695:悪夢の終わり
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体を断たれた化け物は、その身を保てなくなったのか、端から徐々に溶け始める。
慌ててその体の上から避難するのと同時、巨大な化け物は他の個体と同じように、溶けてその姿を消していった。
ある程度特別な個体ではあったのだろうが、それでも全ての元凶と言うほどの存在ではなかったのだろう。
流石にこれ以上の化け物が出てきて連戦になるのも困るのだが、少しずつ晴れ始めた空を見るに、どうやらその様子は無いようであった。
『……世話になったな。まさか、このような形でこの悪夢の終わりを見ることになるとは』
「本来は違ったのか?」
『ああ、ここが私の最期の地だった。あの化け物と相討ち、最後にこれだけ為して力尽きたのさ』
そう口にすると、ティエルクレスはどこからか取り出した例の多面体を手に取ると、そのまま大きく海へと向けて放り投げた。
そして間髪入れず、構えた大剣が刀身を伸ばし、振り抜かれる。
『――【断慨】』
僅かに軌跡だけを残すスキルのエフェクト。その一閃は狙い違えることなく多面体の中心を捉え、それを真っ二つに斬り裂いた。
そのまま海へと消えていく残骸を見送り、改めてティエルクレスは声を上げる。
『私はここで死んだ。だから、この先のことは分からんし、これ以上の化け物が出てくることもない』
「ここはあくまで、アンタの記憶から再現された場所だと?」
『そういうことだろうな。まあ、私には魔法のことは良く分からんが』
下手な魔法よりよっぽど不可思議な体術やスキルを操っていたかと思うのだが、あえて言うまい。
ともあれ、これでこのイベントそのものは決着ということだろう。
だが、それではこちらも困ってしまう。俺たちは、あくまでもティエルクレスの素材を手に入れるためにやってきたのだ。
この結末は喜ばしいものではあるのだろうが、俺たちの目的に沿うものではないのである。
そんな俺の内心には気付いた様子もなく、ティエルクレスは笑みを浮かべながら続けた。
『これも、意味があったわけではない。お前たちが記憶の中で人々を救ってくれたとしても、現在が変化するわけではないからな。だが……一時的とはいえ、私が正気を取り戻すきっかけとはなった』
「やっぱり、あの戦いにも意味はあったんですね」
「一人も犠牲者を出さずに、となると結構難易度は高かったしね」
降りてきた緋真たちも、ティエルクレスの言葉を聞き納得した様子で頷く。
どうやら、ここまでの行動によって結末が大きく異なるイベントであったようだ。
果たして、俺たちが選んだ選択が最善のものであったのかは謎だが、そうそう悪いものではないのだろう。
『改めて感謝を告げる。あり得ざる夢とはいえ、実に痛快な光景だった。私からお前たちに渡せるものはそう多くはないが、できる限りのものは渡しておこう……今の私には、最早必要のないものだ』
「……そうか」
『む? どうかしたか? 他に求めるものがあるなら、遠慮なく言ってくれ。お前たちはそれだけのことをしてくれたんだ』
どうしたものかと悩む俺の様子を見て、ティエルクレスはそんな提案を口にした。
ひょっとしたらティエルクレスの報酬をそのまま受け取った場合にも、必要となる素材は手に入るのかもしれない。
だが、もしも手に入らなかったとしたら、俺たちはこのイベントをもう一周実行しなくてはならなくなる。
できるだけ、今回だけで戦いは終わらせておきたいのだ。
故に俺は、ダメ元ではあるが、ティエルクレスへと一つの願いを申し入れた。
「元々、俺たちはアンタと戦いに来たんだ。俺たちの武器を鍛え上げるのに、アンタの力の一部が必要だったんでな。だから、ここで終わっちまうのは少々拍子抜けなのさ」
解放していた餓狼丸や紅蓮舞姫は、今のところその解放状態を維持している。
イベントが終わっておらず、完全には戦闘状態が解除されてはいないためか。
逆に言うと、まだ戦闘を行う可能性があるということでもある。
ここから、ティエルクレスと戦うという選択もあり得るはずだ。
「だから、一手付き合えないか、ティエルクレス。アンタほどの戦士と戦えるのであれば、いい経験になりそうだ」
『……また、随分と物好きな奴だな』
俺の発言に、ティエルクレスは呆れた様子で溜息を吐き出す。
流石に、無茶のある問いかけだったか――そう思っていたのだが、俺は彼女の表情を見てその考えを改めた。
彼女の口元に浮かべられていたものが、戦意に満ちた力強い笑みであったが故に。
『今の私でいられる時間も、今日一日程度だろう。ならば、久しぶりの力試しというのも悪くない。相手がお前たちであるなら、猶更だ』
そう口にして、ティエルクレスはその大剣を肩に担ぐ。
それだけで、周囲にはまるで押し潰されんばかりの圧倒的な威圧感に支配された。
戦慄と共に餓狼丸を構え直しながら、俺はその戦意を真っ向から受け止める。
『レーデュラムの騎士団長、ティエルクレスだ。今の私はその残骸に過ぎずとも、技の冴えが衰えたつもりは無い――お前たちへの敬意を以て、全力で相手をさせて貰おう』
「……久遠神通流のクオンだ。異邦人、女神の使徒、肩書は様々あるがどうでもいい。アンタには意味のないものだろうからな」
『ふむ。ではクオンの一党よ――不滅の剣の力、思う存分に味わって行くといい!』
そう宣言した直後、ティエルクレスの姿が消える――否、目にも止まらぬほどの速度でこちらへと突進してきている!
