705:ファムの作戦
「状況についてだが……分かっていると思うが、既にブロンディーの奴は動き出してる」
「だろうな。ドラグハルトの存在が明らかになった時点で行動を開始してただろうよ」
認めたくはないが、奴は優秀だ。情報戦の分野において、あの女の右に出る者は見たことがない。
厄介なのは、あのクソビッチは基本的に自分の興味を優先するため、倫理とかその辺りを全て脇に置いてやらかす点だろう。
果たして、どんなイカサマをしようとしているのか、尻拭いをさせられないなら興味はあるところだ。
アンヘルが緋真たちに対し、ティエルクレスのスキルについてあれこれ質問している様子を横目に、俺はランドに続きを促す。
「ポイントとなっているのは、ドラグハルトがプレイヤーの離反者を集っている点だ。当人たちはイベントへの参加感覚なんだろうけどな」
「明かすことができない以上、仕方のない話ではあるがな」
ちらりと勘兵衛を横目に確認し、頷く。
彼はエレノアの側近であり、箱庭の件についても知らされている。
故に話しても問題は無いのだが、今俺たちがいるのは人の多い『エレノア商会』だ、口に出す情報は少なくしておくに越したことはないだろう。
「アルトリウスが活躍している分、反感を覚える者も少なくは無いか……考えものだな」
「彼は優秀だ。だが、それに対抗できるだけの人間が他にいなかった。この商会の会長辺りが対抗勢力になってくれていれば、離反者はもっと減らせたかもしれないが……」
「この状況を読めってのも無理があるからな。仕方あるまい」
ドラグハルトのような悪魔が現れることは、完全に想定外だった。
最初からそれが分かっていたなら、アルトリウスももう少し力関係を調整しながら立ち回っていたことだろう。
まあ、それは今になっていっても仕方のない話であるし、考えるだけ無駄だ。
「で、そうなったらそうなったで、嬉々として利用するのがあの女だ」
「……離反者が多いから、逆にそれを利用したと? スパイでも放り込んだのか」
「当たらずとも遠からずというか……」
何とも曖昧な表情で視線を逸らすランドに、嫌な予感を覚える。
あの女の場合、こういった作戦では数えきれないほどに手札を持っている。
これまでに幾度となく作戦を共にしてきたのだが、その状況に応じて手を変え品を変え、様々なスタイルで任務を遂行してきたのだ。
比較的穏当なものから、もう二度と目にしたくないと断言するような有様まで、あの女の引き出しには限りが見えない。
「今回は自分が潜り込むんじゃなくて、他人を潜り込ませるタイプだが……プロの斡旋じゃなくて、素人を利用してる」
「は? いや、おい。あの女……」
「『命の危険が無いんだから別にいいでしょ?』だそうだ」
思わず頭痛を覚え、頭を抱える。
やっていいことと悪いことがあることぐらい分かっているだろうに、あのクソアマ……確かに命の危険は無いだろうが、素人を巻き込んでいる時点で論外に決まっている。
だが、俺が憤っていることを察したランドは、深く溜め息を吐きながら付け加えた。
「で、お前さんがそういう反応をすることまで見越してコメントを貰ってるぞ」
「……聞きたくないが、何だって?」
「『貴方のアンチをどうするか任せて貰ったんだから、任された通り自由にさせて貰うわぁ』だそうだ」
「あんの、クソアマ……それを今持ち出してきやがるか……ッ」
確かに、あの面倒な連中についてはファムに押し付けてしまったことは事実だ。
デルシェーラとの戦いで忙しかったこともあったが、まさか適当に押し付けてしまったことがここまで波及してくるとは。
つまりあのクソビッチは、俺に対し敵対的な感情を持っていたプレイヤーを唆し、ドラグハルトの陣営に入り込ませたのだ。
恐らく、ワールドクエストが進行している間には動き始めていたことだろう。言葉巧みに唆し、その気にさせて動かすのは奴の十八番だ。
