632:風の歩む先、凍れる城塞あり その19
弱点部位化した部分への《会心破断》の使用――その一撃は、これまで微々たる変化しか見せなかったオーガのHPを目に見えて減少させた。
致命傷には到底至らないダメージではあるが、それでも大きな前進であることには変わりない。
だが、同時に厄介な事実にも気づいてしまった。
「コイツ……ッ! 自動回復持ちか!」
削ったことで分かりやすくなったオーガのHP。それが、僅かずつではあるが回復しているのだ。
そして、俺がつけた傷もまた、白い煙を上げながら再生していく。
要するに、このオーガは俺と同じタイプなのだ。高い攻撃力と回復能力を持つ代わりに、魔法攻撃力を持たない性質。
俺の場合は《蒐魂剣》による魔法防御があるが、コイツには代わりにそれに耐えられるだけの高いHPと防御力があるという点は違っているが。
「ハッ、面白いじゃねぇか」
口角がつり上がる。強い敵との戦いはあったが、それでもこのようなタイプと戦うことになったのは久しぶりだ。
純粋に高い技量と戦闘能力。そして、悪魔に使われてはいるが、MALICEそのものではない種。
――純粋に闘争を楽しむことができる相手。
「《奪命剣》、【刻冥鎧】」
右腕が、黒い闇に覆われる。
形成されるのは右腕だけを覆う黒い甲冑。見た目は鎧そのものであるが防御力はなく、動きを阻害することもない。
こいつは、餓狼丸の刃へと常に《奪命剣》の効果を付与するためのものでしかないのだから。
「さあ、英雄殿よ。そろそろ、本気でやり合おうじゃないか」
「……!」
傷を負って逆上するでもなく、冷静に距離を取り体勢を立て直していたオーガは、刃を構え直した俺の姿に息を吞む。
ここまでは小手調べ。互いの能力を探るための様子見でしかなかった。
そのやり取りはこちらに軍配が上がったと見ていいだろうが――お遊びもこの辺りにするべきだろう。
こいつは本気で戦うに値する敵だ。ならば、敬意を以てこの刃を届かせる。
久遠神通流合戦礼法――山の勢、不動。
何かが変わったことを感じ取ったのだろう。僅かに困惑している様子が見て取れる。
だが、こちらが仕掛けてこないことを察し、オーガはそれでも時間稼ぎに動くことを良しとはしなかった。
時間をかければ、己のHPを回復させられるだろうに――そのような迂遠な真似を、英雄を冠するオーガは認めはしなかったのだ。
「――オオッ!」
爆ぜるように、大剣を掲げたオーガがこちらへと疾走する。
その速さは先ほども見た通りであり、その刃は直撃を受ければこちらはひとたまりもないだろう。
大上段から振り下ろされる大剣の一閃――その一閃に、俺は餓狼丸の刃を添えた。
斬法――柔の型、流水。
こちらの身を押し潰さんばかりの衝撃。それらを全て足元の地面にまで流し、最小の力でオーガの一閃の軌道を変える。
やはり風圧だけでHPを削られるが、この程度ならば許容範囲内だろう。
そしてダメージを受けるのであれば、回復手段を増やせばいい。
「《奪命剣》、【命喰牙】!」
攻撃を逸らされたことに驚愕した隙を狙い、黒い短剣をオーガの体に突き刺す。
僅かながらではあるが、常に相手のHPを吸収し続ける【命喰牙】があれば、その再生能力を阻害することができるだろう。
思わぬ攻撃を受けたオーガは、それでも切っ先を鈍らせきることはなく動く。
こちらの胴を両断せんと、横薙ぎに振るわれる大剣の刃――
斬法――柔の型、流水・浮羽。
それに刃を合わせた俺は、その勢いを完全に吸収しながら横へと跳ぶ。
同時、俺は左腕の袖から伸ばした鉤縄をオーガの肩に引っ掛けた。
オーガのとんでもない膂力によって吹き飛ばされた形ではあるが、その勢いを利用し周囲をぐるりと回転、邪魔なロープをオーガの体に巻き付けながら着地する。
歩法――烈震。
そして鉤縄を離し、再び地を蹴る。
耳元で構える刃に込めるのは、全力の生命力だ。
「《練命剣》、【煌命閃】!」
「グ、オオオオッ!」
オーガは俺が接近するまでにロープを引き千切るが、それでも体勢を立て直すには遅い。
地を爆ぜさせるほどの踏み込みと共に放つのは、星の煌めきの如き速太刀だ。
