643:風の歩む先、凍れる城塞あり その30
「っ……やって、くれるやないか」
「チッ……!」
前進する速度を大きく向上させての刺突、【緋桐】。
それに烈震と穿牙を重ねた緋真の一撃は、俺でさえ集中しなければ見切れないほどの速さでデルシェーラへと突き出される。
その一撃は――しかし、奴の持つ扇によって逸らされ、その右肩を抉るに留まった。
緑の血が飛び散り、雪の蒸発した地面に斑模様を作る。
しかしそれすらも蒸発させながら、緋真は即座に魔力を収束させた。
「【ボルケーノ】!」
「っ!?」
デルシェーラが反撃に移るよりも早く、緋真は自分すらも巻き込む形で魔法を発動する。
今の緋真には、炎の魔法はほぼ通用しない。だからこその自爆攻撃であるのだが、これは流石にデルシェーラも予想外であったようだ。
炎に巻き込まれたデルシェーラは緋真に対する反撃を中断、逃れるために後方へと跳躍する。
それを追い、俺と緋真は奴を挟み込むように地を駆けた。
「《蒐魂剣》、【因果応報】」
「【紅桜】!」
俺は燃え盛る噴炎を餓狼丸で吸収し、緋真は振るった刃の切っ先から火の粉を飛ばす。
連続して爆裂する炎は雪を消し飛ばし――しかし、デルシェーラが振るう扇より放たれた氷の群れに相殺される。
先の一撃で急所を穿てていたならばまだしも、肩に傷をつけた程度では、奴も攻撃の手を緩めるようなことはない。
細く息を吐き出し、決意と共に、強く足を踏み込んだ。
久遠神通流合戦礼法――終の勢、風林火山。
感覚が広がる。己の周囲にある全てが、己の体の一部であるかのように。
その感覚のままに、俺は小さく呟きながら地を蹴った。
「――【ファントムアーマー】」
一瞬だけ、白い光が反射する様に眼前で煌めく。
その残滓を感じながら、俺はこちらへと迫ってくる魔法の群れの軌道を正確に見極めた。
威力が高いが故、狙いはそこまで正確ではない。しかし、奴の魔法の威力は一撃でこちらを仕留めるに足るものだ。
高い威力の魔法を広範囲にばら撒くのは、俺に対する対応としては正しいと言わざるを得ない。
尤も――緋真が稼いでくれた時間のお陰で、いつまでも俺に注意していられる状況ではなくなっているのだが。
「戦乙女たちよ、集え! 輝かしき戦列を此処に!」
デルシェーラの魔法攻撃から逃れたルミナは、早くも《戦乙女の戦列》を発動する。
現れたヴァルキリーたちは、これまでの《精霊召喚》のような光の輪郭だけではなく、確かな肉体を持った戦乙女として顕現するのだ。
それぞれ見た目の異なる十二の戦乙女たちは、光の尾を引きながら飛翔、デルシェーラの放つ魔法を撃ち落としていく。
デルシェーラが本気で放った魔法であれば、ヴァルキリーたちに迎撃は不可能だっただろう。だが、これらは多数を攻撃するために雑な構成をされた魔法でしかない。
それの一発一発だけならば、彼女たちにも対処は可能だった。
(さてと……!)
