652:竜の心臓
巨体を誇っていたデルシェーラの体が崩壊し、それと共に周囲の景色もまた元の状態へと戻っていく。
やはり、この空間そのものも、デルシェーラの力によって構築されていたものだったのだろう。
いかなる能力だったのかは結局分からなかったが、何にせよ元に戻ることができて何よりだ。
とはいえ――まだ油断できる状況ではないようだが。
(戦闘終了のも、ワールドクエストの達成のアナウンスもない。だが、デルシェーラは確かに倒し切った筈だ)
これまでの戦いでも、それなりに経験のある事象ではある。
まだ、このクエストには何かしらのイベントが残っているということなのだろう。
地上に降り立ち、しかし餓狼丸は手に携えたまま、俺は沈黙しつつ周囲の気配を探る。
他のプレイヤーたちも異常に気が付き始め、警戒した様子で周囲の状況を探っていた。
果たして、何が顔を出そうとしているのか――その答えは、押し潰されるような衝撃と共に明らかになった。
「――見事。貴公ら、実に大義である」
低く重い、男の声。
その声に込められた魔力のあまりの巨大さに、思わず地に押し潰されるかと錯覚するほどの衝撃を覚えた。
否、実際にその声だけで膝が折れ、地に伏してしまっている者もいる。
そんな気配に思わず舌打ちしながら、俺は餓狼丸を手に携えたままその声の方向へと視線を向けた。
――そこに、黄金が立っていた。
「よくぞ、破滅の一端たるデルシェーラを討ち取った。しかも此度は完全なる形での討伐――実に見事だ。貴公らの力、この目に焼き付けさせて貰った」
その言葉の中に、嘲りも侮りもない。ただ純粋なる、称賛の言葉。
声を聞いただけならば、それが悪魔の発したものであるとは思わなかっただろう。
だが、その言葉を発した存在は、紛れもなく悪魔であった。
黄金の長髪を流した偉丈夫。古式ゆかしい豪奢な衣に身を包み、その上に紅のマントをを羽織る美男。
その手に武器は無く、両手を広げたその姿勢は隙だらけではあるだろう。
しかしながら、その男が伴う二人の悪魔の存在がある限り、安易に攻撃することなどできはしない。
黄金の男が伴っているのは、全身甲冑を纏った恐らくは女の悪魔と、燕尾服の上に前開きのローブという奇妙な出で立ちをした黒髪の男悪魔だ。
中央の悪魔があまりにも規格外であるのだが、その両者にしてもかなり強力な悪魔だろう。
魔力の規模からして、恐らくは三体ともが公爵級――消耗した今の状態では、到底勝ち目などない相手であった。
「……何者だ」
「ふむ……失敬。余ともあろう者が、つい興奮してしまったようだ」
俺の声に、正面から見て左隣にいた甲冑の悪魔が剣の柄に手を掛ける。
しかし、それを手で制した黄金の悪魔は、まるで気分を害した様子もなく、泰然とした笑みのままに声を上げた。
「余はドラグハルト――公爵級第一位、竜心公ドラグハルトである」
「――――ッ!」
公爵級の頂点、大公を除けば最上級の悪魔。
その発言に、俺は衝撃を受けるとともに納得感をも覚えていた。
ただ、声を発しているだけで天地が砕け散りそうなほどの圧迫感――その称号に相応しい、正真正銘の怪物だろう。
「貴公のことは知っているぞ、魔剣使い。女神の使徒の筆頭、異界の英雄たるクオンよ」
「そりゃ光栄なことだ。俺はそっちの二体は知らんのだがな」
「良き胆力だ。英雄たる貴公の言葉ならば不敬も気にはならぬ――故、その言葉を許そう。卿らも、余のみに名乗らせるつもりではあるまい?」
警戒を滲ませた俺の言葉も、黄金の悪魔――ドラグハルトはまるで意に介した様子もなく笑っている。
そしてその言葉に、奴の伴う二体の悪魔は揃って声を上げた。
「……公爵級第二位、レヴィスレイト。我が主の言葉故、名乗ったまでだ。人間共と慣れ合うつもりなどない」
「僕は別に良いのですがね。公爵級第四位、アルファヴェルムです。どうぞよろしく」
堅苦しい様子の女悪魔レヴィスレイトと、逆に慇懃な態度であるアルファヴェルム。
