740:融解せし愛の檻 その1
「まさか、ここまで近づくまでに一切の妨害が無いとはな」
「近付くと余計に不気味ですね、これ……何かちょっと脈打ってますし」
「昔のゲームでこういう感じのダンジョンは割とありがちだったけど、リアルな見た目になると本当に気持ち悪いわね」
肉によって構成され、一部に元の石材が見えている巨大な壁。
正直、ここまで気色悪い悪趣味な造形は初めてだ。
普段であれば近付きたくもないような見た目だが、流石にそうも言っていられない。
「迎撃されなかったってことは、この内部で勝負するつもりってわけかね」
「まあ、先行してるプレイヤーも迎撃はされなかったみたいですし……結局、どういうことなのかは分かりませんけど」
「アルフィニールか……いい加減、そろそろツラを拝んでおきたいところだな」
どうせ悪魔なのだからいけ好かない性格をしているのだろうが、多少会話をするだけでもその性質はある程度見えてくる。
多少なりとも会話をして、その性質を把握しておきたいところだ。
未だ姿を見せない大公が、果たしてどのような性質なのか。戦う前に、それを知っておきたいところである。
「さてと……内部に入ったらパーティごとに散開して独自に前進、各自ルートを開拓しながら中央を目指す」
「そして、もし安全地帯を発見出来たら確保して報告、だったわね」
「この有様で、安全地帯なんてあるんですかね?」
「さて、実際に見てみないことには分からんな」
緋真の言葉に軽く肩を竦めて、そう返す。
肉に覆われた都市は、アルフィニールの腹の中にいるようなものだろう。
安全地帯がある、という考え自体が希望的観測としか言いようがない。
しかし、それでも中継地点を得ることは重要だ。後続のプレイヤーたちがアルフィニールの本丸に辿り着くためには、彼らが一息つける場所が必要となるだろう。
「――というわけだ。俺たちがまず突っ込むから、お前たちは様子を見ながらついてこい。少なくとも第一報までは待てよ?」
「分かっていますよ。我々も多少鍛えたとはいえ、師範ほど補給無しに戦えるわけではありませんから」
俺の忠告に、付いて来ていた水蓮は苦笑気味にそう答える。
うちの門下生たち、クラン『我剣神通』の面々は、最前線のメンバーからは一歩遅れて内部に侵入することとなる。
こいつらも最前線で戦えるだけの実力は備えてきているのだが、それでも補給無しで戦えるほどというわけではない。
故に今回は、後詰めで陣地を制圧して貰うこととしたのだ。
「なら、言うことは一つだけだ。早々に死地を定めるな。俺たちの狙いは、あくまでもアルフィニールの首だ。そこ以外に命を懸ける必要はない」
「けれど、実際にその首級を挙げられる状況にあるならば、黄泉路を走ってでも討ち取るべし、でしょう」
「分かってるならいい。必ず、この化け物の首を取るぞ」
告げて、水蓮たちに背を向ける。
悪魔の肉と同化した巨大な都市は、まるで口を開いて誘っているかのように開け放たれている。
果たして、どのような地獄が待ち受けているのか――覚悟を決めて、足を踏み入れるしかない。
「準備はいいな?」
「はい、行きましょう」
「正念場……にはまだ早いかしらね」
『キャメロット』の連中も、突入準備を完了させたようだ。
そんな彼らの様子を横目に、俺たちはゆっくりと街の内部へと向けて足を進めた。
肉で構成された巨大な花、その隙間から都市の内部へと足を踏み入れ――同時、目の前のウィンドウが表示される。
記載されていた内容は、“リスポーンポイントが更新されました”の一言――つまり、アルトリウスが懸念していた事態の一つが的中したということだ。
「内部に入ったら、クリアするか時間切れになるまで外には出られないと」
「逆に言うと、ログアウト可能なポイントはありそうですね」
「悪魔側もルールに則ったワールドクエストしか出せんようだしな。安全地帯の存在はまず間違いないだろう」
いけ好かないが、MALICEはあくまでもルールに則った戦争をしている。
プレイヤーが参加できないような戦いは作らない。この世界は、あくまでもゲームなのだから。
その点に関してだけは、信用してもいいだろう。
「つまり、安全地帯を早々に確保するのが急務。手分けして対応するってのは間違いじゃないな。尤も――アリス」
