628:風の歩む先、凍れる城塞あり その15
あの虎を追いかけて移動を開始したが、どうにも中々追い付ける気配がしない。
ある程度性質が見えてきたが、あの虎は元から氷の壁を無いものとして移動しているように思える。
或いは、あの壁を単純に回復手段として捉えているのか。
とにかく、あの虎は少し戦うとすぐに移動をしてしまうようだ。
「移動する条件が分からんな。なんであんなすぐに移動したんだ?」
「うーん……今のところ、その辺りの情報は出てこないですね」
情報を集めながら眉根を寄せる緋真の言葉に、軽く嘆息を零す。
動きを見た感じ、遭遇例はかなりの数に上っているだろう。
にもかかわらず、その辺りの情報が出てきていないのは、純粋に分析しきれていないのか、或いは情報を出し渋っているのか。
その両方という可能性もあるが、とにかく情報が足りない。
果たしてあの虎は、何を基準に行動しているのか。
「すぐに移動するパターンもあれば、体力が半分以下になるまで粘っている時もあるみたいです。今見えている範囲だと、法則性はさっぱり読めませんね」
「ふむ……とりあえず、体力量はあまり関係ないということか」
全く関係ないとは言い切れないが、少なくとも直接の起因ではないのだろう。
恐らくは、最低限の減少ラインのようなものは決まっており、それ以外の条件を満たしていたら逃亡を選択すると言ったところか。
正確なところは分からないが、今のところ読める範囲ではその程度しか見えない。
詳しく分析するには、より多くの情報を集める必要があるだろう。
「こっちがゆっくりしか進めないのに、向こうは自由に動き回っているのは不公平だわ」
「だからこそ仕留められていないんだろうよ。いくら罠を解除しても、一定時間で復活するしな」
そろそろ構造変化も発生する時間だろう。
新たな道が開ける可能性があるのはいいが、トラップが復活するためどちらかといえばマイナスだ。
シリウスのお陰で解除にはそこまで苦労していないのだが、危険であることに変わりはない。
「けど、これ追い付けそうにないですね」
「……だな。流石に、壁を無視して動く奴を追いかけるのは無理があるか」
先ほどからしばらく追いかけているのだが、一向に追いつける気がしない。
こちらは壁を迂回するしか道がないにもかかわらず、奴は自由に壁を抜けて行動できるのだ。
いや、壁抜けをするにも何かしら条件はあるのかもしれないが、どちらにしろ機動性に大きな差があることに違いはない。
とにかく、今の状況では奴に追いつくことは不可能だろう。
「しかし、どうしたもんかね。ああも予兆なくあっさり逃げられるんじゃ、倒すのは難しいぞ」
「予兆というのなら、あの範囲攻撃を撃った後なんじゃないですか?」
「そうなんだろうが、その予備動作を読み切れていないからな」
一度は見たため、もう一度見れば覚えられるとは思う。
問題は、そのもう一度の機会を得ることが難しいことなのだが。
現状では、向こうから向かってこないことには戦うことすらできないのだから。
と――そんなことを考えながら顔を顰めていたところで、唐突に地面が揺れた。
「っ……構造変化か。固まれ、お前たち」
「戦闘中じゃなくて良かったですね」
「これで解除したところに再配置されるのはムカつくんだけど」
「別にお前さんが解除したわけじゃないだろうに」
身を寄せ合うようにして固まりながら、地面の揺れの推移を見守る。
溶け落ちるように壁が消え、また異なる場所に壁がせり上がり――迷宮の様相は、瞬く間に姿を変えていくのだ。
顔を顰めているアリスの視界には、設置され直したトラップの姿が見えているのだろう。
だが、俺が注目したのはそこではなく、近くの壁が崩れると共に姿を現したプレイヤーに対してだった。
統一された、青い縁取りの鎧。その先頭に立っているのは、大剣を背負う金髪の大柄な戦士だ。
「ああ、クオン殿! ここで会えるとは思わなかった」
「ディーンか。最近は……あまり直接顔を合わせていなかったか?」
いたような気もするのだが、『キャメロット』との会談は基本的にアルトリウスとだけ行っている。
ディーンもアルトリウスの腹心であり、リアルやこの世界の事情にも通じているのだが、その辺を直接話したことはなかった。
とはいえ、この場でその話をするつもりもないが。ディーンはともかく、彼が伴っている『キャメロット』のプレイヤーは関係者とは限らないのだから。
構造変化が終わり、周囲の状況を確認してから、俺は改めて彼へと声をかけた。
「そっちはあの虎を追いかけてる最中か?」
「ええ、そんなところですね。しかし……変化までに追い詰めることはできませんでしたが」
「仕方あるまい。あの様子じゃな」
俺の言葉に、ディーンは苦笑を零す。
どうやら、『キャメロット』でも逃げ回る虎の相手はかなり苦労しているようだ。