ステータス強化に特化した彼女の身体能力は、この場の誰よりも高い。下手をすればシリウスを越えている可能性すらあるだろう。
公爵級悪魔とすら正面から殴り合えるであろう身体能力を前に、マトモな手段で対抗などしていられない。
久遠神通流合戦礼法――終の勢、風林火山。
故に、初めから出し惜しみなどしない。最初から全身全霊で、この偉大な戦士の相手をするべきだ。
加速する意識の中で捉えたティエルクレスは、何の小細工もなく正面から、身の丈ほどもある巨大な剣を振り下ろしてきている。
例のよく分からないテクニックは使用されていない。あれは流石に大技であるようだったし、使用後の隙もある以上は無造作に振るってくることはないだろう。
(小手調べで、これか……ッ!)
斬法――柔の型、流水。
ティエルクレスの一閃へと刃を合流させ、その軌道を逸らす。
それだけで伝わってくる凄まじい衝撃に、俺は内心で戦慄を叫ばずにはいられなかった。
軌道を僅かに逸らすだけで、手が痺れかねない程の重さだった。とてもではないが、正面から受けきることなど不可能だろう。
『ほう……! これを往なすか!』
斬法――柔の型、流水・浮羽。
逸らした一閃が軌道を変え、横薙ぎに俺の胴を両断しようと襲い掛かる。
それに対し、俺は摺り足で一歩前へと出ながら刃を合わせ、相手の攻撃の勢いに乗った。
まるで自動車に撥ね飛ばされそうになっているかのような衝撃だ。しかし、そのエネルギーの全てを体捌きで吸収しながら、俺は手首を返しつつ刃を振るった。
「『命餓一陣』!」
斬法――柔の型、刃霞。
威力は大きくないだろうが、コンパクトな一閃と共に生命力の刃を飛ばす。
その一閃と共に飛翔した生命力の刃を、ティエルクレスは大剣を盾にする形で受け止めた。
傷ひとつない辺り、やはりあの大剣の耐久力もかなり高いようだ。
ただ二合のみの打ち合い、それだけで理解できた。
彼女を相手に、斬り合いが成立するは俺だけであるということに。
「お前たちはシリウスを盾にする形で戦え! 反撃に対処できないような、下手な手出しはするなよ!」
圧倒的な身体能力を持ちながら、小回りの利くティエルクレスという戦士。
彼女の攻撃を受け止められるのは、風林火山によって身体能力を底上げした俺と、純粋に高い防御力を持つシリウスだけだろう。
他のメンバーは回避に専念して何とか対処するのが精一杯なはずだ。
『先ほどの戦いでも実力の高さは見て取れていたが……どちらかと言えば、お前は対人戦の方が得意なようだな』
「そういう剣術だからな。とはいえ、アンタを人間の範疇に入れていいのかは甚だ疑問だが」
『はははっ、言ってくれるものだ!』
再度襲い掛かってくるティエルクレスに、こちらも積極的に前に出る。
どうにかして、コイツを釘付けにしなければ勝ちの目を拾うことはできない。
大剣を持った相手だから、より近い距離で踏み込めば――とも思うが、相手は片手で大剣を振れる上に、空いた片手で掴まれればその時点でこちらの敗北だ。
相手の大剣の間合いよりも近く、素手の間合いよりも遠い、餓狼丸にとって最適な距離。
それを維持しながら戦うことこそが、俺に残された唯一の活路である。
(――最高の敵だ)
極大の戦慄が、五月蠅いほどに心臓を高鳴らせる。
ただそれだけで燃え尽きそうなほどの鼓動を胸に、俺は歓喜と共に死地へと身を躍らせた。