「ええ、そこら中から反応してるわ。どこからでも奇襲してくるわよ」
周囲を包む肉の壁。大雑把に見渡した感じでは、建造物がそのまま肉に置き換わっているような様相だ。
それはつまり、周囲一帯を悪魔に包囲されていることと同義。
壁どころか、足元すらも安全ではない。どこから攻撃を受けるか分からない危険地帯なのだ。
「とにかく警戒しながら進むしかないな。目指す場所は中央だが……」
「どうやって進むつもりですか?」
「ふむ。まあ……とりあえず正面から行くとするか」
迷ったら最短経路。向かう先は見えているのだから、道を間違える心配はない。
まあセオリーからして、そういった最短経路は最も危険なルートとなるのだろうが――まずは、その様子を見ておいて損は無いだろう。
「アリス、周囲の警戒を頼む。先頭はシリウスだ」
「了解だけど、あんまり当てにはしないでよ。この有様じゃ、何処も大差ないわ」
アリスの言葉には苦笑しつつ頷き、シリウスを先頭にして前に進み始める。
普段は地響きを立てながら歩くシリウスであるが、肉を打つ今回は生々しい音が響くばかりだ。
そうして大きく開いた通りへと足を踏み入れ――そのシリウスの足に、床から伸びた触手が巻き付いた。
「グルッ」
「……成程、足を取ってくるか。所構わずやってくるのは厄介だな」
その拘束をあっさりと引き千切り、付いた肉片を足を振って落としながら、シリウスは不快そうな唸り声を上げる。
シリウスの体を拘束するにはまるで足りないが、人間の動きを止めるには十分すぎる代物だろう。
そして、敵の攻撃が足を止めさせる程度で終わる筈がない。
足元の変化と連動するようにして、周囲の建物が変貌を開始したのだ。
壁に穴が開き、せり上がる。フジツボのように見えるそれは大層不気味であったが、それをのんびりと見ている場合ではない。
――それらの穴からは一斉に、何かが射出され始めたのだから。
「グルルルル……!」
穴からの一斉砲火に晒され、シリウスは不快そうに唸り声を上げる。
弾かれてこちらまで飛んできたそれは、どうやら鋭く尖った骨のような物体であった。
軽い防具程度ならば容易く貫きそうな鋭さと射出速度。それが足を止めた瞬間に一斉掃射してくるのだから堪ったものではない。
とはいえ、物理的なタイプの攻撃ではシリウスにダメージを与えることはほぼ不可能。
苛立ちを露わにしたシリウスは、反撃とばかりに尾を振るい、射撃をしてきていた建物を真っ二つに斬り裂いてしまった。
「……これ、真っすぐ進めます?」
「やれる所まではやったほうがいいだろうさ。逆に俺たち以外じゃ、この道を進める連中はいないだろう」
ここまで全方位からの集中砲火を受けるとなると、シリウスでなければ対処しきれないだろう。
攻撃してきた建物を破壊しながら進む、という何とも力任せな方法だが、そのおかげでこちらまで向かってくる攻撃の数は少ない。
射出されてきた骨の弾丸を回避しつつ、足を拘束されぬよう注意しながら前へと進んだ。
「緋真、お前の攻撃で建物は破壊できるか?」
「一応、試してみましょうか。《オーバースペル》、【ボルケーノ】!」
シリウスがまだ攻撃していない建物、そこへと向けて緋真の魔法が発動する。
噴き上がる火柱と、その間を埋め尽くす爆炎。全てを炎に晒された肉の建物は、その内部までもを焼き焦がされ、炭化して崩壊することとなった。
どうやら、緋真が本気で魔法を放てば破壊することは可能であるらしい。
「一応、攻撃は効くようだな」
「でも、そこまで意味は無いかもしれないわよ?」
言いつつアリスが示したのは、先ほどシリウスが破壊した建物だ。
半ばから断ち切られたそれであるが、少しずつ肉が盛り上がり始めている。
どうやら、時間をかけて再生しようとしているらしい。
「永続的な破壊は不可能か……流石に、そう楽はさせて貰えないようだな」
「でも、一時的にでも攻撃を止ませられるのは助かりますね」
「そうだな。とはいえ、最後までこれで進めるとは思えないが……どう出るか、確かめさせて貰うとしよう」
アルフィニールは、そう容易い相手ではない。
警戒を新たにしつつ、シリウスの後を追って中央の通りへと足を踏み出したのだった。