663:北の逸話
「……その様子だと、知っているみたいだな」
不滅の剣、ティエルクレス。その名を耳にしたカエデの反応に、俺はそう確信して問いかけた。
カエデの方も隠すつもりは無かったのか、軽く溜め息を吐きながらそれに答える。
「ああ、知っているよ。北の地に住む儂らにとっては、有名な逸話だからねぇ」
「逸話……伝説に語られるほどの存在か」
「儂にとっちゃ、そこまで昔の話ってわけでもないが……伝説といえば伝説だね」
神仙と呼ばれる辺り、相当な長生きなのか。
その辺りの実態も気になるのだが、今はティエルクレスに関する話の方が重要だ。
隠し立てをするつもりが無いのなら、素直に話を聞いておくこととしよう。
「悪魔共による侵略よりも前、もっと昔の話さね。ここより北東、山脈の向こう側にレーデュラムという国があった。今では滅び去り、その跡地だけが残る国だがね」
「跡地ってことは、他の国によって侵略されたわけじゃないのか」
もしも他国が攻めてきたものであれば、完全に滅び去るということはなかっただろう。
国を丸ごと滅ぼすという戦い方は、あまりにも労力がかかり過ぎてしまうのだ。
跡地になるまで滅ぼすなど、人間の手によるものであるとは考えづらい。
そんな俺の考えに、カエデは頷きながら続けた。
「レーデュラムは、青い海を臨む美しき国だった。そんな国が、一晩の間に滅び去ったのさ」
「……普通なら、あり得ないというところなんだがな。しかし、それは悪魔じゃないんだろう?」
「そうさね。儂とて、その原因を直接目にすることは終ぞなかった。国から逃げ出した僅かな生き残りの証言を聞いただけさ――海から、言い知れぬ姿の悍ましい怪物が現れたと」
カエデの言葉に、俺たちは揃って眉根を寄せる。
あまりにも、突拍子のない話だ。悪魔でも何でもない、突如現れた怪物――果たして、その正体は何者なのか。
生憎と、カエデですらその正体は把握していない様子であった。
「儂も話で聞いただけである故、詳細は分からん。しかし、その特徴は儂の知る魔物の中には無いものであった。海にすむ未確認の魔物か、はたまた東の大陸から渡ってきた存在か――今となっては、確かめる術もない」
「……その魔物は全て駆逐されたのか?」
「他ならぬ、ティエルクレスの手によってね」
本題であるその名前に、思わず眼を見開く。
剣というぐらいだから人型なのだろうと思っていたが、元々は人間だったのか。
そんな俺の疑問を肯定するように、カエデは説明を続けた。
「ティエルクレスはレーデュラムの騎士団長だった女さね。赤い髪をなびかせ、長大な剣を舞うように振るう。その実力は、儂も認めるところだったよ。あ奴が生きておれば、或いは悪魔の侵略を耐えることができたかもしれないと」
「それ程か……だが、そのティエルクレスはどうなったんだ?」
情報の出所が成長武器の要求素材であるため、詳しく説明することはできないのだが、要求されている以上は魔物として存在しているということになる。
死した後にアンデッドとなったのか、或いは何かしらの仕掛けでも存在するのか。とにかく、戦う手段はある筈なのだ。
そうでなければ、俺たちがティエルクレスの素材を手に入れることなどできるはずもない。
「……そうさね。お前さんたちが探しているのは、その後の話だろう。ティエルクレスは命と引き換えに全ての魔物を殺し尽くし、しかし国の民もまた殆どが死に絶え、レーデュラムは滅び去った。しかし、そこは海を臨む国。その土地を望む者たちは大勢いたのさ」
「それはそうだろうな。特に大陸中央側の国にとっては垂涎の土地だろうさ。だが、跡地といわれていたということは、誰もその土地を奪えなかったんだろう?」
「その通り。他でもないティエルクレスが、その土地を守り続けていたが故に」
既に死んだはずのティエルクレスが、土地を守り続けていた。
やはりアンデッドとなった、ということなのだろう。死してなお、彼女は己の国を守護し続けているのだ。
カエデは噛み締める様に口にしながら、その視線を北へと向ける。
「元々、あ奴は意志の強い女であった。その強烈な意志だけが、今もなお残り続けているのさ」
「それは亡霊というか……残留思念、みたいな感じでしょうか?」
