713:鉄打ちの調べ
(鉄打ちの歌と、金槌の音……それが、子守歌だった)
炉に火を入れ、フィノはかつての己を思い返す。
フィノが生まれ育ったのは、鍛冶職人の家であった。
とはいえ、刀鍛冶というわけではない。包丁などを鍛造して売る、現代まで残った鍛冶屋続きの金物屋だ。
刀など、ついぞ打っている姿を見たことがあるわけではなかった。
(でも。それでも、間違いなく憧れだった)
しかし、父も祖父も、間違いなく刀鍛冶という存在に憧れていた。
フィノもまた、その影響を受けて育ってきたのである。
鉄を打ち、鍛え、一つの作品を作り上げる――その行為に、フィノは己の夢を見出していたのだ。
しかしながら、現実として彼女が鍛冶仕事をしたことは一度としてなかった。
体格に優れず、筋力も弱い。彼女の力では、最低限の仕事すらすることはできなかったのである。
「……だから、このゲームができて、本当に良かった。この夢を、捨てずにいてよかった」
ふいごで炉に空気を送り、熱を増す。
煌々と燃える火を、フィノは眼帯で覆われた眼でじっと見つめていた。
片目を隠しているが、視界が塞がれているわけではない。
これは、物の温度を確かめる効果のある、レンズのような装備だったのだ。
しかし、こんなものは不要だと、フィノはそう考えていた。
(私は覚えている。あの炉の色も、水の冷たさも――この手が)
幼き日、フィノは祖父に連れられ、本物の刀鍛冶の工房へ見学に行ったことがあった。
その時、フィノはじっと、彼らの仕事を記憶に収めていたのだ。
炉に灯った火の色を、打ち付ける金槌のリズムを、飛び散る火花の高さすらも。
そして――幼き日の彼女は、何ら躊躇うことなく自らの手を炉の中に突っ込み、仰天した大人たちによって湯舟に手を入れられた。
言うまでもなく、こっぴどく叱られることになった彼女であったが、その胸中には何ら後悔は無かったのだ。
そして今、火を入れた炉に、フィノは自ら手を当ててその温度を確かめる。
火に炙られ、当然の如くHPは削られるが、彼女は眉一つ動かすことなくその仕事を終えた。
そして、次いで湯舟へと手を入れ、水の温度も同様に確認する。
ここまでの間、フィノはただ漫然と鍛冶を行ってきたわけではない。火の温度と水の温度、それらから作り出される武器性能の微妙な変化――そして、性能には出ない武器そのものの造りの完成度。
それら全てを研究し、貪欲に飲み込んできたからこそ、生産系トップクランである『エレノア商会』で最高の鍛冶師として名を馳せているのだ。
「――【リテンション】」
二つの温度を確認、調整し、フィノは《熱魔法》の呪文によってそれら二つの温度を固定する。
そして適当にポーションを使って手のダメージを回復させたフィノは、改めて巨大な爪へと向き直った。
「私は名工の仕事を知った。餓狼丸と紅蓮舞姫、あれは間違いなく歴史に名を残すような刀匠の業だった。あれが影打だっていうなら、私の造ってきたものはその影すら踏めていない」
故に、フィノは武器強化の度に、あの二振りの造りを研究し続けてきた。
その理念を、その在り方を、刀を打つという行為の意味を。
そして――その集大成を今、ここで形にしようとしている。
「だから私は、私の全てを以て、姫ちゃんのためだけの刀を造り上げる。それが……私を見出してくれた姫ちゃんへの、恩返しだ」
――βテストに於いて、フィノは無名のプレイヤーだった。
自ら素材を集めることもできず、稼ぎも悪いため生産施設もあまり借りられない。
それでも、何とかして完成させた刀の一振り。今にしてみれば、未熟もいいところの作品であったとフィノは胸裏に呟く。
けれど、それを手に取ったのは、刀の良し悪しを判別できる人物だったのだ。
それから、フィノはあれよあれよという間にプレクランの一員に加わり、万全の製造体制を整えられたのである。
「踊れ、踊れ、火花の舞。歌え、歌え、鉄の調べ。鋼や刃金、息吹を吐きて、産声を上げよ!」
掲げた成長武器、『天槌ウルカヌス』が炎を上げる。
