697:古き絶技
ティエルクレスの一閃を受け流し、前へと出る。
ただ一度でも受ければ致死の一撃、それを幾度となく対処してきたのだから、流石にある程度は癖も見えてくる。
大剣の重心がどこにあるのかも読み切れたため、ある程度は対処も困らなくなったと言えるだろう。
だが、慣れたからと言って集中を途切れさせれば、こちらの防御などあっという間に突破される。
ティエルクレスは、全てが力任せというわけではない。その名に恥じぬ技量も有しているのだから。
『多少の揺さぶりは通じもしないか!』
「よく言う……そんな大剣で、しかもフェイントまで交えやがってなぁ!」
相手の呼吸を、筋肉の動きまでもを見極めて、大剣の狙う本質を見極める。
こちらがティエルクレスの剣に慣れ始めているのと同様に、ティエルクレスも俺の剣に慣れてきている。
幾度となく流水で受け流してきたからか、相手もどのタイミングで刃を逸らされるかを把握し始めているのだ。
半歩前に出て地を踏みしめ――そう見せかけながらもう半歩分前に出て力強く刃を振るう。
半拍子ほどのタイミングのずらしは、その動きを正確に見極めなければ対処はできまい。
(一度でも読み違えればこちらの負け、本当に不利な勝負だ)
舌打ちを零す暇もなく、横薙ぎに軌道を変えたティエルクレスの一閃に浮羽で乗る。
一瞬でもタイミングを逃せば、その一閃は俺の胴を真っ二つに両断するだろう。
感覚だけで済ますのではない。正確に、己の目で見極めながらタイミングを計る。
そうしなければ、ティエルクレスは俺の防御を容易く突破することだろう。
(呼吸は読めている。後は踏み込むタイミングだ)
浮羽で移動したにもかかわらず、ティエルクレスの視線は正確にこちらの位置を捉えている。
あまりにも反応が早く、そこからの追撃ができないほど。
互いに剣を弾き、距離を置いて構え直し――
『――【双穹】』
伸びた大剣が、二つの剣閃となって襲い掛かってきた。
射程の延長と、例のテクニックによる攻撃の分裂。これをされると回避のしようがないのだが、一つだけ解決策はあった。
「魔力には変わらんだろう――『生魔』!」
餓狼丸にスキルを宿し、魔力で構成された刃の方へとあえて踏み出す。
それと共に振るった一閃は、ティエルクレスのテクニックを正面から破壊してみせた。
ティエルクレスがステータス向上に特化しているように、俺は武器攻撃力強化に優れている。
例え格上の攻撃が相手であろうとも、攻撃力で負けていないならば、《蒐魂剣》による魔法破壊は有効なのだ。
俺の一閃でテクニックを破壊されたティエルクレスであるが、それに対しての動揺は無かった。
通常通り振るっていた刃をそのまま跳ね上げる様に振るい、こちらの首を狙ってくる。
斬法――柔の型、流水。
しかし無論のこと、その無茶な動きならばフェイントを交える余裕はない。
その一閃を上向きに受け流し、こちらは耳元で太刀を握り強く地を蹴る。
歩法――烈震。
(行けるか――いや、半歩足りん)
腕が上に伸びた状態だが、距離が開き過ぎた。
通常の間合いであれば間に合ったかもしれないが、この状況では虚拍に繋げることはできない。
ティエルクレスは、俺の接近に合わせて跳ね上げられた刃を振り下ろし、俺のことを両断しようと狙ってくる。
が――その直前、ティエルクレスは攻撃を中断して後方へと跳躍した。
瞬間、紅の炎が彼女の立っていた場所を舐めるように焼き尽くす。
その炎の中を突っ切るように駆けるのは、成長武器を解放して全身に炎を纏った緋真であった。
「……!」
危険だとは思うが、言及はしない。
ああやって向かって行ったということは、対処可能であると判断したということだろう。
ならば、その判断を信じるとしよう――どうやら、白影まで使っているようだしな。
『成程……クオンはやり手だが、お前はどうだろうな』
ティエルクレスは向かってくる緋真の姿に、不敵な笑みを浮かべている。
ここまで手出しをしてこなかったからと油断していないのが何とも厄介だ。
恐らく、緋真の技量自体は俺に劣ることをすでに悟っているのだろう。だというのに、彼女には一切手を抜く気配は無いようだった。
『――【断慨】』
魔力を纏う一閃が、緋真へと向けて振り下ろされる。
今まで相対していたからこそ分かるが、あの一閃は本当に速い。
相手の体の動きから、振るうことを予測していなければ対処は不可能だろう。
「――緋桐ッ!」
