737:蕾
巨大な、異形としか形用のできない肉の蕾。
一つの都市を丸ごと包み込んだそれは、これまでのどの様な敵よりも強大で、悍ましい存在であった。
(あれが、一体どうなるんだかな……)
巨大な蕾と化した異形の都市。しかし、それが姿を現して以降、今のところ特に変化はない状況だ。
相変わらず押し寄せてくる敵の数は多いが、それでも今回は追加がないため限りは見えている。
空を飛ぶ融合悪魔についても、そろそろ打ち止めであるようだ。
「シリウス、トドメを刺してやれ!」
「グルルルルルッ!!」
セイランのデコイによって位置を調整され、ある程度固められた悪魔の群れ。
そこへと向けて、シリウスは至近距離からブレスを解き放った。
逆巻く衝撃波の奔流は、逃れようとした悪魔をも巻き込んで炸裂する。
流石にある程度は逃れられたようだが、それでもかなりの数を巻き込むことに成功したようだ。
(空中は大勢が決した、後は残党狩り……だが、向こうももうじき戦いが始まるか)
後方で控えていた、巨大な融合悪魔。
恐らく、戦力としては伯爵級相当はあろうかというその化け物が、ついに行動を開始している。
倒せないことはないだろうが、あれと正面から戦うのは中々に時間を要することになるだろう。
まるで、筋骨隆々とした巨大なワニのような姿。前肢が異様に発達しており、所々からは骨のような鋭い棘が突き出している。
大きさで言えば、恐らくはシリウスとほぼ同等だろう。あれが正面から突撃してくるとなると、流石に押し込むことは難しい。
ならば――
「シリウス、あいつの足を止めろ!」
「グルゥッ!」
空中は俺たちだけで十分に対処できる。
シリウスは、大型の融合悪魔への対処に向かった方が建設的だ。
俺の言葉を聞き、シリウスは躊躇うことなく地上へと向けて降下する。
向かう先は、今まさに他の悪魔を蹴散らしながら地上部隊の方へと突撃していく巨大な悪魔の元。
その巨体へと向け、シリウスは躊躇うことなく突撃した。
しかし、敵の悪魔もまたそれに反応し――二体の怪獣は、互いに牙を剥き出しにしながら激突する。
「地上はあいつに任せる、俺たちは空中の敵を殲滅するぞ」
「……今のところ、都市に動きは無いわね」
アリスの言葉に小さく頷きながら、セイランを羽ばたかせる。
大勢は決したとはいえ、敵はまだまだ存在している。手負いの悪魔ばかりであるが、だからこそ油断はできない。
一方で、変化以降は沈黙を保っている都市は非常に不気味であった。
アリスが一つを潰したことにより見えている隙間も、陽の光を遮られていることで殆ど奥を見通すことはできない。
薄暗い闇の中で、都市がいかなる変貌を遂げているのか――今はまだ、把握することは不可能だった。
(何が起こるかは不明、とにかく態勢を整えて備えるしかない)
ダメージを負っていた悪魔をセイランの風が拘束し、その隙に首を斬り飛ばす。
結局のところ、アルフィニールが悪魔を分離させていたのは、あの蕾を作り上げるための時間稼ぎだったのだろうか。
地下からの奇襲に失敗したからこそ、あのような変貌へと移ったのか。
現状では予想すらできないが――しかし、無理にでも突っ込んで止めるべきだったかと問われればそうでもない。
相手の手札の正体が分からない以上、雑に動いたところで一網打尽にされる可能性が高い。
むしろ、奇襲を避けられたことを幸運だと考えておくべきだろう。
(もし、あれがアリスたちによって一本を潰されたことに対しての動きであるなら――他の融合体も、同じように潰されることを恐れたとも考えられる)
それだけ、あの巨大な融合悪魔が重要な存在である可能性。
結局、今はまだ結論を出すことはできないが、慎重に進めるという方針に変わりはない。