「そうさね、お嬢ちゃん。ティエルクレスの亡霊、或いは残留思念。レーデュラムという土地そのものに、血と共にこびり付いた烈火の如き怒り。故に今のあ奴は消えることはない。たとえ討ち取ることができたとして、日を跨げば再び現れるだろう」
「まさに、『不滅の剣』というわけか」
その土地を狙う者たちにとってみれば、悪夢のような存在だっただろう。
とんでもない強さを誇る亡霊でありながら、たとえ討ち取ることに成功したとしても、次の日には何事もなかったかのように現れるのだから。
根本的な解決手段が見つからなければ、諦めるのも無理はない話だ。
「つまり、お前さんの探している『不滅の剣』とは、レーデュラムの跡地に出没するティエルクレスの亡霊だろうね」
「情報、感謝する。それと、不用意に名前を出してしまったことは謝罪しよう」
「なに、それは気にせんでもいいさ。今のアレはティエルクレス当人ではないし、魔物であることにも変わりはないんだからね」
ティエルクレスの亡霊、それが俺たちの成長武器を次の段階に進化させるための標的だった。
国を守るために戦い抜いた相手となれば、相応の敬意を以て戦うべきだろう。
尤も、直接己の目で確かめない限りは、それがどんな状況なのかも分からないのだが。
とはいえ、目的の一つがはっきりしたのは喜ばしいことだ。ティエルクレス当人に関する根本的な解決手段は無いのだろうが、素材を手に入れることは恐らく可能だろう。
「どうするの、クオン。情報は手に入ったけど――」
「挑むにはまだ早いだろう。成長武器のレベルも戻せてはいないしな。一つレベルを上げるまでは拠点近くで動いて、レベルが上がったら探索に向かえばいいさ」
山脈を挟んだ向こう側の北東。移動するには中々手間だ。
戻る分にはスクロールを使えばいいのだが、生憎と一度帰還してしまうと元の位置に戻るまでに大層苦労することになる。
ここはしばらくの間、拠点周辺でレベル上げを行うべきだろう。
「ふむ……どうやら、必要な情報は見つかったようだね」
「感謝する。俺たちにとっては、どうしても必要な情報だった」
「構わんさ、この程度で礼になるのならね」
これで先の森での件は貸し借り無しということだろうか。
見た目通りというか、中々に老獪な婆さんである。
まあ、値千金の情報であったため、それは構わないのだが。
「そういえば、アンタのことは異邦人の間では話題に出さない方がいいのか?」
「いや、構わんよ。ただし、次は道案内をするつもりは無いけどねぇ」
俺の問いに対し、不気味に笑いながらカエデはそう答えた。
どうやら、この隠れ里の存在自体は隠す必要はないらしい。
まあ、今後はあの霧の領域を何とか自力で踏破する必要があるらしいが。
「あのトレント共は倒しても構わないのか?」
「ああ、別に問題はないよ。どうせ倒してもすぐに生えてくるからねぇ」
「……相変わらず、魔物の生態ってもんは良く分からんな」
まあ、里を隠す霧が維持できるのであれば問題はないか。
神仙と称されているカエデは、恐らく仙術に関する第一人者なのだろう。
使い手が少ないためその性質はさっぱり分からないのだが、身内にその使い手がいる以上は無視もしきれない。
何かしら、強くなるためのクエストでもあるかもしれないし、師範代たちやアルトリウスには紹介しておくこととしよう。
「世話になった。機会があったら、また伺わせて貰おう」
「ああ、またいつでもおいで」
軽く頭を下げ、カエデの前から辞去する。
建物から出ると、様子を窺っていたらしいコルーと目が合ったが、何やら小動物のような慌てっぷりで距離を取られてしまった。
近くにあった灯篭の陰から再びこちらの様子を伺い出す少女の様子に、思わず半眼を浮かべて声を上げる。
「俺たちの用事は終わったし、帰らせて貰うが……何か用事か?」
「な、何も用事なんかありまセンけど!?」
「……そうか。じゃあ、失礼する」
思えば、コイツも仙術を扱っていたため、恐らくはカエデの弟子のような立ち位置なのだろう。
まあ、どのように教えているのかも分からないし、彼女らの関係性について踏み込むつもりもないのだが。
その辺りは、仙術に関してのイベントなりクエストなりになるだろうからな。
(巌の奴が世話を焼くかどうか……ああ見えて、何だかんだと面倒見はいいからな)
軽く溜め息を吐き出し、後ろ手に手を振りながら隠れ里を後にする。
色々と気になることはあるが、とりあえず、今はやるべきことを優先することとしよう。