601:蒼き軌跡
部隊に所属していた時代、俺たちはいくつかの符丁を活用していた。
主なものは軍曹のハンドサインなどであったが、簡単なものでは単純なリズムを組み合わせた伝達法など、その場に応じてさまざまに使い分けていたものである。
だがその中で、アンヘルとランドは少々特殊な存在であった。
何しろ、あの二人は符丁でタイミングを合わせる必要が無い。まるでお互いの心を読んでいるかのように、目配せすらもせずに完璧に連携をしてみせていたのだ。
どういう仕組みなのかと問いかけてみれば、『何となく』としか返ってこなかったため、部隊全員で首を捻っていたものだが。
(それをわざわざ符丁を使ってきたってことは――強引にでも仕留めろってわけか)
エリザリットに対処するため、テイムモンスターたちを防衛の戦線から離した。
それで即座に押し込まれるということはないだろうが、戦線が不利になることは間違いない。
それでなくとも、エリザリットの持つ沈黙の能力によってプレイヤーの力が大きく制限されてしまっているのだ。
この不利な戦況が続けば、あの防壁を抜かれるのも時間の問題だろう。
(別にそれ自体はいいんだがな)
セイランを操り、こちらを貫こうと撃ち放たれた氷の弾丸を回避しつつ、俺は内心でそう呟く。
防衛に失敗するところまでは予定通りだ。だが、可能であればそれはエリザリットを仕留め切った後であることが望ましい。
ファムの奴が作り上げた大仕掛け、その最終段階を盤石なものとするためには、エリザリットの存在は邪魔なだけだ。
少なくとも、それをエリザリットを仕留めることに使うことだけは避けたい。
最悪の場合は強制解放を使うことすらも考慮に入れながら、ルミナの迎撃を陰にしながら旋回し――再び、アンヘルの銃声が響いた。
「――――ッ!」
決行の合図。それと共に、後方から無数の銃声が鳴り響いた。
飛来したのは、《スペルブレイク》を付与された蒼い弾丸。それらは、エリザリットが宙に待機させている魔法を次々と撃ち抜き、消滅させていった。
無論、全てを撃ち抜くことができたわけではない。
距離は離れているし、標的は動いている。当てることができたのはほんの一部でしかないだろう。
それでも、エリザリットの防御能力が大きく落ちたことは紛れもない事実であった。
「くっ、また邪魔を……!」
多くの魔法を破壊され、エリザリットが顔色を変える。
弾幕を張ってこちらを撃ち落とそうとしているのだから、それを邪魔されれば苛立つのも無理はなかろうが。
「魔剣使い以外にもわらわらと! あんたたちみたいな雑魚に、構ってる暇なんて無いのよ!」
「ならさっさと仕留めることだ。それができないなら、雑魚はテメェの方だってことだ!」
「ハッ、ならアタシに近づいてみなさいよ! できるものならね!」
言いつつ、エリザリットは大きく息を吸う。
恐らくは、先程と同じ衝撃波だ。後何度か見れば、その息を吸うタイミングから対応できる可能性もあるだろう。
だが、俺はそれに対し、正面から突撃することを選択した。
「《練命剣》、【命衝閃】」
生命力を纏い、長大な槍と化す餓狼丸。
それを手に、俺はセイランと共にエリザリットへと向けて直進した。
相手の顔に浮かぶのは嘲りの表情。発する衝撃波によって、俺たちが吹き飛ばされると思っているのだろう。
無論、俺もそれは分かっている。たとえ高い威力を持つ【命衝閃】を使っていたとしても、奴の衝撃波を破壊することはできない。
そんなことは百も承知だ。分かっていて、俺もセイランも正面から挑んでいるのだから。
「Lahhhhh――――」
再び、エリザリットの歌声が響く。
沈黙と衝撃、どちらにしろロクなものではない歌だ。
一瞬にして俺たちへと迫ってくるそれは、セイランの突進すらも弾き返して距離を取らせ、奴は再び有利な戦場を構築することだろう。
――刹那、宙に軌跡を描く蒼い流星が、俺たちを追い抜いて衝撃波へと突き刺さった。
「……ッ!」
