681:レーデュラム跡地
翌日、俺たちは比較的早い時間から出発した。
目的地まである程度近付いているとはいえ、まだそれなりに移動する必要はある。
尤も、今度は林の中というわけではないため、移動にはそれほど時間はかからないのだ。
「でもいいの? 一応、この辺りもエインセルの支配領域でしょう?」
「確かにその通りだが、そこまで気にする必要はないと思うぞ」
共にセイランに乗っているアリスの疑問に、俺は周囲の気配に警戒しつつもそう返す。
確かにアリスの言う通り、この辺りはまだエインセルによって支配されているエリアである。
だが、流石に奴の本拠地と思われるエリアからは遠く離れており、尚且つ特に資源となるようなものが目に付くわけでもない平原だ。
こんなだだっ広いエリアを、しかもプレイヤーと接していない北側を警戒するような理由は、エインセルには存在しないだろう。
「監視の目は薄いだろうし、見つかってもすぐに潰せば対処できる。それに……もう少しでレーデュラム跡地だ。そこまでは、奴らの手も及んでいないだろうよ」
「悪魔はティエルクレスと戦ったのかしら?」
「まあ、何度か交戦はしてるだろうな。ひょっとしたら、一度か二度は勝利しているかもしれん。だが――」
「倒しても倒しても、次の日には復活する。それも、上位の悪魔に匹敵する戦力の持ち主が」
悪魔だろうが人間だろうが、侵略者にとっては悪夢そのものだ。
何しろ、倒したところで意味がない。レーデュラムの土地を狙う者にとって、悪夢そのものと呼んで差し支えない存在だ。
カエデの口ぶりから察するに、ティエルクレスは最低でも侯爵級の実力を有しているだろう。
それが幾度となく襲い掛かってくるのだから、とてもではないが対処しきれるような存在ではないのだ。
「とにかく、この辺りはそれほど悪魔に警戒する必要はない。まあ、追われることになったら流石に何とかするがな」
「敵を引き付けたまま強敵の縄張りに入りたくないものね」
尻に火が付いた状態で敵陣に突っ込んでいくのは流石に避けたいところだ。
これに関しては、悪魔ではなくとも普通の魔物でも同じであるのだが。
しかし、この辺りで見かけるのは草食動物型の魔物の類で、これらは積極的にこちらを襲ってはこない。
見かけるのは鬣が水でできている馬やら、体に赤いラインが浮かび上がっているヌーやらだ。
どちらもただその辺をうろついているだけで、こちらの姿を見ても襲ってくる様子はなかった。
(ああいうのは、下手に手を出すと周囲の魔物がまとめて寄ってくるからな……)
経験値稼ぎにはそれなりにいいかもしれないが、流石にこれから強敵に挑もうというタイミングで消耗するわけにはいかない。
経験値は少し惜しいが、今は手を出すべきではないだろう。
それにしても、昨日の移動速度が嘘のようなスピードだ。警戒する必要があったため仕方なかったのだが、こうしてすいすいと進めていると少し空しくもなる。
「先生! あの丘を越えた辺りで、見えてくるんじゃないですか?」
「ああ、そろそろの筈だ。まだ踏み入れてはいないが、いきなり襲ってくる可能性もある。注意しろよ!」
表示しているマップでは、そろそろレーデュラムの跡地に入る。
ティエルクレスはいきなり襲ってくるのか、それともある程度内部に踏み込む必要があるのか。
それ以上の情報が無いのだから、警戒を絶やさず進むべきだろう。
だがまずは、目的地の様子を見たい。そう思いながら辿り着いた丘の上で、俺たちは一度スピードを緩めて立ち止まった。
「……成程、あれがか」
「地図的にも間違いなさそうですね。あれが、レーデュラム跡地です」
僅かに痕跡だけが残る、荒れ果てた街道。
崩れ落ちた柵や、小屋の残骸。それらが点々と続く先に、その姿はあった。
遠くに見える海を背景に佇む、崩れ落ちた巨大な都市。
崩壊した外壁は既に苔むし、草木に覆われている。その向こう側には、風化した瓦礫の山と、既に形を保っていない城と思わしき痕跡だけが残っていた。
「正しく廃墟だな……思ったよりは形を残してる気もするが」
「そうですか? ほぼほぼ原形は留めてませんけど」
「カエデの口ぶりからして、相当昔の話だったからな。復興どころか瓦礫の撤去すらなかった以上、この有様も仕方のない話かもしれんが」
悪魔の襲撃を受け、昨日今日壊されたような有様ではない。
この状況では、使えそうな建物を探すことすらも不可能だろう。
