602:結実
「ッ、アルトリウス!」
何が起こったのかを即座に理解し、ほぼ罵声に近い声を上げる。
一帯が氷に包まれた防壁の門。手前で展開していた防衛部隊と、上で詰めていたプレイヤーたち。それら全てを巻き込んで、氷の魔法は発動した。
この威力は間違いない、ついに奴が姿を現したのだ。上空で佇む、着物を纏った女の悪魔――
「来やがったか、デルシェーラ……!」
「この程度の戦いに、無駄に時間をかけよるなぁ。うちも暇やあらへんのよ」
デルシェーラは俺の方を一瞥したが、特に何かを言うでもなく、視線を前方へと戻した。
デルシェーラの魔法に巻き込まれたプレイヤーたちは、ほぼほぼ耐えきれずに死に戻りしてしまっているようだ。
しかし、一部は攻撃を受け止め、その後ろ側には放射状に凍っていない領域が広がっている場所もある。
恐らくはパルジファルによる防御だろうが、どうやら彼女も無事では済まなかったようだ。
その後ろには、アルトリウスや軍曹、ランドの姿がある。どうやら、ギリギリで攻撃を回避することができたようだ。
「……ふぅん。やるもんやね」
その姿に、デルシェーラは感心したように呟き――無造作に、腕を横に振るった。
瞬間、凍てついていた氷はまとめて砕け散り、その氷に包まれていた建造物やプレイヤーもまとめて粉砕される。
足場が崩壊したことでアルトリウスたちも地面に落下していたが、とりあえずは無事な様子だ。
「ほな、他の子たちと遊んだってな。うちはやることがあるんで」
門が完全に崩壊したことを確認すると、デルシェーラはそのまま俺たちを無視し、内部へと飛んでいく。
崩れた防壁など、他の悪魔たちでも容易に蹂躙できるというつもりだろう。
だが、主力となるプレイヤーの多くが落とされた現状では、それも決して間違いではあるまい。
ここの陥落は、最早秒読みと言っていい状況だ。
「クオンさん、中央へ! 彼女の狙いは石板です!」
「くそっ、こっちはどうするつもりだ!」
「何とかします! クオンさんは急いで中央へ!」
デルシェーラの出現で見逃してしまったが、最後のHPバーとなったエリザリットは、全身を氷に包み込んで沈黙している。
何やら準備を行っている様子だし、ここで目を離すのは危険だ。
だが、アルトリウスはそれを理解した上で、デルシェーラを追えと言っているのだろう。
――ファムが罠を張り巡らせ、手ぐすねを引いている場所へと。
(演技は最後の最後までしろってか)
俺自身、ファムが何を準備しているのかは知らない。
だが公爵級悪魔が出現し、罠の中心へと向かって行ったこの現状こそが、奴が耐え忍び、待ち続けていた展開だろう。
しかし、追い詰められようともエリザリットは脅威。この悪魔を無視することもできない。
「チッ……ルミナ、シリウス、ここは任せたぞ!」
できる限り戦力は残していく。何としてでも、エリザリットは仕留め切らなければならないのだ。
デルシェーラに違和感を持たれてしまう可能性はあるが、ここは俺とセイランが先行する体で追うこととする。
翼を羽ばたかせたセイランは、高速で飛行するデルシェーラの後を追う。
元よりそこまで大きくはない街だ。セイランのスピードならば中央に辿り着くまで一分とかからない。
あっという間に目に入ったデルシェーラは――石板から再出現したプレイヤーたちを、魔法でまとめて薙ぎ払っていた。
「デルシェーラッ!」
「おっと、王様のお気に入りは勤勉やね。せやけど、邪魔は許さへん」
「っ……《蒐魂剣》、【断魔斬】!」
デルシェーラが振り返り様に左手で放ってきたのは、銀色に輝く霧であった。
見た目は美しいそれであるが、触れたら絶対にロクなことにならないと、即座に【断魔斬】で薙ぎ払う。
