631:風の歩む先、凍れる城塞あり その18
名前をオーガウォーリア・ヒーロー、つまりはオーガの英雄とでも呼ぶべき種。
そもそもオーガについてそれほど詳しくはないためあまり理解はしていないが、一言で言うなら昔話の鬼のような姿をした魔物だ。
強靭な肉体と、武器を操る知能。あまり魔法に秀でている様子はないが、純粋な物理攻撃の戦闘能力は高い。
その中でも英雄とすら呼ばれるほどの個体となれば、脅威度は更に跳ね上がると考えていいだろう。
故にこそ、俺は存分なほどの強化を施した上で挑み――刹那、オーガの体が巨大化した。
(いや、コイツは――)
否、巨大化したわけではない。凄まじい速さで、こちらへと距離を詰めてきたのだ。
氷の鎧を纏うオーガは、その鈍重な見た目にそぐわぬ俊敏さで、同じく氷の大剣を振り下ろしてくる。
歩法――陽炎。
掠っただけで手足の一本でも吹き飛びそうなその一閃。
その攻撃範囲を正確に見極め、紙一重で回避しながらオーガへと肉薄する。
「ッ……! 『生奪』!」
しかし、掠ってすらいない攻撃の風圧だけで、僅かにHPを削られる。
とんでもない攻撃力だと思わず舌打ちしながら、俺はオーガの脇腹へと刃を走らせた。
可動部を大きくするためか、或いはその動きを出来るだけ阻害しないようにするためか、関節部は大きく取られているようだ。
何にせよ、これなら狙える場所も多いが――
「浅いか……!」
刃は確かに通り、オーガの肉を斬り裂く。
だが、それは臓腑に届くほどの深さにはならなかった。攻撃を受ける直前、オーガはほんの僅かに体を逸らせたのだ。
今のタイミングで打点をずらしたのは、決して偶然ではないだろう。技術か直感かは分からないが、こいつは最小の動作で、被害を最小限に留めてみせたのだ。
その動きに思わず戦慄し――背筋を這い上がった悪寒に、俺は咄嗟に身を屈めた。
「シィッ!」
刹那、頭上を通り抜ける冷たい気配。
首筋がひやりとする感覚を覚えながら、俺は回し蹴りを放ちオーガの脇腹を蹴り抜いて、その勢いを利用して相手の傍から離脱した。
そして改めて奴の姿を観察し、思わず眼を見開く。オーガの手にあった武器、それが大剣から大鎌へと姿を変えていたのだ。
「形を変える武器か……アンヘルが気に入りそうだな」
尤も、これがそのまま手に入るのかどうかは知らないが。
どうやら、武器自体も氷で構成されているため、ある程度自由に形を変えられるようだ。
武器の形状にも気を配っておかなければ、思わぬところで手痛い攻撃を受けてしまいかねない。
「はああああッ!」
その様子は見ていたであろう緋真だが、その程度で怯むようなことはない。
低空を飛行しながら駆けるルミナと共に、両側から挟み込むように刃を振るった。
しかし、オーガは大鎌に手を添え、長柄を撫でるように手を走らせる。
次の瞬間、その大きな手に握られていたのは、二振りの曲剣――形状だけで見れば、シャムシールと呼ばれる剣に似た二本の刃であった。
その二振りによって緋真とルミナの攻撃を受け止めたオーガは、力任せに刃を振り抜いて二人を弾き飛ばす。
セイランが放った雷によって追撃こそ行えなかったようだが、今の攻防から見えた膂力の強さは規格外だ。
「ガアアアアッ!」
オーガの足を止めたその直後、シリウスが恐れることなく突撃する。
大きさはワゴン車程度のサイズになっているが、重量は普段と変わりはない。
氷の床を踏み砕きながら駆けるシリウスは、その腕をオーガへと向けて叩き付けた。
対し、オーガはその一撃を再び変形させた大剣で受け止め――完全には受け止めきれず、後方へと向けて弾き飛ばされる。
(シリウスならば力負けはしないか――)
歩法――烈震。
