒き散らしながら吹き飛び、そのまま地面に溶けるように消滅する。
復活する様子が無いことを確認して安堵の吐息を零しつつ、俺は緋真の方へと視線を向けた。
「……一応は悪魔のようだったが、今の情報はあるか?」
「え、えっと……はい、報告例が上がってますね。先ほどから出現し始めたみたいです」
正体はともかく、アルフィニールが新たに繰り出してきた手札であることは事実のようだ。
出現し始めた条件は何なのかは分からない。一定数の安全圏を確保したからか、或いは内部に侵入したプレイヤーの数が一定数を超えたからか、またはドラグハルトが侵入してきたからか。
何にせよ、ここからは周囲の地形だけではなく、徘徊する化け物からも襲撃を受けることになるのだろう。
そうなるとますます進みづらくなるだろうし、しかもアルフィニールに搾取されるリソースの量も増えてしまう。
(それに、さっきの死に方は……)
緑色の血を噴き出していたことから、一応は悪魔であると思われるあの化け物。
しかし、奴の死に様は黒い塵と化しての消滅ではなく、地面に溶けるような形式だったのだ。
もしやとは思うが、あの悪魔はプレイヤーのデスペナルティと同様に、アルフィニールにリソースを回収されているだけなのではないだろうか。
「緋真、アリス。倒した悪魔がああやって消滅しないパターンはあったか?」
「え、それは……」
「分身とか、そういうものならともかく、本体なら無かったかと思います」
俺の質問の意図を察し、二人は顔を顰めながら先ほど化け物が消えた場所を見つめる。
もしも俺の考えが正しいのであれば、あの化け物は何度倒してもアルフィニールの力を削ぐことには繋がらない。
この考えが正しいのであれば、あの化け物とは戦うだけ損ということだ。
ここはアルフィニールの檻の中、奴にとって一方的に有利なフィールドということだろう。
「あまり時間もない、交戦はなるべく避けて進むぞ。単に時間がかかるだけだ」
「一体だけなら別に大したことはなさそうですけど、複数出現の報告もありますしね。それに……」
「周りの環境からも出現する可能性がある、か」
近くにあった壁が蠢く様子を見て、思わず舌打ちを零す。
これまでにもあった攻撃の予兆となる変色だが、その大きさが異なる。
様子見をすれば案の定というべきか、そこから現れたのは新たな化け物であった。
尤も、形状は先ほどとは異なり、足が十一本ほどあるサンショウウオのような姿をしていたが。
壁の中から這い出してきた化け物は、全身に口と目を生やしながらこちらへと向けて飛び掛かってくる。
「『生奪』」
斬法――剛の型、刹火。
とはいえ、戦略性は何も感じない単なる体当たり。
そのようなものに当たる筈もなく、振るった餓狼丸の一閃が化け物の体を真っ二つに斬り裂いた。
見た目通りに防御力は高くなかったらしく、あっさりと両断された化け物は、またも塵と化すことなく溶けるように消える。
「やはり、塵にはならんか」
予想通りであるとはいえ、都合が良いとは言えない。
だが、これについては打てる手などないだろう。今は無視して、先に進む他に道は無い。
「これからはこいつらの出現にも警戒しろ。変色が大規模になる場合はこいつらの可能性が高い」
「壁からも生えてくるのは面倒というか、これもう街自体が一つの魔物みたいですよね」
「ここは敵の腹の中ってか。間違ってもいないが冗談じゃないな」
問題は、その腹の中に自ら飛び込まなければアルフィニールに刃が届かないことだろう。
ここは奴が一方的に有利なフィールドだ。未だ、その攻略の糸口は見えていない。
だが、それでも前に進まなければ。
「行くぞ。時間を無駄にはしてられん」
シリウスの体を軽く叩き、先へと進む。
周囲からの攻撃は今でも続いているのだが、化け物の出現以外は今まで通りのパターンだ。
厄介なものだけ対処しつつ、急いで足を進めるとしよう。
* * * * *
断続的に飛んでくる攻撃と、時折出現する謎の化け物。
幸いなことに、化け物が徒党を組んでやって来ることはなく、多くても三体程度だったため、苦戦するというほどの状況ではなかった。
動きが強化されなかったのは、中央に近付こうとする動きをしなかったためだろうか。
何にせよ、俺たちはそれほど大きな妨害を受けることなく、石碑の広場にまで到達することに成功した。
「やっぱり、この辺りは安全圏になってるみたいですね」
「予想が当たって良かったわね」
「そうだな。とりあえず、ここを確保しないことには先に進めんだろう」
予想通り、このエリアの安全圏はかなり広い。
元々石碑が置いてあった場所であるためか、その破片も大きく残っているということだろう。
確認してみれば、広場の中心地にはクレーター状の破壊痕が残っており、その中に黒い石の存在を確認することができる。
恐らく、探せば周囲にも破片が残っていることだろう。
「広さはそこそこ……全軍が休めるほどじゃないが、準備を整える程度なら何とかなるだろ」
「ホントに、ただ休憩する程度のスペースにしかならないと思うけど」
「どのみち、そんなに長々と休んでいる時間は無いだろうからな」
ワールドクエストの開催時間にはまだ余裕があるとはいえ、悠長にしていられるほどの時間があるわけではない。
ここに戦力を結集したら、なるべく早く本丸を攻める必要があるだろう。
まあ、その本丸の様子をまだ確認できていないので、断言できるわけではないのだが。
「まあ何にせよ、しばらくは休憩だな。ここを確保し続けておけば問題は無かろう」
「休めるのは助かりますけど、それだけでいいんですか?」
「ああ、ここをドラグハルト側に取られるわけにはいかんからな。プレイヤー連中は知らんが、ドラグハルトはここが重要地点であることは把握してるだろう」
尤も、その上で奴がどう動くかは分からないのだが。
俺たちという戦力を排除しようとするのか、或いは利用しようとするのか――それとも見逃した上で、アルフィニールに挑もうとするのか。
一度しか対話していない現状では、奴の出方はまだ分からない。
だが、奴がこの地点を確保しようと動いた場合、それを押し留められるのは俺たちだけだろう。
(奴にどれだけの実力があろうとも、俺たちが全力で戦えば消耗を強いることができる。アルフィニールの腹の中で、そんな愚行を冒す男ではない)
業腹ではあるが、奴は本物だ。
単純な力も、技量も、知識も、そして将としてすらも――あれは、ただ一人でプレイヤーの総力を凌駕する。
だがそれでも、ただで磨り潰されるほど、俺たちも弱いわけではない。
俺たちという存在を抑止力として、この地点を確保し続ける。場合によっては、成長武器を完全解放することも視野に入れて。
「――まあ、妥当なところか」
呟き、餓狼丸を抜き放つ。
小さく嘆息したアリスはスキルを発動して姿を消し、俺たちの様子に遅れて気付いた緋真も戦闘態勢を取る。
今のところ、姿は見えない。だが、何かがこちらの姿を捉えている気配は感じ取ることができた。
「結局、休んでる暇なんて無いじゃないですか」
「何、仕事の時間が早く来たってだけだ。いつかはやってた仕事だろうさ」
ぼやく緋真の言葉に苦笑して、視線を安全圏の外へと向ける。
そちらから向かってきていたのは、見覚えのあるプレイヤーの一団であった。