618:風の歩む先、凍れる城塞あり その5
あれからしばらく周辺を探索し、俺たちはようやく風の吹いている場所を発見した。
相変わらずいくつも罠が仕掛けられていたが、ゆっくり探索する分には引っかかることもない。
尤も、解除しているわけではないため、避けられないものについては発動させてしまっているのだが。
所々面倒はあったものの、目的の場所を発見できたことに変わりはない。ひとまずは良しとしておくこととしよう。
「風というには中々に微弱だな。注意してなきゃ気付かんだろう」
「そよ風レベルですね。普通に吹いてる風にしか思えませんよ、こんなの」
「ノーヒントでこれに気付けというのは中々無茶ね」
正直なところ、風を探して歩いていなければ、普通の風としか思えなかっただろう。
体感できるほどに強い風というわけではなかった。普通に歩いているだけでは、これに違和感を覚えるのは難しいだろう。
だが立ち止まっていると、常に一定の強さで、一定の方向に向かって風が吹いていることが分かる。
自然現象としてはあり得ないだろう。通常ならば、風の強さはもっと変化するはずだ。
「半信半疑ではあったが……これなら、思っていたよりは期待が持てそうだな」
「けど、油断すると見失いそうですね。ゆっくり行きましょうか」
「そうだな。セイラン、あまり風は起こすなよ。どっちに進むか分からなくなるからな」
「クェ」
心外だと言わんばかりに鳴くセイランに苦笑しつつ、風を辿って歩き出す。
やはり弱い風であるため、時折立ち止まって方向を確かめなければならないが、度々アリスが罠を発見するためそこは何とかなるだろう。
しかし、壁にぶつかった風が九十度直角に曲がっている様子は驚くべきか呆れるべきか。
まあ、正確に言うならば、他の風と合流して向かって行っている様子でもある。
これは風が吹いているというより、むしろ――
「……何か、空気を吸い込んでるような感じですね」
「だな。どこかに吸気口があるような感覚だ」
風が吹いているのではなく、空気を吸い込んでいる。そう考えれば、このような風の動きになるのも頷けるだろう。
まあ、何にせよヒントになっていることは間違いないため、このまま風を辿っていくことにするが。
進展がある時こそ気が逸る。注意力を途切れさせず、確実に進んでいくことにしよう。
「シリウス、そこの角に敵がいるから片付けてこい」
「グルルッ!」
無論、ダンジョンの中を進んでいるため敵は存在している。
しかしながら、路地を進んでいる内はあまり敵の数も多くなく、奇襲のために待ち構えているやつに対処すれば済む話だ。
進みやすさという点では、際限なく敵が出現する大通りよりはこちらの方が楽だろう。
あまり戦闘に集中していると、風がどっちに吹いているか分からなくなってしまいそうだしな。
何にせよ、単体の悪魔程度であれば、シリウスに任せておけば十分だ。
体当たりで押し倒した後に難なく蹂躙している姿を横目に見つつ、角に行き当たったところで風向きを確かめる。
「こっちか。風は強くなってる感じはしないな」
「こう変化がないと、ちゃんと近づいているのか不安になるわね」
「とにかく進んでみるしかあるまい」
ため息交じりのアリスの言葉には言外に同意しつつ、風の方向へと向けてさらに進む。
他の流れと合流しても強くはならないのだから、相変わらず奇妙な風だ。
きちんと進んでいるのかどうかの確証もないままではあるが、少なくともノーヒントで歩き回っている時よりはマシだろう。
少し範囲を広げて気配を探ってみるが、周囲にはプレイヤーの気配は感じ取れない。見つかるのは、あくまでも奇襲を狙っている悪魔だけだ。
恐らく、中央から離れるような動きをしているからだろう。未だに、多くのプレイヤーは中央を目指して移動しているようだ。
「そういえば、デルシェーラってなんでこんな形のイベントにしたんでしょうか」
「そりゃ本人に聞いてみないことには分からんだろうよ。というか、連中がどうやってイベントを構築してるのかも分からん」