一瞬だけ見えたシルエットは、巨大な矢によるもの。
以前に一度だけ目にした、魔法破壊の力を持つ特殊な使い捨ての大矢だった。
かつてエリザリットの分身を追い詰めたその一撃は、迫る衝撃波を容易く撃ち抜いて霧散させ、更にはその余波だけで周囲の魔法をまとめて粉砕する。
そして――
「な、ガッ!?」
回避の間すら与えず、その一撃はエリザリットの脇腹へと突き刺さった。
そのダメージに、エリザリットの体はぐらりとバランスを崩す。
やはり、一切の魔法を貫いた場合、エリザリット自身の防御力と体力はそう多くは無いようだ。
斬法――剛の型、穿牙。
ならばと、俺は蒼い軌跡をなぞるように、【命衝閃】の穂先にてエリザリットの胸を貫いた。
「アンタ、は……ァッ!」
「時間をかけてる暇はない。ここで死ね!」
告げて、【命衝閃】を消して接近する。
それと共に繰り出すのは、セイランの強靭な前足による一撃だ。
回避の間すらなく振り下ろされたそれは、辛うじて防御した様子のエリザリットの胴を打ち、地上へと向けて勢い良く叩き落とした。
防御されたため、セイランの一撃自体はそこまでダメージを与えられていない。
しかし、その衝撃までは防ぎきれなかったのか、防御の姿勢のままエリザリットは硬直している。
奴はそのまま地面へと叩き付けられ――その直前に、滑り込んできたアンヘルの、スレッジハンマーによるクリーンヒットが入った。
「ヘイ、シェラートのお仲間さん! パスですよ!」
まるで野球でもやっているかのようにフルスイングしたアンヘルは、エリザリットの軽い体を、ボールか何かのように思い切り吹き飛ばす。
スレッジハンマーを選んだのは、スタンによる行動不能を狙ってのことだろう。
実際、エリザリットは空中で動けぬ姿勢のまま、その先にいる巌の方へと吹き飛んでいった。
「《仙気収斂》」
その声と共に、全身を覆っていたオーラが右腕に収束する。
強く地を踏みしめ、重心を落とし、獣が飛び掛かるように前へと突き出すのは砲弾の如き掌底の一撃。
打法――崩掌。
左足から右腕の先端まで、まるで一直線に柱が立っているかのような掌底の一撃。
渾身の仙気を込めたであろうそれは、確かにエリザリットの心臓を打ち据えた。
人間ならば即死しているだろう。巌の放ったそれは、心臓を確実に潰す破壊力を持っていた。
だが――それでも、エリザリットの体力は尽きていない。
「Ahh――――――!!」
血を吐き、吹き飛びながら、それでもエリザリットは歌声を発する。
沈黙の歌声は、再び周囲の音を消し去り、プレイヤーたちのスキルの発動を阻害する。
体勢を立て直し、魔法を発動して、今度こそ俺たちを仕留めようと構え直し――
「……ッ!?」
――その薄い胸を、漆黒の刃が背後から貫いた。
沈黙の世界の中、いつもと変わらずスキルを発動させていたアリスが、ついにその牙を剥いたのだ。
《無影発動》のスキルを持つアリスは、スキルの名前を隠して操ることができる。
この沈黙の世界において、十全なスペックを発揮できる稀有な存在であった。
エリザリットも、そのことは把握していたのだろう。アリスがスキルを使っていること自体には動揺は無いように思える。
それよりも奴が焦っているのは、咄嗟に振り向いてしまった瞬間、アリスの目を直視してしまったことだろう。
「――――」
アリスの種族スキルである《闇月の魔眼》が発動し、エリザリットの動きが止まる。
それを確認したアリスは、後方へと跳び退って再び霧の中へと姿を消し――入れ替わるように飛び込んできた緋真が、奴の首を斬り裂いた。
それと共に、エリザリットの三つ目のHPが尽き果て、周囲の音が元に戻る。
奴のHPはあと一つ。どのような変化をするかは分からないが、ここで確実に仕留め切らなければ。
退路を塞ぐように頭上を確保し、いつでも攻撃を仕掛けられるよう待機して――
「――ほんに、泥臭い」
――甲高い金属音のような衝撃と共に、防壁の門が巨大な氷に包まれたのだった。