649:風の歩む先、凍れる城塞あり その36
俺の一閃によって首を斬り裂かれると同時、デルシェーラはその場で四つん這いになるように崩れ落ちた。
その体が倒れるだけでもかなりの脅威なのだが、幸い近くにはプレイヤーが近寄ってきていなかったため、巻き込まれた者はいないようだ。
動きを止めたデルシェーラの様子に、俺とセイランは一旦スピードを緩めてその姿を観察した。
ここまでと違い、己の重さを支え切れていないかのような姿。軽やかさの欠片も感じられないような、鈍重な様相だ。
そして、それと同時に気付く。この巨人の体を中心に渦を巻いていた、あの凍えるような風が止んでいることに。
「あの風が、コイツのスピードの原動力だったのか?」
風に押された程度で出せるような速さではなかったが、あれはそういう魔法だったのかもしれない。
そして、それを発動していたのがあの氷の柱であり、それらを破壊したことによってこれまでのような身軽な動きが出来なくなったと。
正直、あのままでは手の出しようもなかったのだから、これが正しい攻略法なのだろう。
HPゲージは最後の一本、これさえ削り切ることができればデルシェーラを倒せる。ならば、動きを止めている今こそ畳み掛けるしかあるまい。
そう思いながら急降下しようとし――ふと、蹲るデルシェーラから広がる緑色の血液が目に入った。
その巨体故か、まるで池のようになっている緑色の血液。
――それが、突如として蠢いた。
「――――ッ!?」
背筋を這い上がった悪寒に、俺は咄嗟にセイランを方向転換する。
直後、不気味に揺れた血の水面が、突如として爆ぜるように噴き上がった。
否――血の中から、見たことも無いような生物が飛び出してきたのだ。
「何だ……!?」
それは、数えきれないほどに現れる黒い魔物であった。
人間より大きく、二メートル半ほどありそうな身長。人と同じように手足は二本ずつだが、見たこともないとしか言えない形状をしている。
若干黄色がかった黒い身体、頭部は馬のように長くありながら、先端には鳥のように嘴を持っている。
背中には巨大な翼を持ち、また腰から下には蜂のように膨れ上がった臀部を持つ、総じて異形としか呼べない魔物。
これまで見たことも無いような怪物が、数えきれないほどに奴の血の中から出現したのだ。
■バイアクヘー
種別:眷属
レベル:120
状態:アクティブ
属性:氷・風
戦闘位置:空中
名前はバイアクヘー、レベルは極端に高いわけではないが、無論低くもない。
だが、何よりも厄介なのは――
「速いな……!」
この魔物たちは、飛行するシリウスに追い縋るほどの速度を持っている。
少なくとも、高速道路を走る車並みの速度は出ていることだろう。
本気で飛ぶセイランに比べれば遅いのだが、通常の騎獣でこれより早く飛ぶのは困難だ。
それに、何よりも厄介なのは数の多さだ。デルシェーラの血液から出現しているようだが、その数は既に百を超えているだろう。
とてもではないが、マトモに戦っていられる数ではない。
(本気で飛べば振り切れるだろうが――)
厄介なのは、このスピードで飛びながら、こちらに魔法による攻撃を飛ばしてくるところだろう。
使っている魔法の属性は氷と風。攻撃に使っているのはほぼ氷だけのようだが、それでも十分に厄介だ。
機関銃のようにこちらを狙ってくる氷の弾丸を回避しながら、俺は思わず舌打ちを零す。
見れば、周囲のプレイヤーたちは蹲るデルシェーラへと攻撃をしようと近づいてきていたが、見事にバイアクヘーたちによる妨害を受けている状態だった。
個としての戦闘能力は大したものではないが、ただひたすらに数が多い。それ故に、思うようにデルシェーラへと攻撃が出来ていないようだ。
「ちッ……《ワイドレンジ》、《奪命剣》【咆風呪】!」
後方のバイアクヘーたちへと向け、【咆風呪】を解き放つ。
餓狼丸の解放時間は残り短いが、それでもまだ効果は持続しているのだ。
【餓狼呑星】を使っていないとはいえ、極限まで威力を強化されている【咆風呪】の一撃は、バイアクヘーたちの命を吸い尽くして俺のHPへと変換した。
先ほど【煌命閃】を使った分は回収できたが、さりとて状況が解決したわけではない。
飲み込んだバイアクヘーたちは一撃で落とせたが、こちらを狙っている連中はまだまだ存在しているのだ。
「最後の一撃はデルシェーラに叩き込みたいところなんだがな……《ワイドレンジ》、《練命剣》【命輝一陣】!」