具体的な部分の言葉はぼかしつつ、嘆息と共にそう告げる。
MALICEは敵対者ではあるが、その侵攻にはきちんとルールを定めている。
勝手に襲い掛かってきておいてルールもクソも無いとは思うのだが、そのおかげで奴らの戦い方には制限が課せられている様子だ。
ワールドクエストの発生も、そのルールの中に則った話であるのだろう。
だが、そのルールが分からない以上は仮説を立てることも難しく、妄想の域を出ることはない。
「アルトリウスの言葉からして、ワールドクエストはあちら側との同意を得た上で構築されている。こちら側のメリットは、ある程度弱った状態のデルシェーラを攻められることだろう」
「じゃあ向こう側のメリットは……」
「分からん。デルシェーラを捨て駒にしたようにも見えるし、守るためのようにも見える。あるいはその両方か――どちらにしろ、俺たちはこれを攻略する以外に道はない」
見方によっては、失態を演じたデルシェーラに対して派手な舞台を用意したようにも思える。
逆に、こういったルールを用意することで、こちらに一方的に有利な状況で攻められないようにしたようにも見える。
結局のところ、ワールドクエストという形になってしまった以上は、その舞台の上で奴を追い詰めるしかないのだ。
「次の風は……こっちだな。とにかく、あまり時間を無駄にはできん。今回は決戦だし、戦闘自体は短期決戦にせざるを得ないが、だからといってあまりのんびりもしていられないからな」
「流石に強制解放は使わないと倒せないでしょうからね」
「切り札を使うタイミングとか、大丈夫ですか? そもそもどうやって決戦になるのかも分かりませんけど」
「まぁ……アルトリウスを含めての相談だな、これは」
できればさっさとゴールまで辿り着きたいが、それでいきなりデルシェーラとの戦いになってしまっても堪らない。可能であれば、準備の期間は欲しいところだ。
元々長期間での攻略を前提としているためか、このダンジョンの中にはところどころ安全地帯が存在しており、そこでならログアウトが可能だ。時間が来たからといって、攻略を断念して脱出する必要もない。
最奥まで辿り着いたら、そういったエリアでアルトリウスと合流することとしよう。
「クオン、そろそろ構造変化の時間が近付いて来てるわよ。あまり悠長にしていると、また遠回りさせられかねないわ」
「っと、そうだったな。せめてこの風の先までは辿り着いておきたいところだ」
アリスの警告に同意しつつ、無理のない範囲で足を速める。
構造が変化してしまえば、今前進している道が目的地に辿り着くとは限らなくなってしまう。
そうなると、そもそも風の通るルートも変化するのだろうが、再び風を探すところからの再スタートだ。
かなり面倒であることは間違いないため、そのような事態になることは避けたい。
「いい加減、そこそこ歩いては来ましたし、ゴールに辿り着いてもいいとは思うんですけどねぇ」
「あまり期待するもんでもないが、それについては同意する」
道しるべがあるとはいえ、神経を尖らせたまま迷宮を歩くのは中々に疲れる。
そろそろ、何かしらの成果が欲しいところだ――そう思った、直後であった。
「っ……! クオン、あれ!」
「ほう。噂をすれば、ってところか」
一つ角を曲がり、その先の道を確かめる。そんな俺たちの目に飛び込んできたのは、長い通路と、その先に置かれた祠のような建造物であった。
箪笥程度の大きさしかない小さな祠ではあるが、俺たちの背中から吹いてきている風は間違いなくあそこへと向かっている。
凍り付いた街の建築様式とは明らかに異なる、どこか浮いた雰囲気のある物体だ。
「どうやら、ゴールが見えたみたいだな。しかし――」
「ええ……罠だらけね、これ」
見通しの良い、一直線の通路。
逆に言えば逃げ場のないその場所に、異なる光景を見ているであろうアリス共々、思わずため息を零したのだった。