とにかく、今は目の前の敵を片付けるだけだ。
「『命餓一陣』!」
生命力の刃を放って牽制、防ぐにしろ回避するにしろ、それに応じて攻撃すれば済む。
今回は防いだため、足を止めている悪魔へとセイランの前足が突き刺さった。
衝撃で地面へと墜落していく悪魔は放置し、大型の融合悪魔と激突するシリウスの様子を確認する。
真正面からの殴り合いであればシリウスに軍配が上がるが、悪魔の両腕は黒い炎を纏っており、多少はシリウスへとダメージを通している様子であった。
(ダメージは許容範囲、大丈夫だ)
魔法を付与した攻撃は完全に防ぐことは難しい。しかし、それでもシリウスのHPを削り切るには足りないだろう。
シリウスによって足止めを喰らった悪魔は、後方から近付いてきたプレイヤーたちによって総攻撃を受けている。
本来であればタンクが行っている仕事だっただろうが、シリウスならば相手の攻撃も押さえ込むことが可能なのだ。
互いにノーガードで殴り合っているような様相であるが、その条件ではシリウスの方が有利だろう。
「さて、お前の足止めはこれ以上機能しない。どう出る、アルフィニール」
肥大化した腕で殴りかかってくる巨大な悪魔。その攻撃に対し、シリウスもまた己の拳で応戦した。
腕の太さでは相手の方が上であろうが、重量はシリウスが上回っているだろう。
拳同士が突き合わされ、爆ぜるような衝撃と共に地面が陥没し、砕け散る。
シリウスと融合悪魔は、互いの攻撃の衝撃で後退し――シリウスは、その勢いのまま身体を回転させ、四つん這いになりつつ尻尾で薙ぎ払った。
鋭く強靭な尻尾の刃が融合悪魔の体を打ち据え、深々と斬り裂く。
『ギギャガガガッ!?』
耳障りな悲鳴を上げる怪物に、プレイヤー達もまた容赦はしない。
殺到する矢弾や魔法は、巨大な悪魔の体を削り取り――しかし、悪魔はそれに対する反撃を行うことはできない。
四つ足で地を蹴ったシリウスが、正面からそれを押さえ込みにかかったからだ。
必死で抵抗している悪魔であるが、それ故に他のプレイヤーからの攻撃を防ぐことができていない。
まあ、多少は狙いを外してシリウスに当たっていたが、それは単なる誤射として判定されているようだ。
(他の悪魔の援護は……アルトリウスたちが抑え込んでるか。なら、この後は時間の問題だ)
シリウスと融合悪魔の戦いで、深い溝と化していた通路は崩壊しかかっている。
迂回して通ることもできないため足止めされてしまいそうではあるが、これならば程なくして融合悪魔を仕留めることができるだろう。
こちらへ近づいてくる飛行悪魔の数も減ってきている。
あと少しで、この妨害を抜けて都市に肉薄することができるはずだ。
そうすれば――
「クオン、今は見る余裕はある?」
「何かあったか?」
「都市を包んだあれ、ちょっと縮んでるように見えるわ」
その言葉に、一瞬だけ都市の方へと視線を向けて確認する。
確認できる時間はほんの僅かではあったが、確かにアリスの言う通り、先程よりもその大きさが縮んでいるように見えた。
正確には、細くなっていると言うべきか。丸みを帯びていたはずのそれは、高さを変えずに細い形状へと姿を変えようとしているようだった。
「……他に変化は?」
「今のところ見えないわ。あの穴からもいまいち中の様子は見えないし。でも……」
「でも?」
「悪魔が出てこない。あの分離以降、増援が出てくる様子がないわ」
確かに、その通りだ。分離と融合、それ以降の悪魔の増援は無い。
それを好都合と見るべきか、或いは意図を探って警戒すべきかは、生憎と判断ができなかったが。
だが――何かが変化しようとしている。それだけは、間違いないだろう。
あの正体不明の都市に対する警戒の度合いを上げながら、俺は残る悪魔へと刃を叩き込んだのだった。