しかし、俺がそれに対応している間に、デルシェーラは準備を完了させていた。
「もう時間をかけるのにも飽きたし――邪魔な結界を壊して、さっさと終わりにしてまおうか!」
その手に握られているのは、氷で形作られた長大な槍。
しかして黒く染まったそれは、膨大なまでの悪魔の魔力が込められている。
天然物の石碑であったならまだしも、プレイヤーメイドの石板では、到底耐えられるとは思えない魔力量。
デルシェーラはそれを、降下すると共に石板へと突き刺した。
刹那――
「ッ……くそッ!」
膨大な魔力と冷気が吹き荒れ、周囲を凍てつかせていく。
そして、その氷は石板へと侵食するかのように食い込み――結界を作り上げていた石板を中心から粉砕してしまった。
石板は機能を失い、結界は崩壊して悪魔を縛ることが不可能となる。
ようやく仕事が終わったと、デルシェーラは深く息を吐いて――
「――【呪詛式・呪いの颶風:黄泉櫛】」
そこに多分に嘲笑の混じったファムの声が響き渡った。
それと共に崩壊した石板の中から出現したのは、黒く悍ましい何本もの腕だ。
それらは一瞬のうちにデルシェーラの体を拘束すると、そのまま奴の動きを止めてしまう。
「これはっ、呪術!? まさか――」
「はぁ……ようやくここまで来たのねぇ。まったく、こんな仕事は二度とごめんだわぁ」
今までどこに姿を隠していたのか、その言葉と共に姿を現したのはファムであった。
口ではそのようなセリフを発している割に、顔に浮かんでいるのは愉悦の表情である。
それが、まんまと拘束されたデルシェーラを嘲笑っているものであることなど、誰が見ても明白であろう。
「こんにちはぁ、公爵級の悪魔さん。映像で見た通りなようで何よりだわぁ」
「ッ……これの術者はあんたさんやね? まさか、女神の石を触媒にするとは思わんかったわ」
「ちょっと呪いを仕込んだだけでしょぉ? むしろ、これだけのものを使ったのにあんまり捕まえていられないのが残念だわぁ」
やれやれと、ファムは肩を竦めながらそう答える。
しかし、その言葉の通り、あまり長くはデルシェーラを拘束していられないのだろう。
ならば、奴が動けない今のうちにその首を落とそうと、俺はセイランに指示を出そうとし――
「ああ、シェラート。近寄らない方がいいわよぉ。もう仕込みは済んでるから」
「は? 何を言ってる、お前だけで仕留め切れるような怪物じゃ――」
刹那、遠方から音が響く。今日までの戦いの中で幾度となく聞いたその音の正体は、俺の想像通りに空高く放物線の軌道を描き始めた。
それを見て、デルシェーラは呆れた様子で半眼を浮かべる。
「うちを捕まえて何をするかと思えば……エインセルの旦那はんの玩具だけで、どうにかできるとでも思うとるん?」
「ああ、やっぱりエインセルだったのねぇ。まあそれはどうでもいいけど……ホント、人間を舐めていてくれて助かるわぁ」
言いつつ、ファムがインベントリから取り出したのは、今まさに飛んできているであろう迫撃砲の砲弾だった。
だが、その見た目は僅かに違う。何かしらのペイントが施されている様子だ。
「確かに、これは今のプレイヤーでは作れない代物ねぇ。材料が無いし。でも、現品があればそれを分解して改造することも可能だわぁ」
「改造? 多少威力を上げた程度で、うちに通用するとでも?」
「兵器知識もない、無知な悪魔さんに教えてあげるわぁ」
放物線を描く砲弾が、デルシェーラへと向けて落下してくる。
この砲撃精度は、この位置にデルシェーラを拘束することが前提となっていることだろう。
ファムは、最初からここにデルシェーラを拘束して、砲撃を行うつもりだったのだ。
ここまでの戦い、その全てが、この瞬間に結実しようとしている。
