644:風の歩む先、凍れる城塞あり その31
緋真の放った一閃がデルシェーラの首に突き刺さり、【緋牡丹】の効果で爆発を巻き起こす。
しかしその直前、デルシェーラは大量の魔力を収束させ、指向性を持たせぬままに暴発させた。
炸裂するように広がる冷気、たとえまともに構成されなかった魔法であったとしても、公爵級の魔力を以て放たれれば、俺たちにとっては致命的だ。
しかしながら、俺は纏っていた【ファントムアーマー】が、そして緋真は氷を打ち消すほどの炎が、デルシェーラの魔法の威力を打ち消してくれる。
結果として生まれるのは、俺たちの攻撃のほんの僅かなブレ。しかしデルシェーラは、その僅かな隙間に潜り込むように体をずらして見せた。
(今の刹那に、この判断を下したのか……!)
これについては、敵ながら見事としか言いようがない。
今の状況で即座にこの判断を下し、致命的な一撃を避けてみせるなど、戦士であったとしても困難極まりないものだ。
緋真の放った爆発の圧力に押されて後退しながら、俺は即座に刃を振るう。
こちらへと迫るのは、破城槌の如き氷の槍。俺を貫こうとするその一撃を、強化した《蒐魂剣》で打ち消す。
「『生魔』――クリティカルじゃないとはいえ、今のを受けて健在か!」
煙の中から姿を現したのは、肩口と首筋に抉れたような傷をつけたデルシェーラだ。
その傷を氷で覆い尽くして塞ぎながら、奴は殺意の篭った気迫と共に扇を振るう。
刹那に現れる氷の魔法の群れは、対処しきれるものではないと即座に地を蹴った。
デルシェーラが受けたダメージは、決して小さくはない。
止めきれなかった俺の一閃と、緋真の渾身の一撃。そのどちらもを、クリーンヒットを避けたとはいえ受けたのだから。
先にアリスから受けたダメージもあり、デルシェーラのHPは大きく削れている状態だ。
今の攻撃が完全に決まっていれば、恐らくはこのHPゲージを削り切れていたことだろう。
(さて、後一撃でもクリーンヒットを叩き込めれば、このHPは削り切れそうなんだが……)
問題は、事ここに及んでなお、デルシェーラが冷静さを失っていないことだ。
怒りもあり、憎しみもある。しかし、それらの熱が奴の思考を狂わせていない。
奴の氷のように冷たい合理性が、隙のある行動を取らせようとしないのだ。
公爵級だからなのか、或いはデルシェーラという女の持つ性質なのか。どちらにせよ、奴はそう簡単に隙を作ることはないようだ。
(緋真とアリス、どちらに対しても警戒をしてやがるか。ルミナとセイランは有効打を与えられるほどは近づけない。シリウスは……集中攻撃を喰らってるか)
頑丈であるため十分耐えられてはいるが、シリウスも近付くことは難しいだろう。
むしろ、翼を使ってデルシェーラの魔法を防いでいるため、シリウスの後方は数少ない安全地帯となっている。
魔法を防ぎ切れていないプレイヤーの避難地帯にすらなっているようだ。
人のテイムモンスターをトーチカ扱いしていることには苦笑せざるを得ないが、生憎とそちらに目を向けている余裕もない。
デルシェーラの眼前であるここは、絶えず砲弾が飛来し続けるキルゾーンのようなものなのだから。
歩法――間碧。
こちらへと飛来する魔法の隙間を縫うように駆け、傷の入った扇を振るい舞うデルシェーラの姿を観察する。
振り撒かれる氷の粒と、それを元に形成される無数の魔法。
ロクに狙いを付けずに絨毯爆撃を狙ってくるそれらは非常に厄介だ。
「――【緋岸花】」
緋真の方は、地面に炎の花を無数に咲かせ、地面から迫る氷の魔法を撃ち消し空中だけに集中している。
タイムリミットのない強制解放であるため余裕はあるが、それでも距離を詰める手段には欠けている。
デルシェーラは既に緋真の方にも強い警戒を向けているため、【緋桐】のような直線的な軌道で接近することは不可能だろう。
雪煙の中に潜むアリスは姿こそ捉えられていないだろうが、デルシェーラは常時体の周囲に魔法を展開している。
それらを剥がさない限り、アリスに攻撃の手段はない。
「よく分かった、ディーンクラッドの奴は本当に手加減をしていたってわけだ……ああ、本当に腹が立つ」
常に俺を注視し、自らを不利な状況に置いていたディーンクラッドが特殊だっただけだ。
