597:一進一退
「緋真、まずは地面を何とかしろ」
「了解ですよ、っと! 術式解放!」
俺の言葉に頷き、緋真は取り込んでいた【インフェルノ】の呪文を解放する。
舐めるように周囲に広がった炎は、地面を覆い尽くしていた氷をまとめて溶かし、蒸発させた。
流石に、あの足場の中で侯爵級悪魔と戦うなどできるはずもない。
しかしながら、その間もエリザリットは雪の結晶を生成し続け、更に奴の足元からは再び地面が凍り付き始めている。
あれで本当に能力を制御できているのかという疑問はあるが、何にしても奴を此処で潰さなければならない。
「さて……いい加減テメェの相手も飽きてきたところだ」
「あら、アタシはそうでもないわ。アンタのことはいくら潰しても潰し足りないもの」
表情は普段通りの生意気な笑みであるが、言葉の裏にある殺意は本物だ。
今度こそは逃がさないという、決意と覚悟が見て取れる。
しかし、それはこちらとしても同じこと。この悪魔だけは、ここで確実に討ち取らなければならない。
そうでなければ、いつ俺たちの街が襲われるかも分からないのだから。
嘆息と共に、俺は防塁から離れ正面へと足を踏み出した。
「悪いが、周りに気を使っている余裕は無い。各自、体力には気を付けてくれ!」
俺の宣言に、周囲がざわつく。
餓狼丸の持つ能力については、殆どのプレイヤーに周知されている状態だ。
俺の注意が意味することなど、彼らも十分理解していることだろう。
だが、それで防御の手が弱まってしまうのも問題だ。
「――我が猛者たちよ! 抜刀せよ!」
俺の言葉に、後方の気配が高まる。
純粋な戦意、相対する敵を狩らんとする古い本能。
鍛え上げられた久遠神通流の剣士たちは、俺の言葉に呼応して立ち上がる。
「我らはこれより死地に入る! 一人千殺、悉くを喰らいて死ね!」
元より決死の戦場、ならばただで死ぬことなど許されない。
一騎当千の猛者を謳うならば、その名を体現してから死ぬべきだ。
その言葉に臆する者など、我が久遠神通流に在る筈もない。
「さあ、仕事だ――貪り喰らえ、『餓狼丸』ッ!」
餓狼丸の刀身が叫びを上げ、黒いオーラが周囲を覆い始める。
周囲の生命力を啜り上げる妖刀は、敵味方の区別なくその猛威を振るう。
だが、その程度で怯むほど、久遠神通流の剣士たちは甘くはない。
餓狼丸の黒いオーラは、こちらへと迫りくる悪魔の群れをも飲み込み、その生命力を奪い取る。
しかし、その中に入ってなお、悪魔たちは恐れることなくこちらへと向かってくる。
それらを相手に前へと出るのは、久遠神通流の門下生たちだ。
「ついて来い、緋真!」
「はい、先生!」
門下生たちが悪魔の群れを食い止めている間に、俺と緋真は前へと進む。
その俺たちの頭上を通り越すように、防壁から放たれた遠距離攻撃がエリザリットへと殺到した。
しかし、それらの攻撃は雪の結晶によって遮られ、エリザリットの体には届かない。
それでも、雪の結晶の数を減らしてくれるだけマシというものではあるが。
「《蒐魂剣》、【断魔鎧】」
走りながら、青色の輝きを身に纏う。
魔法に特化したエリザリットの攻撃を受け止められるとは考えていないが、雪の結晶の自動反撃程度ならば何とかなるだろう。
とはいえ、準備をしてきたであろうエリザリットも伊達ではない。周囲を舞う雪の結晶の数は、まだまだ残っているのだ。
「まとめて吹き飛べ、【紅桜】!」
それを目にした緋真は、強く踏み込み輪旋の型と共に火の粉を放つ。
強い薙ぎ払いの一閃であったためだろう、普段よりも大きく拡散した火の粉は、雪の結晶に触れた瞬間にいくつもの爆炎を発生させた。
広範囲に広がる爆破の連鎖は、雪の結晶を破壊するには持って来いの攻撃だ。