歩法――間碧。
デルシェーラの魔法は狙いを定めていないため、陽炎は意味がない。
正確にその隙間を見極めながら、奴との距離を詰めていく。
だが、それよりも先に奴に接近していたのは、雪を吹き散らしながら駆け抜けるセイランであった。
黒い雲を纏っているセイランは、飛来する魔法を素早く回避しながらデルシェーラへと向けて雷を放つ。
素早く飛翔する雷光は、デルシェーラに直撃することはないものの、奴がその体の周りに展開していた氷の盾を打ち砕いた。
「……面倒やね」
足を止めていれば、いずれは捕らえられる。
そう判断したのだろう、デルシェーラは再び跳躍して俺たちから距離を取ろうとする。
しかし、ふわりと跳び上がった奴へと向け、後方から風切音と共に何本もの矢が飛来した。
放ったのは、俺たちとは別の、他のパーティのプレイヤーだ。
銃弾なども含まれている辺り、『キャメロット』からの攻撃が多いだろうか。
それらの大半はデルシェーラの展開している魔法に受け止められていたが、魔法破壊を付与したいくつかの攻撃は奴の元まで到達したようだ。
「邪魔や」
しかし威力の底上げがされていない魔法破壊のスキルだけでは、多少のダメージは通るものの、デルシェーラに痛手を与えるには到底足りない。
だがそれでも、煩わしいと思わせる程度には――つまり奴の意識を逸らせるには、十分な働きをしてみせた。
デルシェーラは飛来する飛び道具をまとめて吹き飛ばすように、大きく扇を振るって凍える風を巻き起こす。
氷の刃を伴う風は、矢玉を全て叩き落とすだけではなく、物理的な破壊力となって後方のプレイヤーに吹き付けられた。
威力自体は比較的低いため、タンクたちによって攻撃は受け止められるが、どうしても攻撃の手は止まる。
その隙にデルシェーラは体勢を立て直し――
「――ちょろちょろと動き回らないで欲しいわね」
「かはッ!?」
――背中から、黒い刃がその胸を貫いた。
雪煙に混じる霧の中、滲み出るようにアリスが姿を現す。
ネメの闇刃は確かにデルシェーラの心臓を貫き、そのHPを目に見えて減少させる。
遠距離からの魔法破壊、それによってデルシェーラの防御魔法が剥がれる瞬間をずっと狙っていたのだろう。
大きくダメージを受けたデルシェーラは、それでも反撃のために扇を振るう。
多少回避した程度では避け切れない、爆発するような氷の一撃。
アリスは後方へ跳躍するも、避け切れずにその一撃に飲み込まれ――デルシェーラの放った魔法は、半透明になったアリスの体をすり抜けた。
「勿体ない……まあいいわ、次の機会がある」
恐らくは、ネメの闇刃のスキルである【無月の暗影】だろう。
一瞬だけ体を透過させることができるあのスキルは、いかなる攻撃であろうとも回避することが可能だ。
そこそこ蓄積した経験値を消費してしまうため、アリスは苦い表情のまま《ブリンクアヴォイド》で姿を消した。
短距離転移のスキルで霧の中に姿を消したアリスは、そのスキルもあって発見することは困難だ。
数秒ほど、デルシェーラは警戒する様に霧の中に目を凝らし――
「《練命剣》、【煌命閃】……十分すぎる時間稼ぎだ」
斬法――剛の型、輪旋。
炎を纏う餓狼丸が、動きを止めたデルシェーラへと牙を剥く。
寂静によって呼吸の隙間を読み取り、奴に気取られることなく近づいたのだ。
ここまで近づけば、奴もこちらの気配に気が付いたようであるが、この距離ならば逃しはしない。
炎の赤と、生命力の金。朱金の輝きとなった一閃は、デルシェーラの掲げた扇へと突き刺さる。
その衝撃によって、俺と奴の足元の地面は爆ぜるようにめくれ上がった。
「舐めて、くれるなぁ、魔剣使い!」
「舐めているのはテメェの方だ、デルシェーラ――」
逃しはしない。俺の一撃を無理に受け止め、膝が崩れている今のお前に、他に回す余力などありはしない。
気を抜くならば、俺の手によって斬り裂いてやろう。
そして、こちらに注視したままだというならば――
「――この期に及んで、俺の弟子を舐めるな」
俺の言葉に、デルシェーラは目を見開く。
その動揺によって扇は僅かにブレて、奴の頬と肩を朱金の炎が炙った。
顔を顰めるデルシェーラは、公爵級悪魔の膂力で俺の刃を押し返そうと力を籠め――声が響く。
「《夜叉業》――【緋牡丹】!」
踏み込んだ足が、剥き出しの地面を赤熱させる。
まるで、炎そのものが人の形を取ったかのような、紅蓮の輝き。
上段に構えられていた刃は大きく翻り――爆裂する熱量と共に、デルシェーラの首へと突き刺さった。