ブロンディーの奸計によって削られ、有利な状況で戦ってなお、公爵級とは本来これほどの怪物なのだろう。
奴が緋真を侮っていたように、俺にも侮りがあったことは認めざるを得ない。
けれど――どれほど強力であったとしても、奴の力は無限ではない。
「《ワイドレンジ》、《蒐魂剣》【破衝閃】!」
「ちッ!」
デルシェーラが離脱しないギリギリまで接近したところで放つ、槍と化した餓狼丸の一撃。
大きく伸びた蒼い刺突は、奴がこちらに放とうとした魔法を撃ち消しながら顔面を狙う。
こちらへの警戒を絶やさなかったデルシェーラは即座に攻撃を回避したが、そのためのリソースは割かざるを得ない。
俺を封殺するための警戒は、最初の頃と比べて明らかに密度が下がっている。当初のレベルにまで警戒を戻そうとすれば、当然ながら無理も出るのだ。
俺への警戒と、緋真への警戒。デルシェーラのリソースをそれだけ奪えば、周囲への攻撃の手は薄まることだろう。その隙を、あいつらが逃す筈がない。
「どっ、せえええええいッ!」
色気の欠片も無いような掛け声と共に、巨大な鉄塊が飛来する。
それは、普通は投擲などには使う筈もない、武骨なハルバードであった。
回避行動の直後のデルシェーラはそれを回避する手立てはなく、地を踏みしめると共に発生した氷の柱でその一撃を受け止める。
一体どんな威力で投げつけられたのか、半ばまで氷の柱にめり込んだハルバード。
それを追い縋ってきた白髪の女は、突き刺さったハルバードを足場に大きく跳躍、その手にスレッジハンマーを取り出した。
「とりあえず! ムカつくのでブッ潰れて!」
「品のない……嫌やわぁ、こんなんまで来るなんて」
アンヘルの持つスレッジハンマーは魔法破壊の性質を持つ。
それを読み取ったらしいデルシェーラは、攻撃を受け止めることなく回避を選択した。
早めに離脱したその姿に、アンヘルは舌打ちしながら攻撃の軌道を変更、氷の柱を打ち砕いてハルバードを回収する。
「シェラート、どうします!?」
「圧をかけ続けろ、時間を与えるな!」
「いいですね、分かりやすい!」
デルシェーラの弾幕が薄まったことで、真っ先に到着したのはアンヘルだった。
これに関してはいつも通りであるし不思議はないが、こうなればデルシェーラはこちらの手が増えたことに危機感を覚えるだろう。
その状況で、奴はどのような選択を取るか。それは、奴に収束した膨大な魔力を見れば明らかだった。
「先生、これ――!」
「構わん、続けろ!」
周囲のプレイヤーに対する攻撃が止む。
その分の魔力を、デルシェーラは全て近場にいる俺たちに対する攻撃へと転用するつもりだ。
つまり、周囲の連中が到達するよりも早く俺たちを仕留め、その後に他を相手にするつもりなのだろう。
その選択は賭けといっても過言ではない。そこまでに俺たちを仕留め切れなければ、デルシェーラは数の暴力に晒されることとなる。
事実、アルトリウスは状況を見て部隊を展開し、包囲する形で距離を詰めてきているのだから。
逆に言えば、その企みが成功してしまえばこちらの勝ちの目は著しく減少する。紛れもなく、価値のある賭けなのだ。
故に、これは止めなければならない。《蒐魂剣》や紅蓮舞姫の力を以て、奴の作り上げる舞台へと攻撃を続けていく。
奴にとってのハイリスクハイリターンは、俺たちにとっても同じことなのだから。
「――雪華の羽衣よ」
デルシェーラの纏う衣が、白く輝き粉雪を舞わせ始める。
周囲に舞い降りた白い粒は、植物の成長を早回しにするかのように氷の枝を伸ばし、周囲全体を氷で包み込んでゆく。
これは一時的な要塞か。今から発動する大技を止めさせないための、デルシェーラのための舞台。
《蒐魂剣》で削り取ろうとはするが、欠けたところからすぐさま再生する、厄介な代物であった。
その中央で舞い続けるデルシェーラの元には凍えるような風が渦を巻いている。
周囲をまとめて薙ぎ払おうとする、氷雪の嵐。解放されれば、周囲にあるものはまとめて氷の像と化すだろう。
「いざ、いざ、冷たき抱擁の内にて……永久なる、眠りを――」
大きく腕を振るい、袖や裾を広げながら、デルシェーラの舞は最高潮に達する。
大きく振り上げた腕は、その一閃と共に魔力を解放し――
「――ガアアアアアアアアッ!」
――空間を歪ませる一閃が、雪華の舞台ごとデルシェーラを袈裟懸けに両断した。