――何よりも凄惨でえげつない、この女狐の奸計によって。
「これはねぇ……ナパーム弾って言うのよぉ」
それを耳にした刹那、俺はセイランを操って全力でその場から後退した。
そして次の瞬間――デルシェーラの頭上で炸裂した砲弾は、粘性の高い燃料を奴へと降り注がせる。
同時、その燃料は黄金の炎を上げて燃え盛り始めた。
「ぎ……ッ!? あ、ああアアアアアアアアアアアアッ!?」
「これは、聖火だと……!?」
ナパーム弾とは、粘性の高い化学燃料を利用した焼夷弾だ。
親油性であるため、人体や木材に付着すれば落とすことができず、水でも消火できない。
更には燃焼に通常以上の酸素を消費するため、酸欠に陥らせる効果すらある。
尤も、千度以上の高温で燃え盛る炎を相手に、酸欠など考えている暇はないだろうが。
だが、ファムの持ち出してきたこれは、通常の炎ではなく聖火を発して燃え盛るナパーム弾だった。
「手に入れた砲弾の半分近くを消費して作り上げた、特製のナパーム弾よぉ。聖女様も倒れるまで頑張ってくれたんだからぁ、しっかり味わっていってよねぇ」
「まだ残してやがったのか」
「当然よぉ。ほら、この通りねぇ」
苦痛の悲鳴を上げるデルシェーラの様子を尻目に、ファムはにやついた笑みのまま手を上げる。
瞬間、周囲の建物の上などから姿を現した『キャメロット』のプレイヤーたちが、揃って大筒を肩に担いでデルシェーラへと向ける。
「外れた時のサブプランだったけどぉ、ちょうどいいから撃っちゃいましょう」
「や、め゛――」
拘束されたまま聖炎に包まれ、ロクに悲鳴を上げることすらできないデルシェーラへと、大筒から放たれた砲弾が襲い掛かる。
その砲弾の仕組みを知った時にも考えていた、ロケットランチャーとしての運用。
当然ながら、ファムもその扱いに行き着いていたようだ。
放たれたのは当然と言わんばかりに、先の砲弾と同じナパーム弾。
命中精度はあまり高くはないようだが、動いていない的にある程度近付けばいい時点で、十分すぎる効果を発揮する。
「うふふ、無様ねぇ。こちらがロクに防衛できないと思っていながら攻略に苦戦して、挙句の果てに司令官自ら乗り込んで返り討ち。大活躍じゃない、ねぇ?」
嘲笑しながら、ファムは薬剤を撒きつつデルシェーラへと近づいていく。
ナパームの炎を消すにはそれ用の消火剤が必要だが、わざわざ準備していたようだ。
拘束されているとはいえ、危険極まりない相手。止めようと口を開き――俺はその言葉を飲み込んだ。
危険など、あの女は百も承知だろう。その上で近づいているということは、何か別に理由がある筈だ。
「ホント、ずっと思ってたけどぉ――」
金色の炎に包まれた道を、足音を立てながら歩き――下から覗き込むように、体を屈めながらファムは告げる。
「――貴方たちって、人間の悪意を舐め過ぎよねぇ」
「め、ぎづね゛があああ゛あ゛あ゛ッ」
刹那、拘束を破ったデルシェーラの腕が、ファムの胸を貫いた。
止める間すらない。元よりステータスは高くないファムは、その一撃だけでHPを散らす。
ファムは衝撃に体を震わせ――口から血を流しながら嘲笑を浮かべた。
「【呪詛式・呪いの颶風:不還の烙印】」
瞬間、ファムの死亡と共に溢れ出した血色の光が、デルシェーラの体に絡みつく。
それと共に、奴のステータスには一つの状態異常が刻まれた。
その名は『烙印』――効果は、あらゆる回復の阻害。
「しまッ……ぐ、があ゛あ゛あ゛ッ!」
聖火による炎上状態を回復する術を失ったデルシェーラは、最早言葉を発する余裕すらなく。
焼け爛れた顔を手で隠しつつ、黄金の光を尾のように伸ばしながら、空高く飛翔して撤退していったのだった。