711:敵の旗印
ドラグハルトという存在は、それそのものが俺たちにとって予想外な要素であった。
勿論公爵級の悪魔は最初から警戒していたし、その頂点ともなれば必ず衝突することになると覚悟はしていた。
しかしながら、あそこまでの積極性を持って、能動的な活動をしてくるとは考えていなかったのだ。
プレイヤー側の完全な意思統一を図ることは不可能。だからこそ、ある程度の反目は致し方のないものとして放置していた。
アルトリウスのその判断は、決して間違っているとは言えないだろう。
しかし事実として、それが裏目に出てしまったことは間違いない。
致し方のないことではあるが、厄介な状況になってしまったことは否定できなかった。
「あり得るとは思っていたが、先頭に立つような奴が現れたか」
「プレイヤーネームは月影シズク、クラン名は『竜の爪牙』だそうです」
「月影? それに、竜のって……」
「緋真さんは、名前はご存知でしたか。そしてクランの方も気づいたかもしれませんが、今回のために新たに組まれたクランです」
月影とやらの名前には心当たりはなかったが、クランの方についてはアルトリウスの言葉を理解できる。
名前からして、どう考えてもドラグハルトを意識しているクランだ。
今回、ドラグハルトの陣営に集ったメンツを集めたクランということだろう。
逆に言えば、そいつらは今までクランに所属していなかったプレイヤーであり、今回初めて台頭してきた存在である。
実力で言えば一線級のクランは他にもあっただろうに、何故その新興のクランが立ち上がったのか。
その答え合わせをするように、アルトリウスは続けた。
「まず一つ、クオンさんはご存じないだろうとは思っていましたが、月影シズクは有名な配信者です。配信チャンネルの登録者数は七桁を越えており、支持層はかなりの範囲に達しているかと」
「ほう……実力はどうなんだ?」
「一般的なプレイヤーの中では上位層ですが、トップクラスとは言い難いですかね。それでも、後発組の中では上位に位置していると思います」
個人の実力はそこそこで、どちらかと言えば人を集めることに特化した人材か。
言ってしまえばアルトリウスと同じタイプではあるのだが、流石にアルトリウスと同等ということはないだろう。
それほどの実力があるのならば、とっくに台頭していてもおかしくはないのだから。
「人を集めやすい立場であるということは理解した。その……男か、女か? まあどっちでもいいが、そいつが呼び掛けてドラグハルト陣営にプレイヤーを集めようとしているわけだな?」
「はい、そうなります。ちなみに男性ですよ」
「成程。それで、こっちからすべきことは?」
「特にありません。強いて言うなら、その状況を把握しておくことぐらいかと」
アルトリウスのその言葉に、俺と緋真はきょとんと眼を見開くこととなった。
この状況からして、明らかに厄介事には間違いないだろう。
にもかかわらず、こちらから手出しをする必要はないとアルトリウスは断言する。
果たしてその真意はどこにあるのか、そう問いかけるように視線を向けると、アルトリウスは苦笑交じりに続けた。
「この件ですが、クオンさんもご存じの『彼女』が動いた結果です」
「……ああ、そういうことか」
「統制の取れていない個人の集まりより、ある程度でも組織だった状態の方が制御しやすい――つまりは、そういうことです」
ブロンディー、あの女、本当にやることなすことがとんでもない。
反対派を纏め上げるために組織を一つ作り上げたというのか。
しかも、人気があって使い易い駒を旗印として置くことで、より多くのプレイヤーを集めようとしてやがる。
後はそれを見て、ドラグハルトがどのように反応するかだ。こればかりはこちらからは分からないし、あの女からの連絡待ちとなるだろう。
「あまり驚かれていませんね。他の方もそうでしたが」
「男を転がして情報を得るのは、あの女の常套手段だからな。ゲームの中じゃできなかったとしてもリアルに行けば可能だし、何より向こうでやったことはMALICEにバレることはない。しかも相手が素人と来れば、奴にとっちゃやり易い仕事だろうよ」