斬法――剛の型、白輝。
その名とは裏腹に、黄金に輝く生命力の一閃。
その一撃を、オーガは己が大剣を盾にする形で受け止めた。
無論、それで防ぎ切れるような一撃ではなく、オーガは生命力の刃によってダメージを負いながら後方へと押しやられる。
それでも尚、体勢を崩しきらない辺りは流石としか言いようがないが――
「術式解放――【インフェルノ】!」
武器を防御に使ったその体勢では、背後からの攻撃には対処しきれなかったようだ。
緋真の振るった一閃と共に、灼熱の炎が爆発の如く噴き上がる。
それに飲み込まれ、しかし平然と耐えたオーガは行動を再開した。
痛みも苦しみもある様子ではあるが、それでも尚オーガの動きをは止まらない。
「――――ッ!」
「っぶな!」
まさか怯みもせずに反撃してくるとは思わなかったのか、緋真はオーガの反撃を受け流しながらも大きく回避する。
ダメージこそ負ってはいないが、あれでは追撃は不可能だろう。
しかし、オーガは緋真に対して執着することはなく、即座にこちらへと注意を戻して走り出した。
『炎上』を受けてダメージを受け続けている様子ではあるが、その動きが鈍る様子は一切ない。
――ああ、それでこそだ。
「シィイイッ!」
「おおおッ!」
久遠神通流合戦礼法――風の勢、白影。
二振りのシャムシールへと変貌するオーガの得物。
それを見て、俺は即座に風の勢へと切り替えた。重い獲物を相手するには不動しかなかったが、あれはむしろ手数には向かない。
上段に構えられる二振りの刃は、交差するような軌道でこちらを狙う。
俺に攻撃を受け流させないための策だろう。単純だが、効果的だ。
歩法――縮地。
故に、まずは打点をずらす。
こちらの肩口を狙ったであろうその一撃の、内側へと身を滑り込ませる。
兜の下から僅かに見える、目を見開いた視線。だが、それの驚愕の中でさえ、オーガは正確にこちらへの攻撃を続行する。
多少無茶のある姿勢だが、こちらを狙ってきたのは鉄槌の如き膝の打撃だ。
まともに受ければ吹き飛ばされるであろう、その一撃――その迎撃が来ることなど、懐に入り込んだ時点で警戒している。
歩法――間碧。
相手の重心の位置から、膝が来るとしたら右足であると予想していた。
だからこそ、俺は左足側に移動しながら、オーガの脇の下をすり抜けるように側面へと回り込む。
相手の足を軸に体を回転させ、拳を押し当てるのは左足の膝裏だ。
「ひっくり返りな」
打法――寸哮。
踏みしめた足元が爆ぜ割れ、衝撃がオーガの左膝を後ろから押す。
本当であればその一撃で相手の膝を砕いておきたいところだったのだが、俺の打撃の威力ではそこまでには至らず。
しかし、オーガの巨体のバランスを崩させるには十分だった。
仰向けに倒れそうになる体。しかし、体を支えられたであろう右足は膝蹴りのために持ち上げている状態だ。
とてもではないが、人体の構造をしている以上、この状態では体を支えられる筈がない。
「グオオオッ!?」
成す術無く、仰向けに倒れるオーガ。
だが、ダメージを負ったわけではなく、すぐさま体勢を立て直すために行動を開始するだろう。
――妨害が入らなければ、だが。
「そのまま、倒れていなさい……ッ!」
無数の光が、オーガの体に降り注ぐ。
それは、光による拘束の魔法。それも、ルミナが召喚した精霊たちを総動員して放ったものだ。
本来ならば指先一つ動かせなくなるであろう雁字搦めの状態であるが、驚いたことにオーガは身をよじり拘束から逃れようとしている。
指先を動かすごとに、一つ二つと拘束が弾け飛ぶほどだ。次々と掛け直してはいるが、完全に逃れられるのも時間の問題だろう。
尤も――数秒も稼げれば時間稼ぎには十分すぎる。
「グルルルルルッ!」
「ゴッ!?」
更に巨大化したシリウスが、その手をオーガへと向けて叩き付ける。
全力で身を捩ったおかげで顔面は鋭い爪を回避したようだが、それでも大きなダメージは免れなかったようだ。
そして――
「ガアアアアアアアアッ!!」
「――――ッ!?」
――己の手で叩き潰した相手へと向けて、シリウスは躊躇うことなくそのブレスを解き放ったのだった。