691:こころのかたち
書籍版マギカテクニカ第9巻が11/17(金)に発売となりました。
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周囲の景色が、再び現在のものへと戻る。
見る影もなく崩れ去った、ボロボロになった部屋。
隣の部屋と比べて明らかに劣化しているこの場所は、間違いなくティエルクレスが戦った跡地なのだろう。
過去の映像にもかかわらず、最後に聞こえたあの言葉。あれはきっと、実際に放たれた言葉だと考えられる。
深い嘆きと怒りが込められたあの言葉は、今も耳に張り付いているかのようだ。
「クオン、あれ。結晶体、さっきまでとはちょっと様子が違うわよ」
「ああ、妙に光ってるな」
アリスの言う通り、先程ティエルクレスが立っていた場所に残っているそれは、これまでのものとは様子が異なる。先ほどからずっと、淡く明滅を繰り返しているのだ。
赤と紫、少しずつ色を変えながら明滅するそれは、まるで何かを待ち構えているかのようだ。
困惑しながらもそれに近付き――その瞬間、俺の目の前にウィンドウが出現した。
「これは……記憶を統合だと?」
唐突に現れたシステムのウィンドウ、そこには『嘆きの記憶を統合』と記載されていたのだ。
どうやら、ここまで手に入れてきた『嘆きの記憶』はここで使用するものであったらしい。
ナンバリングとしてはきちんと順番になっていたが、果たして全てを手に入れられていたのかどうか。
だが、今更あるかも分からないものを探しているような暇もない。
ここはこのウィンドウの指示通り、『嘆きの記憶』を全て統合してみることとしよう。
インベントリから取り出した『嘆きの記憶』をウィンドウに近付けると、それらは全て砕けて光となり、ティエルクレスの残した結晶体へと吸い込まれていく。
明滅していた光は強くなり、しかし拡散することなく結晶体を中心として収束して――やがてそれは、これまでとは異なる形を成した。
歪で、平面部分に黒い穴の開いた多面体。それは正しく、あの映像の中でティエルクレスが握り締めていた物体だった。
「こいつは、あの映像の?」
「まさかそれ、本物ですか? どう考えたって厄ネタなんですけど」
「分からんが、放置していても何も始まらんだろうな」
あの化け物に関連するアイテムだとすると、正直関わり合いにはなりたくないが、放置していても何も変わらないだろう。
意を決して、その不可思議な物体を拾い上げる。その瞬間、響いたのは僅かに聞いたものと同じ、ティエルクレスの声であった。
『皆死んだ、誰もが……たった一日で、何もかも』
『こんなものの、ために……ッ!』
『全て殺す、そしてこいつも海に叩き返してやる』
『――これ以上、何者にも、我らの故郷を汚させはしない』
深い嘆き、そして怒り。それらを抱えながら、それでも狂気に堕ちることはなく。
全てを失ったティエルクレスは、それでもたった一人で決着をつけに向かったのだろう。
全ての元凶となった多面体、あれを海へと還すために。
「アイテム名、『ティエルクレスの記憶』か。どうやら、あの多面体の実物ってわけじゃないらしいな」
「それなら良かったですけど……改めてあの化け物の群れが出てきても困りますし」
「その時は大公級の本拠地にでも投下してやるところだがな。それはともかく、こいつは海に持って行けばいいのか」
恐らくは、例の多面体を引き揚げた場所であろう港町。
そこが、ティエルクレスの記憶が指し示していた場所であり、恐らくはこのクエストの終着点であろう。
過去の結末は決まっている。だが、そこに至るまでに何があったのか、そして俺たちが見届けることにどのような意味があるのか――それは、俺たち自身が確かめなければなるまい。
ここまで知ったからには、ティエルクレスとの戦いの前にそれを見届けたいところだ。
「港へ向かおう。どんな結末になるのかは――本人に直接、確かめてみるとしようか」
あれほどの状況でありながら、ティエルクレスの声は死んではいなかった。