「で、当のファムはダブルスパイ……いや、この場合はトリプルスパイなのか? 向こうに潜入させた連中にスパイの振りをしてお前の情報を流すから注意しておくように、だとさ」
「いい加減、俺はあの女を殴っても許されると思うんだが」
「実際にやったらどうなるか、分かってて言ってるだろ?」
「……はぁ。いや、もういい、考えるだけ無駄だ」
深々と溜息を吐き出して、思考を切り上げる。
あの女のことだから、重要っぽく見えるが大して重要ではない情報を向こうに流し続けることだろう。
いや、下手をするとカムフラージュのため、たまに本当に重要な情報を流す可能性もあるか。
致命的な情報さえ流さなければ何とかなるだろうという、雑な信頼感からの行動である。
「相変わらず、良くもまぁ上手いこと人間を……いや、男を転がすもんだよ」
「ということは、そっちの手段まで使いやがったか。そりゃまぁ、向こう側じゃ悪魔どころかマレウスも干渉しようもないからな」
ブロンディーお得意のハニートラップである。いや、この場合その表現は的確ではないのだが。
掌の上で男を転がし、情報を搾り取るのは奴が最も得意とする分野である。
リアル――俺たちの世界である箱庭は、MALICEが完全に撤退している。故に、奴らはそちら側で交わされた情報を知る手段が無い。
つまりあちら側の箱庭すらも利用して、情報を搾り取っているのだろう。最近姿を見かけていなかったが、まさかそんな真似をしていようとは。
「とりあえず、情報の出所は理解した。それで、どんな状況なんだ?」
「ドラグハルトは、既に軍勢を用意している。いつでも戦争を始められる量だ。どうやら、あまり時間的な余裕はなさそうだな」
「……予想はしていたがな。結構、逼迫している状況か」
ドラグハルトが行動を開始していることは分かり切っていた。
後はどの程度準備が完了しているかというところだったが――これは、いつ戦争が始まってもおかしくはない状況だろう。
さて、そうなった場合に考えるべきは、こちら側の行動だ。
奴らが動き始めるのは確定事項として、俺たちはどのように動くべきか。
「ドラグハルトが動き出した場合、俺たちもすぐに動かなけりゃならんか?」
「緊急で、とまでは言わないが、速やかに体勢を整える必要はある。元々の話の通り、奴らに大公級を取らせるわけにはいかない」
まあ、ドラグハルトが大公級に勝てるかどうかという問題もあるのだが、勝てないだろうとタカをくくって勝たれてしまったら大問題だ。
今回の敗北条件は、ドラグハルトの陣営だけで大公級を落とされてしまうこと。
奴らが王手をかける前に、こちらも大公級に肉薄しなければならない。
「それで、ドラグハルトが狙っているのは?」
「明言はされていないようだが、戦力の集め方からして、まず間違いなくアルフィニールだそうだ」
「成程、そこは予想通りか。なら、予定はある程度そのままでも良さそうだな」
大公アルフィニール……配下のことについては良く知っているが、当の悪魔についてはまだ目にしたことはない。
無尽蔵に配下を生み出すような能力を持っているようではあるため、それに関しては色々と対策を考えられているのだが――まあとにかく、純粋なる数の暴力を体現したかのような存在だ。
恐らく、相手の数に対して数で対抗しても無駄だ。単純な物量で、アルフィニールを上回ることはできないだろう。
物量の差を覆すために、どのような手段を用いるのか。それは、アルトリウスの手腕に期待することとしよう。
「状況が動いたら、すぐにでも声をかける。どういう風に動く必要があるのかも含めてな」
「了解。それまでは、ギリギリまで強化に勤しむとしようか」
まだ、目標となる強化段階まで達することができていない。
フィノの成長武器の強化は、間に合うかどうかは期待薄といったところだが、シリウスの強化は何とか間に合うことだろう。
ドラグハルト、アルフィニール、そして俺たち――三つ巴の勢力で争うのは今回が初めてか。
果たしてどのような戦いになるのか分からんが、こちらも万全の準備を整えておくこととしよう。