あまりにも簡単に行き過ぎて、調子に乗っている可能性もあるが。
あの女がやり過ぎると大層厄介な後始末を押し付けられる可能性があるため、警戒をしておく必要があるだろう。
そう思うと、件の月影何某が哀れに思えてくるから不思議なものだ。
ブロンディーの奴がどのような手段を取ったかまでは定かではないが、わざわざそのような舞台を整える辺り、かなり楽しんで仕事をしていることは間違いないだろう。
「あの女、信用を買うために俺の情報を売ってるんだろう? そこまでしたんだから、ドラグハルトまで釣り上げてくれなきゃ困るってもんだ」
「スパイの振りをして情報を売る……と見せかけて得た情報を逆に流す。トリプルスパイっていうんですか、こういうの?」
「連中の用語は良く分からん。だが、それで得られる情報が値千金であるなら、存分にやりゃいいさ。降りかかる火の粉は自分で払うからな」
「何だかんだ、彼女の能力は信頼されてますね」
苦笑するアルトリウスに、溜め息で返す。
腹が立つことは間違いない事実なのだが、それが勝利に繋がるのであれば甘んじて受け入れるつもりだ。
まあそれはそれとして、あの女にはいつか復讐してやろうとは狙っているが。
「話が逸れたが、つまりファムは敵の動きを高いレベルで把握してるってことだろう? 今はどんな状況なんだ?」
「着々と準備は整っています。いつ動き出したとしてもおかしくはない状況ですが……しかし、こちらはすぐに動く必要はないですね」
「ドラグハルトが敵に食らいついてから、か」
「はい。こちらが参戦するのは、彼らの本格的な戦いが始まってからです」
俺が懸念していたことは、当然アルトリウスも考えていたらしい。
あまり速く手を出してしまうと、こちらが両者から攻撃されてしまう可能性がある。
ドラグハルトがしっかりと食らいついたところで、こちらが背後からアルフィニールに襲い掛かる。
そのタイミングを決して見逃さないことが重要だ。その点、ブロンディーの仕事は特に重要になるだろう。
「……とりあえず、時間としてはまだ余裕はあるってことでいいんだな?」
「はい。ただし、ドラグハルトが動き始めれば、当然そちらに付いたプレイヤーも動き始めます。そうすると、イベントに出遅れたと考えるプレイヤーも出てきますから、目に見えるような準備は必要ですね」
その言葉に、思わず眉根を寄せる。
言わんとすることは分かるし、その流れになる可能性は高いだろう。
アルトリウスは勝ち馬だ。『キャメロット』以外だとしても、そちら側に乗りたいと考えるプレイヤーは多い。
しかしながら、イベントに大きく出遅れるとなると、先走ってしまう連中も出てくることだろう。
相変わらず、中々に面倒な立場だ。
「とりあえず、了解した。急いで動く必要が出てきたら連絡をくれ。それまではできる限り鍛えておく」
「はい、よろしくお願いします。僕の方も、もう少し準備が必要そうですから。恐らく、近い内にクエストという形で通知されることになるかと」
「今回の件もワールドクエストか」
「公爵と大公が絡みますからね……ついでに言えば、敵対派閥同士の戦闘に関するルール定義も必要になりますから」
言われてみれば、確かにその通りだろう。
敵対する派閥に属しているというのに、戦場で戦ったらPKのペナルティが発生してしまうなど、罠にも程がある。
その辺り、ペナルティを除外するようなルールが敷かれることになるのだろう。
「調整については女神様の方で決定されるでしょうから、こちらから手を出すことはないのですが……ともあれ、近い内に陣営を決定するための通知があるかと思います」
「中々に難儀だな、女神も」
元より悪魔とは戦っていただろうが、ドラグハルトの流れは完全に予想外だっただろう。
大公と戦うだけでも頭が痛い問題あろうに、気苦労が絶えないことだ。
ともあれ、状況は把握した。後は――
(月影、だったか。後で、緋真たちに話を聞いておくかね)
神輿に担がれたとはいえ、敵は敵。
どのような相手なのか、探っておいた方がいいだろう。
それが楽しめる相手になるかどうかは――そうだな、多少は期待を持っておくこととするか。