650:風の歩む先、凍れる城塞あり その37
デルシェーラは、体中の傷からバイアクヘーを排出しながら、四つん這いの状態にまで体勢を立て直す。
柱が崩れたことで、その巨大な肉体を支えることができていないようだが、その巨体が縮んだということは一切ない。
その巨体故の攻撃力、戦闘能力は、一切衰えていないのだ。
攻撃を当てられるようになったとはいえ、弱点である頭部を狙うには当然その腕の攻撃範囲に入る必要がある。
そうなると、この絶大な攻撃力に晒されることとなり、やはり危険であることに変わりはないのだ。
「腐っても公爵級か。ここまで面倒をかけてくれるとはな!」
そして何よりも厄介なのが、出現し続けているバイアクヘーだ。
ダメージを受けるごとにその数を増加させているため、空は飛び回るこの怪物たちに覆われつつあるほどだ。
まあ、個々としての能力はそこまで高くはないため、対処することは不可能ではないのだが――
「ちッ……流石に、一撃とはいかんか」
【咆風呪】で巻き込んだところで、一撃で倒し切れるわけではない。
強制解放が解除されてしまった今の餓狼丸では、攻撃力が足りていないのだ。
おまけに経験値も足りていないため、通常の解放を行うこともできない。
この決戦中は経験値を追加できないというのも厄介な点だ。どれほどバイアクヘーを倒しても、餓狼丸の経験値ゲージは一ミリたりとも増加しないのだから。
つまり、成長武器の能力を一切使用せず、普通に斬り合うしか道は無いのである。
(それでも、こいつら相手なら何とかなる。多めに引き受けてるんだから何とかしろ、アルトリウス!)
この状況であるのだが、バイアクヘーの多くが俺を狙って飛来してきているのだ。
与えたダメージの量に応じた行動ということだろうが、何とも面倒な行動ルーチンをしている。
それを考えるとディーンの方にもかなりの量が向かっていそうなものだが、彼はしっかりと退避して味方の援護を受けているようだ。
むしろ敵の誘蛾灯状態になっているためか、タンクたちからしたら扱いやすい状況なのだろう。
『砕け、よ――――』
デルシェーラは上空にいるこちらのことは気にせず、その腕を地面へと振り下ろす。
その瞬間、伝播する様に周囲へと駆け抜けた魔力が、氷の槍となって周囲を蹂躙した。
来ると分かっているとはいえ、本気を出した公爵級の攻撃。その威力は、並大抵の防御力で防げるようなものではない。
デルシェーラも追い詰められているためか、後先を考えていないような暴れっぷりだ。幾度も幾度も拳を叩きつけ、体からはバイアクヘーを吐き出し、周囲を蹂躙しようとしている。
(防御を捨てている。そこまで追い詰めてはいるってことだ)
ルミナの魔法を掻い潜るようにしながら接近してきたバイアクヘーを斬り捨てつつ、俺はそう判断する。
スピードを奪われ、攻撃を受けながらの戦法に切り替えた。攻撃を受ければ受けるほどバイアクヘーが増えるというその性質上、デルシェーラの攻撃はHPが減るほどに激化する。
そこまでしてでも、俺たちを全滅させようという魂胆なのだろう。
『堕ち、よ――――』
デルシェーラが両手を叩きつけると共に放出される魔力。
それらは空中で収束し、地上に氷の弾丸の嵐として降り注いだ。
個々の威力はそこまでではないだろうが、全面攻撃となると防ぐことも難しい。
一部のプレイヤーは、攻撃を防ぎ切れずに後退することとなった。
しかも、この攻撃は絶えず降り注ぎ続けている。一発一発の攻撃力はそこまでではないようだが、だからこそ維持も容易いようだ。
舌打ちして上空へと舞い上がろうとし――その前方をバイアクヘーの群れに塞がれる。
どうやら、この状況でありながらも、デルシェーラはこちらの動きを意識しているようだ。この魔法を破壊しに向かうことも難しいらしい。