どうやら、この二体の悪魔はドラグハルトを主君として仰いでいるようだ。
順位の差があるとはいえ、共に同格の公爵級だというのに、そのような関係性となっているとは。
だが、同時に納得でもあった。このドラグハルトという悪魔は、それほどまでに王者の風格を漂わせていたのだ。
(アルトリウスの奴も、あと二十年……いや十年あればこれと同格になれるかもしれんが、流石に今は厳しいか)
アルトリウスは、ドラグハルトの姿を見ても決して臆した様子はない。
だが、それでも硬い表情を隠しきれてはいない様子であった。
アルトリウスは優秀だが、まだ若い。年季の違いというものは覆しようがないのだ。
「それで、悪魔の親分が一体何の用だ」
「貴様――」
「レヴィスレイトよ、余は許すと言った筈だ」
「ッ……失礼致しました」
どうやら、レヴィスレイトはドラグハルトに心酔しているようだ。
そして同時に人間嫌い。分かりやすくはあるが、扱いづらい存在と言えるだろう。
だが、どうやらドラグハルトは積極的に戦うつもりはないらしい。
であれば、不必要に刺激し過ぎなければこの場は問題ないだろう。
殺気を引っ込めたレヴィスレイトの様子に頷いたドラグハルトは、変わらぬ泰然とした態度のまま続ける。
「このまま話を進めても良いが、やはりこれでは味気ない。アルファヴェルム」
「ええ、公よ」
その言葉に、アルファヴェルムはぱちんと指を鳴らし――その瞬間、俺たちの間にある地面にスパークが走った。
思わず餓狼丸を持ち上げかけるが、その行動に殺気は一切伴っていない。
下手な動きを見せればレヴィスレイトは容赦なく仕掛けてくるだろうし、不必要に警戒しすぎるのも良くないだろう。
そんな一瞬の葛藤の内に、アルファヴェルムの魔法はその形を成す。現れたのは、丸いテーブルと椅子であった。
向こう側の席は一つ、そしてこちら側は二つ。その向こう側の席に、ドラグハルトは当たり前のように腰を掛けた。
「掛けたまえ、英雄。そして勇者よ。余は、貴公らと話をするために来た」
「悪魔の頭領が、話とはね……だが、選択肢は無さそうだ」
どうやら、ドラグハルトは俺とアルトリウスをご指名のようだ。
今、こいつらの行動を阻む手段はない。素直に応じておくしか道は無いだろう。
俺とアルトリウスは緊張を抱いたまま席に着き、それを見たドラグハルトは満足した様子で頷く。
そして、横からはアルファヴェルムによって紅茶が差し出され、俺は今度こそ困惑を隠しきれずに顔を顰めた。
額面通りに受け取るのもどうかとは思ったのだが、まさか本当に話をするためだけに来たというのか。
「さて――では、改めて言葉を交わすとしよう。しかし、貴公らは戦勝の後。あまり迂遠な話は、讃えるべき勝利に水を差すことになってしまうだろう」
「仲間が討たれたことには、特に何もないのか?」
「派閥が違うとはいえ、デルシェーラも余の同胞。無論、無念はあるとも。しかし、それはデルシェーラの結末である以上、余が口を出すことはない」
やはり、どうも悪魔の関係性は分かりづらい。
だが結局のところ、こいつはデルシェーラの仇討ちに来たということはないようだ。
「余は、貴公らに一つ提案を持ち掛けたい。そのためにここに来たのだ」
「悪魔が……それもトップに近い貴方が、僕らに提案ですか」
「然様。デルシェーラを正面から打ち破るに至った貴公らであれば、これを持ち掛けるのも無駄ではないと判断した」
つまり、俺たちという戦力を当てにしての提案か。
だが、それはそれで不可解な話だ。圧倒的強者であるドラグハルトが、俺たちに何を期待するというのか。
アルトリウスも同じ考えなのか、困惑した様子で目を細め、ドラグハルトのことを見つめている。
俺たちの疑念を受け、この黄金の悪魔は不敵な笑みと共に声を上げる。
「――余は大公を排し、魔王を討つ。そのために、共同戦線を張ろうではないか」
――そんな、耳を疑うような言葉を、俺たちに叩き付けたのだった。