とはいえ、今の口ぶりから察するに、ある程度方針を決めて動いている様子はある。
簡単に思いつく範囲では、レイドで周囲を固めて徐々に追込み逃げ場を奪って行く方法か。
この迷宮の中で部隊の位置を制御するのは中々難しいだろうが、アルトリウスならばやれないことも無いだろう。
「こうなると、俺たちが追い付くよりも、お前さんたちが追いつめる方が早そうだな」
「ははは、どうでしょうね。貴方なら、一度のチャンスで仕留め切ってしまうかもしれませんが」
「さてな。だが、そうなってもいいのか?」
「ふむ……正直に言うと、勘弁してほしいですがね」
言葉ではそう言いつつも、ディーンは朗らかに笑っている。
まあ、アルトリウスの腹心としては、誰が攻略しても別にいいという感覚なのだろう。
だが、『キャメロット』の幹部としては、自分たちで仕留めたいという思いがあるということか。
クランメンバーの強化も必要だろうし、その思いを否定するつもりもない。
「こちらも追い付けないわ仕留めづらいわでどうしたもんかと考えていたところさ。『キャメロット』に打倒する当てがあるなら、こちらも無理に追いかけるつもりはないぞ。偶然遭遇したら戦うがな」
「助かります。せっかくここまで展開したのに、クオン殿が出てしまっては全て掻っ攫われてしまいかねませんからね!」
明るく大笑いするディーンであるが、その後ろに控えている隊員たちはあからさまにほっとした表情だ。
別にアルトリウスには世話になっているし、先に手を出している獲物を奪う程、狭量なつもりはないのだが。
向こうから手を貸してほしいと言ってきたのであれば話は別だが、自分たちでやりたいと言っているならこちらから手出しをする必要もないだろう。
「しかし、貴方ほどの戦力を遊ばせておくのも惜しい。クオン殿、北のエリアを目指してみてはどうですか?」
「北? まだボスが確認されていないってところか」
確かに考えてはいたのだが、いかんせん情報が少ない。
『キャメロット』が虎を担当するなら、こちらは虫の方を狙うべきかと思ったのだが……しかし、ディーンは北を勧めている。
何か『キャメロット』として思惑があるのか、あるいは他に理由があるのか。
「ディーさん、その情報は――」
「いえ、これは構いませんよ。アルトリウスも、あれはクオン殿向けだと言っていましたからね」
「ほう? 『キャメロット』は北のボスを発見したのか」
どうやら、これは出回っていない最新の情報であるようだ。
興味を惹かれて問いかけてみれば、ディーンは得意げな表情で頷きながら続けた。
「ええ、パーティの一つが発見しました。しかし、このボスは他の二体とはかなり異なっていましてね、移動はしないのですよ」
「移動しない? それなのに、今まで発見も討伐もされていなかったのか?」
「どうやら、北に近づけば近づくほど敵やトラップの危険度が増すようです。そして、そのボス自身もですが……辿り着いたパーティでは、全く歯が立ちませんでした」
その言葉に、思わず眼を見開く。
言葉に上がらないということは幹部級がいたパーティではないのだろう。
しかし、『キャメロット』の攻略パーティは全てが一線級だ。
そんな彼らですら“歯が立たなかった”と表現するということは、相当な戦闘能力があるということだろう。
「他の二体とは異なり、人型の肉体を持つ存在です。全身を白い氷の鎧で包んでいるため詳細は不明ですが、血は出たとのことで」
「ふむ……悪魔か?」
「いえ、血は赤かったそうなので、悪魔ではない可能性が高いかと」
最初に思い付いたのは、デルシェーラによって力を与えられていたエリザリットだ。
奴と同じように、力を与えられた侯爵級悪魔という可能性を考えていたのだが、二番煎じではなかったようだ。
まあ、そうなると他のボスに比べて強力過ぎる。流石にそれはやり過ぎか。
「人型の魔物をデルシェーラが強化したってところか……だが、そいつは確かに戦い易そうだ」
「その分、戦闘能力は他の二体に比べて大幅に高いようですが……クオン殿としては、その方が良いのでは?」
「だな。確かに、俺にとっちゃそっちの方が都合がいい」
虎を標的から外し、他を狙う理由としては十分だ。
これだけの情報を貰ったならば、虎に対して積極的に手を出す理由もない。
打撃しか効かない虎と虫よりはよほど戦い易そうではあるしな。
「分かった、俺たちは北に向かおう。その代わり、虎のことはきっちり仕留めろよ?」
「ええ、アルトリウスが指揮する作戦に失敗はありません」
「そうだな、期待してるぞ」
そのボスの大まかな位置だけをマップで共有し、ディーンたちと別れて歩き出す。
狙い易い敵の情報を貰ったとはいえ、迷宮自体の難易度が上がることもまた事実。
慎重に進んでいくこととしよう。