仮に使えるものがあるとすれば、密閉された状態の地下室程度か。
他のものは、拠点にしろアイテムにしろ、風化していて使えたものではないだろう。
「話を聞く限り、ティエルクレスは海を狙ってきた国すらも退けた。ということは、都市だけじゃなくてその周辺にも出現する可能性はある」
「成程……確かに、あの街は海に面してはいないですもんね」
流石に、首都をそのまま海に面した国にはしなかったか。
といっても、海からはそこまで離れた位置というわけではなく、海の傍には別の街の建造されていたようだ。
あちらは海風も強いためか、ほとんど痕跡が残るばかりであるようだが。
(……いや、そういえば、この国が滅んだ原因は海から来たんだったか)
カエデが言うには、海から正体不明の魔物が出現し、それによってこの国は滅ぼされたという。
であれば、真っ先に襲われたのはあの港町であったのだろう。
大半が崩壊してしまっているのも、当然と言えば当然のことであったか。
「とりあえず、行くとするか。ここからは注意して進むぞ」
「ですね。突然大ボスが出てくるかもしれないわけですし」
「私もスキルを使って警戒しておくわ。何かを見つけたらすぐに報告する」
「頼んだ。じゃあ、行くぞ」
意識を共有し、今度は騎獣から降りて歩き出す。
セイランの上でも戦えないわけではないのだが、やはりとっさの判断にはワンテンポ遅れることになってしまうだろう。
いきなりティエルクレスが現れるかどうかは分からないが、そういうパターンも警戒しておくべきだろう。
丘を降りながらレーデュラム跡地へと向かって行くが、とりあえずはすぐに何かが起こる様子はない。
おかしな気配も、魔力の揺らぐ様子もなく――それどころか、魔物の気配すらも皆無だ。
風の音と、遥か彼方の潮騒がほんの僅かに聞こえる程度。だからこそ、逆に不気味にも思えた。
「本当にボロボロですね……どれぐらい昔だったんでしょうかね」
「さてな。カエデは時間感覚が適当そうだったから分からんが、かなり昔ではあるだろうさ」
そもそもの話、海から現れた謎の魔物というものも突拍子が無い話だ。
悪魔でも何でもない第三勢力だが、果たして現在も存在しているのかどうか。
現れたものについてはティエルクレスが退けたという話だったが、絶滅したということはないだろう。
果たして何のために現れ、レーデュラムを滅ぼしたのか――気になることは気になるのだが、それを解き明かす方法があるのかすらも謎だ。
「……今になってそんな第三勢力と言われても困るからな。もう出てこないでくれることを祈るしかないが」
「そいつらが悪魔と敵対するなら……ってわけでもないんですね?」
「そりゃな。ドラグハルトですらいっぱいいっぱいだってのに、意志疎通すらできない化け物なんぞ勘定に入れたくはないだろうよ」
上手いこと誘導できれば悪魔にぶつけられるのかもしれないが、到底制御できる気がしない。
そんなものは戦力として当てにするものではないだろう。
そんな怪物はもう二度と現れないことを祈るばかりだ。
「まあ、今は出るかも分からん魔物のことより、ティエルクレスのことだ。そろそろ、何かしらアクションがあってもおかしくないとは思うが」
レーデュラム跡地にはかなり近づいてきている。
今のところ、何かが動く気配すらない、穏やかな道行きだ。
だが少なくとも、あの崩壊した門の先まで足を踏み入れれば、何かしらのアクションはあることだろう。
――そんなことを考えていた刹那、変化は何の前触れもなく発生した。
「――――?」
違和感。何かがおかしいと、直感が囁いている。
耳に入る音、肌に触れる空気の感触。言葉では表現しがたいその感覚に、俺は思わず眉根を寄せた。
だが、変化は変化だ。確実に、この場で何かが起ころうとしている。
「注意しろ。何かが起こりそうだ」
「何でしょうね、これ……ノイズというか……連続性のない音が、切り替わって?」
何が何だか分からない。だが、確実に何かが起ころうとしている。
この場で起こる異常など、まず間違いなくティエルクレスに関連する事柄だ。
餓狼丸を抜き、意識を集中させながら、ゆっくりと跡地へと近づいて――
『――イベントクエスト《悪夢の日、嘆きの清算》を開始します』
――視界が、一瞬のノイズと共に切り替わった。
幾人もの人々がこちらへと向けて逃げ惑う、現実感のない光景へと。