全てを失い、嘆きの果てに在ろうとも、彼女の胸裏には怒りの炎が燃え続けていたのだ。
そんな彼女が、ただ粛々とあのアイテムを海に返すだけでは終わらないだろう。
何が起こってもおかしくはない、覚悟を決めて向かうこととしよう。
* * * * *
城の地下を抜け出してから、さっさと空を飛んで東へと向かう。
港までの距離はそう遠くないとはいえ、流石に徒歩で向かっていたら日が暮れそうだ。
一応、地上に何かあるかもしれないため低空飛行で注意はしていたが、特に何事もなく港町まで辿り着いてしまった。
「予想はしてましたけど、こっちの方が徹底的に壊されてますね」
「海から現れたのはそうなんだろうな。その後どこかで転移したんだろう」
連中があの多面体を探していたことは恐らく間違いではないだろう。
だが、海から現れたその時点で所在を把握していたとは考えづらい。
最初から分かっていたならば、とっととあの城まで転移した方が手っ取り早いからだ。
それにしても侵略のスピードがあまりにも速すぎるとは思うが、これまでの動き方を見るに、どうにも奴らは重要施設を優先的に狙っていたようにも思える。
奴らを指揮していた何者かは、奇襲攻撃の方法を熟知していたようだ。
「とりあえず、向かうべき場所は分かってるんだ。さっさと埠頭まで向かうぞ」
「……結局、それって何だったんですかね?」
緋真は、俺が手に持っている多面体を横目に見つつ、そんな疑問を口にする。
生憎と、それに関する答えを持ち合わせている者は誰もいないだろう。
ひょっとしたら、詳細に探し回れば情報があったのかもしれないが、今のところ俺たちが分かっているのはあの研究資料の内容程度だ。
「何かしら、資源やエネルギー源のように使える代物だったんだろうな。実物は無いから解析もできないが」
「他人事だから言える話だけど、運が無いわよね。引き揚げてしまったのも偶然だったんでしょうし」
「それで化け物の集団に襲われるなんて、堪ったもんじゃないですよ」
「ああ、全くだ」
彼らも、悪気があってそれを回収したわけでもなければ、悪用しようとしたわけでもないだろう。偶然それを手に入れ、調べていただけだ。
ひょっとしたら、どこかに悪意を持った人間が介在していたのかもしれないが、少なくとも民の大半は知る由もない話だろう。
言うまでもなく、国を滅ぼされるほどのことではない筈だ。
(それを目の当たりにしたティエルクレスの怒りは、並大抵のものじゃないだろうな)
この国の大地に染みつくほどの、強烈な残留思念。
今のティエルクレスの正体がそれであるというならば、果たしてどれほどの怒りであったのだろうか。
彼女の抱いた感情は、共感を覚えているとはいえ、理解できるなどとは口が裂けても言えないだろう。
「海が近いですね。そろそろ……」
「ああ、埠頭が見えてきたな。正確には、その跡地だが」
港町になっているため、海岸は砂浜ではなく埠頭となっている。
岩でできた部分についてはまだある程度形を残しているが、それ以外はほぼ抉られたように消滅していた。
元々は桟橋でもあった場所なのだろうか。今では、その陰すらも目に付くことはない。
そして、そんな港に近付くにつれ、手に持った多面体は徐々に震え始めた。
「……! 近いな、そろそろ何かが起きるぞ」
「戦闘準備をした方がいいですかね?」
「どんな流れになろうと、戦うことはまず間違いないだろうよ」
果たして、戦うのはティエルクレス本人か、それともあの化け物共か。
いい加減、このレーデュラムのクエストも最終局面に入っていることだろう。
その結末を確かめるため、俺は餓狼丸を抜き放ちつつ前へと進み――その瞬間、左手に持っていた結晶体が、眩い光を上げながら砕け散った。
思わず眼がくらみ、細める。そして次に視界が戻った時、周囲の状況は一変していた。
破壊された、しかし真新しい痕跡が見て取れる街並み。大時化のように荒れる海。
――そして、海から姿を現した巨大な異形の怪物と、それを前に立つ赤い髪の女騎士。
この国の最期となったであろう光景を目にし、俺はその戦列へと加わるために地を蹴った。