しかし逆に言えば、予測できているならば対処は可能だ。
上段に振り上げられた刃、そして正面に立った相手――この状況でなら【断慨】とやらを使ってくるだろうと判断して、緋真は紅蓮舞姫のテクニックを解き放った。
渦を巻く炎が道を作り、烈震にて地を蹴った緋真が凄まじい速さでティエルクレスへと肉薄する。
白影に集中しているため、その速度は今の俺よりも速い。故に、緋真が俺を越えることはないと判断していたティエルクレスには衝撃だったようだ。
『――――ッ!』
緋真の刃は、ティエルクレスの一閃より速く突き刺さることになる。
良くて相討ちだと判断したティエルクレスは、攻撃の回避へと全ての意識を集中させたようだ。
全力で身を捻った彼女を、緋真の一撃は捉えることなく空を斬り――しかし、巻き上がった炎がその身を焦がす。
熱と痛みに顔を顰めたティエルクレスはしかし、それでもなお動き続ける。
『来るか……!』
大技を放った直後の緋真は、すぐに次の攻撃行動には移れない。
故に、ティエルクレスの意識は、緋真の攻撃に合わせ接近した俺へと向けられる。
迎撃するには無茶なはずの体勢を、宙に足を着けることによって強引に解決しながら瞬時に刃を構え――
歩法、奥伝――虚拍・先陣。
ティエルクレスの意識の空白へと潜り込む。
眼前で俺の姿を見失ったティエルクレス、その胴へと刃を振るい――驚くべき速さで瞳を動かした彼女の一閃が、餓狼丸の刃を弾き返した。
(――初見で、見極めただと?)
目の前で消えるという現象に動揺することもなく、一瞬で俺の姿を捉えたティエルクレス。
その表情からは余裕の色が消え去っていたが、それでも俺の一撃を完璧に対処しきったことは間違いなかった。
驚嘆すべきことではあるが、それに動揺してもいられない。
互いに攻撃を弾き、死に体となったこの刹那――赤い影が揺らめいた。
『ち……ッ!』
瞬間、ティエルクレスは強引に身をよじり、肘を振るって背後に出現したアリスを打つ。
先ほどからいかなるスキルなのか、完全に虚を突いたタイミングであるにもかかわらず、完璧に対処しきっている。
だが、アリスとてただ反撃されただけでは終わらない。胸を打ったティエルクレスの打撃に合わせ、彼女の腕へと黒い刃を突き立てていたのだ。
歩法・奥伝――
魔眼どころか、不意打ちのダメージも入らず。けれど、ティエルクレスの動きを阻害するには十分だった。
大剣から片手を離し、無理の生じる姿勢で俺から視線を外した。
その上で――
「――『生奪』」
――虚拍・後陣。
絶対に迎撃が間に合わぬ背中側へ身を滑り込ませた俺は、ティエルクレスの身へと餓狼丸の刃を突き立てた。
その衝撃に、ティエルクレスは息を呑み――スキルが途切れると共に、地面に落下して仰向けに倒れ込む。
そんな彼女の顔に浮かべられていたのは、清々しい笑みであった。
『見事……私の負けだ、戦士たちよ』
敗北を認めるその言葉を、どこか現実味のない感覚すら覚えながら受け止める。
俺たち全員の切り札をどこまでも完璧に対処し、それどころか反撃まで加えてきた驚嘆すべき戦士。
ただ一人の人間を、俺一人では打倒し得なかった――その事実が、俺の背筋を震わせた。
その感覚を言葉で表現するならば、戦慄と歓喜であろう。
「……いい、戦いだった」
今更ながら、手が震えていることを自覚する。
技量は匹敵し、身体能力とスキルでは上を行かれた。
これを正面から打倒することは、今の俺単独では不可能だ。
ティエルクレスは、それほどの戦士だったのだ。
『気持ちの悪い剣を振るう奴だな。自覚はあるのか?』
「……さてね」
『ふふ……その様子ならば、他に言うべきことは無さそうだな』
深く息を吐き出し、ティエルクレスは空を見上げる。
荒れていたはずの空は晴れ渡り、今はただ潮騒が響く穏やかな風だけが世界を占めていた。
かつての彼女には、見ることのできなかった光景だろう。
『私の物語は、とうの昔に終わっている。だが、お前たちの戦いはまだ続くのだろう』
「そうだな。ああ、ここからが本番だとも」
『ならば足掻け、私と同じように。そして私にはできなかったことを成せ。お前たちならば、それも叶うだろうさ』
それでも、過去を嘆くことはなく、ティエルクレスはそう告げる。
全ての記憶を清算して、あり得なかったはずの結末を夢想して――ただ、穏やかに。
『――武運を祈る。今を生きる者達よ』
――それだけを口にして、ティエルクレスは静かに消滅したのだった。