フィノの体に巻き付くように伸びた炎は、やがてその右目を覆う眼帯へと収束し――その上から、燃え上がる炎の瞳を形成する。
赤熱する金槌は脈動する様に金色の光を放ち、薄暗い鍛冶工房を染め上げた。
「――『鉄打ち謡うは踏鞴神』!」
それは、現在のプレイヤーの中でも最も例の少ない、生産特化型の成長武器。
そして現在のところ四例しか存在しない、第十段階にまで到達した成長武器の解放。
その力を、フィノはただ一人の友のために使い尽くす。
――決意と共に、鉄打ちの調べは奏でられ始めた。
* * * * *
フィノが武器の製作を始めてからしばし。
別段、部屋の前で待っている必要はなかったのだが、俺たちは何となくその場から移動せず、そのまま待機していた。
特に見て回るものがなかったという理由もあるが、それ以上にフィノの造り上げる武器に興味を引かれていたのだ。
生産特化型の成長武器、その解放。果たして、その果てに造り上げられるものがどれほどの逸品になるのか。
(それに、先程のフィノは……)
一皮剝けた、とでも言うべきだろうか。
武器を打つという行為に対しての決意。まるで、そのためならば命を捨てても惜しくはないと言わんばかりの目に、俺は不退転の決意を見た。
果たして、あの年でどれほどの経験をしたら、あのような目ができるようになるのか。
だが、今の彼女は間違いなく、一角の職人であった。であれば、こちらも敬意を払わなくてはなるまい。
ともあれ、結果が楽しみではあるのだが――俺以上にそれを隠しきれずにいるのは、他でもない緋真だった。
「待ち切れんようだな」
「あはは……正直、自分のためだけに打たれる刀って、本当に楽しみで」
「だろうな。それこそ、そういう意味では紅蓮舞姫以上の一振りになるだろうよ」
確信をもって告げたその言葉に、横にいたアリスが首を傾げる。
どうやら、今の俺の一言が納得できなかったようだ。
「紅蓮舞姫って、凄い刀鍛冶の作品を元にしているのよね? それ以上の刀を彼女が打てるの?」
「単純な刀の完成度としては、重國を超えることは不可能だろうさ。だが、フィノが緋真のために打つというその一点については、紅蓮舞姫を超える可能性になり得る」
重國は古の名工だ。その大業物を超えることは、今のフィノにも流石に不可能だろう。
しかし、武器には使い手に取って使い易い造りというものが存在する。
それは個々人の癖による差であり、万人にとっての最適解となるような造りは存在しないのだ。
そういう意味では、餓狼丸と紅蓮舞姫――天狼丸と散華天葬も、大昔に存在した久遠神通流の剣士のために打たれた刀。
久遠神通流を扱う上では使い易いが、決して俺や緋真個人のために打たれた刀というわけではないのである。
だが、フィノが今まさに造り上げようとしているのは、緋真のために、緋真の癖に合わせて構成された一振りである。
それは限定的ではあるが、緋真にとっては紅蓮舞姫以上に相性のいい名刀となり得るのだ。
「フィノは緋真の癖を知り尽くしている。だからこそ成し得る一つの答えだ。俺に打つ時には、果たしてそこまでできるものか……それはその時の楽しみに取っておくが、ともあれ緋真にとっては最高の一振りが期待できるってことだ」
「へぇ……そういうものなのね」
アリスは正直、あまり実感は無いようだ。
まあ、あまり武器の良し悪しは関係のない戦い方をしているし、仕方のない話ではあるが。
「緋真の武器を先に作るって話を受けたのには、そういう理由もあるのさ。フィノにとって、最も造りやすい武器は緋真のものだろうからな」
「それで、緋真さんが随分そわそわしてるのね」
「ははっ、プレゼントを待つ子供みたいなもんだろう?」
「ひ、否定はできませんけど、その表現は止めてくださいよ!」
頬を上気させて俺たちの言葉を遮る緋真に、小さく笑いを零す。
無論のこと、フィノが造り上げる一振りは、俺も楽しみにしているのだ。
既に、金槌の音は止まっている――果たして、どれほどの作品が生まれているのか、この目で確かめさせて貰うこととしよう。