とりあえずは生命力の刃を飛ばし、こちらを追い縋るバイアクヘーの群れを真っ二つにする。
機動性も悪くないようで、直線にしか攻撃できない【命輝一陣】はそこそこ回避されてしまったようだ。
ある程度は当たっているため、決して無駄ではないのだが、やはり【咆風呪】と比べると落とせた数は少ないようだ。
それでもある程度圧力は減ったため、セイランに合図して方向を転換する。
(他の連中が近付いたおかげで、こっちはある程度余裕はできたが――)
地上のプレイヤーたちは、遠距離攻撃可能なプレイヤーからデルシェーラへと攻撃を開始している。
それによって血が飛び散れば、再びバイアクヘーが出現するという流れなのだが、それらのバイアクヘーは俺の方ではなく、地上のプレイヤーを狙っている様子だ。
また、俺がデルシェーラから大きく距離を取ったためか、俺が付けた傷から出現するバイアクヘーも他のプレイヤーを狙いつつある。
これならば、少しすればこちらの圧力は大きく減ることになるだろう。
だが――
「解放の残り一分未満……なら、最後は派手に使わんとな! ルミナ、援護しろ!」
距離はあるが、スキルがあるため声は届く。
戦乙女たちを率いるルミナは、空を舞うバイアクヘーの群れを次々と撃ち堕としながらこちらへと戻ってきた。
その気配を伴いながら、地上へと向けて急降下を開始する。当然ながらバイアクヘーたちも追ってくるが、空中での魔法戦にはルミナに一日の長があるようだ。
「背中はお任せください、お父様。あちらへの攻撃は存分に!」
「ああ、任せるぞ!」
ルミナの後押しを受けながらデルシェーラの腰辺りに降下し、その背中を走るような形へと移行する。
ルミナの戦乙女たちによって、こちらを追ってきたバイアクヘーたちは完全に抑えられている。
今ならば、邪魔されることなくデルシェーラへと攻撃を行うことができるだろう。
『クオン。心臓の上、外さないで』
「……!」
瞬間、耳に届いたのはパーティチャットを使ったアリスの声だ。
前方へと視線を向ければ、そこに赤い頭巾を被った小柄な姿が目に入る。
巨人の巨体故分かりづらいが、どうやらそこがデルシェーラの心臓直上であるようだ。
尤も、体が巨大すぎるため、刃を刺した程度で心臓に届くとは思えないのだが。
しかし、彼女の足元に刻まれている赤い紋様を見れば、彼女が何をしていたのかは一目瞭然だった。
「《ワイドレンジ》、《練命剣》【命衝閃】――【餓狼呑星】ッ! 跳べ、セイラン!」
「クェエエエッ!」
俺の号令に合わせ、セイランは大きく跳躍する。そして、俺はその背中を蹴って空中に飛び出した。
バイアクヘーたちは俺を狙ってくるが、リカバリーに入ったルミナによって奴らの攻撃は撃ち落される。
そして――
斬法――柔の型、襲牙。
黒く燃え上がる長大な槍を、俺はアリスの刻んだ刻印へと向けて振り下ろした。
【餓狼呑星】すらも使ったその一撃は、強靭極まりない公爵級悪魔の本体すらも容易く貫き、限界までその刃を埋める。
そして、餓狼丸の解放は終了し――俺はアリスの手を掴んで、戻ってきたセイランの背へと跳び乗った。
『ァ、ァア――――!』
当然ながら血が噴き上がり、そこから無数のバイアクヘーが姿を現す。
今の一撃を受け、デルシェーラはそこそこにHPを削り取られたようだ。
とはいえ、それでもHPを四分の一ほど減らせた程度であり、トドメを刺すにはまだまだ足りないのだが。
その上、出現するバイアクヘーたちの数が増えている。
血から出現するという性質上なのかは分からないが、どうやらHPが減れば減るほど出現数が増えることになるらしい。
おまけに、デルシェーラ本体も再び動き始めている。先ほどのように立って暴れ回るわけではないが、四つん這いのままその腕を伸ばしてプレイヤーへの攻撃を開始していた。
「……追い詰めてもなお、一筋縄ではいかん相手か」
餓狼丸の解放は終わってしまった。俺の攻撃力は、大幅に低下してしまっている状態だ。
バイアクヘーは問題なく斬れるだろうが、デルシェーラにダメージを与えるにはいくつか工夫が必要だ。
例えば、アリスの《血纏》によって攻撃力が上昇している、今の状況のように。
「追い詰めたなら追い詰めただけ面倒なことになる、ってわけか」
「正直、私は相性が悪いわ。どうするの?」
「まずは、こちらがキャパオーバーしない程度に追い詰める。後はアルトリウスに任せるさ」
恐らく、あいつも同じことを考えていることだろう。
ならば、最後のお膳立てへと駒を進めるとしよう。