だが一方で、敵本体を攻撃するには向いていない。【紅桜】はあくまでも牽制程度の威力しかない攻撃なのだ。
「ふん、穴だらけにしてあげるわ」
雪の結晶を減らされたエリザリットであるが、その余裕は崩れていない。
奴が腕を掲げると共に、その周囲には水の塊がボコボコと音を立てながら出現した。
膨れ上がった水の塊は、まるで弾ける様に細く水を噴出させ、こちらを狙う。
歩法――陽炎。
その一撃は速度の制御で回避したが、地面に命中したそれは容易に石畳を穿ち、深く穴を開けてしまった。
恐らくは氷の粒を含む、水の高圧噴射だ。直撃すれば、銃弾よりも鋭く身を貫くことだろう。
弾速は速いが、攻撃の予備動作は読みやすい。注意しておけば命中することはないだろう。
しかし、それはエリザリットも理解しているようだ。
「生意気。なら、こうしてあげる!」
その言葉と共に出現したのは、いくつもの水の玉。
雪の結晶の生成を止めてまで出現したそれらは、前に進む俺たちを包囲するように展開していく。
全方位からの射撃。これを回避することは確かに困難だろう。
故に――
「緋真」
「分かってます……!」
久遠神通流合戦礼法――風の勢、白影。
俺と緋真は、同時に白影を使う。
視界がモノクロに染まり、音の認識が無くなる中、俺と緋真はスローモーションとなった視界の中で地を蹴った。
今の俺たちならば、こちらへと飛来する攻撃の軌道、その全てを読み取ることができる。
歩法――間碧。
そして、その隙間を縫うようにしながら、俺たちはエリザリットへと接近した。
唐突に加速した俺たちの動きに、エリザリットの表情には驚愕の色が浮かんでいる。
それでも、この小娘はすぐさま魔法を展開しようと手を掲げ――
「《蒐魂剣》、【断魔斬】!」
緋真が、紅蓮舞姫の炎と共に【断魔斬】を放った。
青い軌跡はこちらに注意を向けていたエリザリットの体を薙ぎ払い、奴の展開しようとしていた魔法をまとめて破壊した。
それとタイミングを合わせ、こちらも強く踏み込みながら刃を振るう。
「《練命剣》、【命輝練斬】!」
収束する生命力は、黒く染まり始めた餓狼丸を眩い黄金に染め上げる。
こちらへと放とうとした魔法がまとめて霧散し、目を見開くエリザリット――その肩口へと向けて、俺は全力で刃を振り下ろした。
斬法――剛の型、白輝。
踏み込んだ足元が爆ぜ割れ、足元を包もうとしていた氷が砕け散る。
閃光の如く振り下ろされたその一閃は、攻撃を防ぐために出現した氷を真っ二つに立ち割って、エリザリットの体を深々と斬り裂いた。
そして――膨大な魔力が、眼前にて炸裂する。
「ッ……!?」
攻撃力のある力の出現ではなかった。
だが、その勢いに押され、俺と緋真は大きく後方へと押しのけられる。
咄嗟に態勢を整えながら着地し、同時に俺たちはその声を聴いた。
「――《化身解放》」
膨大な魔力が、エリザリットの体を包み込む。
元より来ることは予想していたが、思った以上に早いタイミングだ。
しかし、上位の悪魔を打倒するには、避けては通れない道である。
己のHPを回復させつつその様子を注視し――やがて、その身を包む魔力の繭が弾けた。
その中から現れたのは、あまり大きくは変貌していないエリザリットの姿だ。
しかし、その身を包んでいた衣は局部を覆う布だけが残り、腕はそのものが巨大な鳥の翼へと変化している。
結んでいた髪は解け、まるで水中にいるようになびいている――その姿は、かつて海兵から聞いたことのあるものだ。
「セイレーン……海の魔物」
その歌声で船乗りを惑わす、美しき女の魔物。
エリザリットの正体は、その姿を模した悪魔であった。
そして真の姿を現したエリザリットは、大きく息を吸い込み――
「Ahh――――――!!」
その声が響き渡ったその瞬間、周囲の音の一切が消え去ったのだった。