しかし、それは同時に、デルシェーラがそれだけのリソースを割いているということでもある。
「ルミナ、タイミングを見て刻印を使え。畳み掛けるタイミングは分かる筈だ」
「タイミング、ですか……分かりました、あちらを注意しておきます!」
ルミナも多くの経験を積んでいる。機を逃すことはないだろう。
後は、いかにしてそこまで持ち込むか。時間をかければ可能だろうが、それはプレイヤー側とデルシェーラのリソースの削り合いだ。
どちらの体力が尽きるのが先か、という戦いになってしまうだろう。
ならば――
「シリウス、片腕を潰せ」
「――――ッ!」
これまで防御を主体で戦わせていたシリウスを攻撃に転じさせる。
そしてそれと同時、シリウスの後ろで援護に徹していた門下生たちが、一斉にデルシェーラへの攻撃へと転じた。
前へと進み出たシリウスは、デルシェーラが振り下ろす腕をその体で受け止め、鋭い牙で腕へと食らいつく。
無論、頑丈なシリウスとてダメージは大きいが、飛び交う回復魔法がシリウスのHPを回復させているのだ。
『ァ、ァア――――!』
デルシェーラのサイズを人間とすれば、シリウスのサイズは中型犬ほどか。
しかし、細いデルシェーラの腕ならば、シリウスの顎で十分に噛みつける。
牙と爪を突き刺し、溢れ出るバイアクヘーの攻撃を受けながら、それでもシリウスは腕を離さない。
そうして地面へと押さえつけられた奴の腕には、門下生たちの刃が巻き藁稽古の如く打ち込まれていた。
現れるバイアクヘーはその場で斬り捨て、ただひたすらに振り下ろされる無数の刃。
デルシェーラとて、それは注目せざるを得ないダメージであった。
『虫、が――――!』
シリウスを引きはがそうと、デルシェーラは右腕を振り上げる。
しかし、その腕へと向かって、シリウスの背中から深紅の炎が跳躍した。
「術式解放――【ボルケーノ】ッ!」
羽織を翻しながら燃え上がる緋真は、紅蓮舞姫の一閃で巨大な爆発を巻き起こす。
その破壊力は、しかし繊細な制御力を以て、流水の術理を再現しながらデルシェーラの右腕を地面へと叩き落した。
そして、更に《空歩》で跳躍した緋真は、デルシェーラの顔面へと向けて火球を炸裂させる。
それに呼応するように現れたバイアクヘーたちは【紅桜】の爆発で散らしながら、緋真はデルシェーラの正面を陣取って刃を構え直した。
「面倒なことをしてくれたお礼に、存分に燃やしてあげるとしましょうか!」
ここまで面倒なギミック対応をしていたおかげか、緋真もフラストレーションが溜まっている様子だ。
苛立ち交じりに声を上げながら、炎を宿す二刀を構え、緋真はデルシェーラに正面から挑む。
無論、なりふり構っていないデルシェーラは右腕で緋真を振り払おうとし――銀色の光と共に、緋真の位置が一瞬で移動した。
それを成したのは、いつの間にか緋真の背中に張り付くように移動していたアリスだ。
《闇月魔法》の呪文による転移。それによって攻撃を外したデルシェーラは、咄嗟に視線でその先へと視線を向ける。
――銀色の瞳を輝かせた、アリスの方へと。
『――――』
瞬間、ぴたりとデルシェーラの動きが止まる。
《闇月の魔眼》――あらゆる耐性を貫通して相手にバッドステータスを与えるそのスキルは、公爵級悪魔の本体が相手であろうとも有効だった。
「《術理掌握》――《オーバースペル》、【インフェルノ】! そして、【灼楠花】……!」
《空歩》にて、緋真は烈震と共に前へと跳ぶ。
炎の尾を引く突進。しかし先んじて振るわれるのは蒼く輝く左の小太刀。
その一閃が、デルシェーラの顔面を覆っていた黒い雲に風穴を開ける。
そして――
「――【炎刃連突】ッ!」
久しぶりに発動した魔導戦技が、デルシェーラの右目に突き刺さり爆裂したのだった。