大きく弾き飛ばされたオーガへと向け、俺は強く地を蹴って飛び出した。
後方では雷と暴風が巻き起こり、セイランが駆け始めたのが気配で分かる。
さあ、ここからの波状攻撃にどう対処するのか。奴の動きを観察することとしよう。
シリウスの攻撃を受けたオーガであるが、驚いたことにHPは殆ど減っていない。
武器で防御していたとはいえ、そうそう受けきれるような攻撃ではない筈なのだが。
「《奪命剣》、【咆風呪】!」
ならばと、前方へと向けて黒い風を放つ。
防御力を無視する範囲攻撃。この一撃ならば、魔法による防御でもない限りは防ぐことはできない。
案の定、オーガは黒い風の中に飲み込まれ、そのHPを削り取られることとなった。だが削れる量は、ほんの僅かにしか見えない。
(……成程、そういうことか)
しかし、そのほんの僅かなダメージだけで、減っていた俺のHPは完全に回復することとなった。
つまり、俺の攻撃もシリウスの攻撃も、効いていないわけではないのだ。
ただ、HPの総量があまりにも高すぎるが故に、あまり減っているように見えないだけなのである。
「その上でこの技量か……!」
【咆風呪】の黒い風の中に潜り込んだというのに、オーガの感覚はこちらの気配を捉え続けている。
純粋な身体能力だけではない。技量の面においても、この魔物は非常に高いレベルを有している。
英雄を冠するだけはある。『キャメロット』の部隊が成す術無く敗退したのも、頷けてしまうほどの戦闘能力だ。
「《練命剣》、【命輝一陣】!」
姿を隠すことができていないのならば、隠れている意味もない。
効かないことは分かっているが、行うべきは牽制による相手の動きの制限だ。
闇を斬り裂いて飛翔した生命力の刃は、オーガが無造作に振るった拳によって打ち砕かれた。
効かないとは思っていたが、まさか拳だけで防ぎ切られてしまうとは。
しかし――
「足を止めたな」
「ケェエエエッ!」
「ゴ、オオッ!」
雷を纏いながら駆けるセイランが、黒い風の中から姿を現す。
拳を振り切った体勢のオーガは、片手を大剣から離した状態だ。
このタイミングでは、武器の形状を変えるほどの時間もない――そのはずだった。
「オオオオオオオオッ!」
驚くべきことに、オーガは右腕一本のみで、大剣を思い切り振り抜いて見せたのだ。
眼前に迫っていたセイランにはそれを避ける余裕などある筈もない。氷の大剣は横薙ぎにセイランの胴へと叩き付けられ――その体が、灰色に変わって霧散した。
「――――ッ!?」
「クェエエッ!!」
《亡霊召喚》による偽装。それは、ボスである嵐王が見せた技法でもある。
尤も、あの時の個体のようにそれだけで戦闘能力を持たせることはできていないようだが、ほんの一瞬相手を騙す程度なら造作もない。
亡霊たちの後ろから姿を現したセイランは、今度こそ完全に隙を晒したオーガへと向け、雷を纏う前足を振り下ろした。
瞬間、雷と暴風が解放され、足元の氷を打ち砕きながらその衝撃を存分に相手の体へと伝える。
顔面に一撃を受けたオーガは、流石に無傷とはいかずに体を硬直させた。
尤も、それでもHPはあまり減っていない辺り、先に確認した通りのとんでもないタフネスであるが。
「――クオン、ここよ」
そして、相手が動きを止めたならば、アリスが黙って見ている筈もない。
突如として姿を現した彼女は、黒い刃をオーガの脇腹へと突き刺した。
刻まれるのは赤い刻印。スキルによって生じた追加の弱点部位へと向けて、俺は一直線に駆ける。
「――『練命破断』!」
斬法――剛の型、輪旋。
そして、大きく翻した餓狼丸の一閃。
最速で放ったその一撃は、オーガの纏う氷の鎧を貫いて、その身を深く斬り裂いたのだった。