596:紙一重の消耗戦
以前、ファムと――ブロンディーと雑談をしていた時に聞いた話だ。
罠には二種類がある。即ち、『気づかせる罠』と、『気づかせない罠』であると。
前者は、一般に罠と言われてイメージできるような代物で、俺たちにとっては地雷などが身近なものだった。
最初は引っかかるかもしれないが、あると分かれば警戒し、対処することも可能なタイプの罠だ。
そして後者は――
「……それを利用しているんだろうな、今回も」
こちらへと向かってくる悪魔の群れに対して【咆風呪】を放ちながら、俺はそう呟く。
たまに建物を乗り越えてくるようなやつもいるが、基本的にはお行儀よく、開けた道からこちらに向かってくる。
こちらからの射線が通りやすい、真っすぐな道だ。
何故奴らがわざわざそんな攻撃されやすい道を通ってきているかといえば、それこそがファムが仕掛けた罠だからだろう。
詳しくは聞いていないため具体的な方法は知らないが、どうせ建物の配置や持続する罠を使って進行方向を誘導し、正面に集めていると思われる。
おかげで、渋滞を起こした悪魔たちは効率的に進めず、こちらはそれを迎撃しているだけで済むというわけだ。
(とはいえ、楽観的になってもいられないか)
外壁の上で、遠方を見つめるファムの表情は厳しい。
戦えてはいるが、依然として状況は不利。それは、決して否定することのできない現実だ。
結界に閉ざされたことによって、悪魔たちは本気になっている。
石板の結界は奴らにとって毒だ。その中に居続けることは、大層な苦痛であるだろう。
事実、結界によって弱体化はしたものの、迫る勢いそのものは強くなってきている。
特に厄介なのは、通路を無視し、建物を乗り越えながらやってくる個体だろう。
「《練命剣》、【命輝一陣】!」
外壁周囲の建物は撤去され、ある程度の距離があるが、それでも悪魔の身体能力は高い。
特に、ここまで一気に跳躍できるような個体は、上位のアークデーモンや身体能力に優れたデーモンキメラなどだ。
今回もこちらへと飛び込んできたアークデーモンへ【命輝一陣】を放ち、こちらへの攻撃をキャンセルさせながら防御行動を取らせる。
防御魔法を発動できなかったならば――
打法――天陰。
着地地点へと滑るように接近し、突き出した親指で眼窩を穿ちながら頭蓋を掴み、そのまま地面へと叩き付けてそれを砕く。
頑丈なアークデーモンといえども、頭を砕いてやれば即死するのだ。
とはいえ、それで気を抜いてもいられない。何故なら、この悪魔たちは小隊で、最低五人一組で行動しているのだから。
「――【緋牡丹】!」
打法――柱衝。
先頭の悪魔に続いて降下してきた個体を、こちらは蹴りで、そして割り込んできた緋真は解放したままの紅蓮舞姫で迎撃する。
頭上からの攻撃を回避しながらの蹴りは、流石に相手も反応しきれなかったのか、大きく仰け反って吹き飛ぶこととなった。
そして、緋真の一閃を受けた個体は防御しきれず、腕を斬り飛ばされながら炎に焼かれている。
この派手に吹き飛んだ二体については、他のプレイヤーによって仕留められることとなるだろう。
「『生奪』」
「《術理掌握》、【インフェルノ】!」
斬法――剛の型、輪旋。
そして、最後に残った二体に対し、俺と緋真は同時に刃を振るう。
生命力と炎、それぞれを纏う一閃は、例えアークデーモンといえども、結界によって弱っている状況下で防ぎ切れるものではない。
真っ二つになった悪魔が消滅するのを確認しつつ、俺たちは防塁の内側まで後退した。
「何ていうか、嫌な感じの戦い方ですね」
「消耗戦のことか? まあ、否定はできんがな」
悪魔の数を削ることはできているが、こちらも被害なしとはいかない。
回復が間に合っている内はいいのだが、こうして遠距離攻撃の弾幕を抜けてくるパターンも多く、たまに離脱者が出てしまっている。
死に戻っても石板から復帰するのだが、デスペナルティによる弱体化まではどうしようもないのだ。
「ゲームの世界だから何とかなってるがな。向こうだったら、結構な数がとっくに折れてただろうよ」
痛みは殆ど無く、傷を受けてもすぐに回復することができる。
それが可能なゲームの世界だからこそ、このような無茶な防衛が成り立っているのだ。
あちらの世界だったならば、素人連中はとっくに士気が崩壊していた筈だ。
「まだ対処は可能な範囲内。だが――少なくとも、この悪魔共は馬鹿じゃない」
「ですね。上を通ってくる敵も増えてきましたし」
「制空権も、かなり本気で奪おうとして来ているな。上を取られたら、いよいよ崩壊は目の前だ」
結界の展開により、悪魔たちは本気でこちらを潰そうとして来ている。
その証左に、上空の悪魔たちが攻勢を強めている状況だ。
今は何とか制空権を維持できているが、あれが押し込まれれば地上も瓦解することになるだろう。
流石に俺も、頭上から攻撃が降ってくる状況では暢気に戦ってもいられない。
「それに、地上の方もそろそろ仕掛けてくると思うぞ?」
「その根拠は?」
「奴らも状況に応じて対処している。それでも成果が見られない状況となったなら……爆発する奴も出てくるだろうさ」
俺がそう呟いた、瞬間だった。
頭上から、緊迫感を多分に含んだアルトリウスの声が響く。
「総員、防御態勢!」
「盾を構えよ!」
アルトリウスの言葉に呼応して、パルジファルが前に出る。
それと並ぶは、彼女の部隊に所属する防御特化のプレイヤーたちだ。
映像で彼女たちが悪魔の軍勢を足止めする姿を見ていたが、実に見事なものであった。
「《フォート・ファランクス》!」
パルジファルたちが地面に盾を突き立てるように構えると同時、連なるようなエフェクトが防塁に重なるように展開される。
そして、それとほぼ同時――突如として、鉄砲水の如き激流が、悪魔たちの後方から発生した。
水の中できらきらと反射して見えるのは、恐らく氷の刃か何かだろう。
容赦なく巻き込まれた悪魔たちは、水流にもまれながら切り刻まれ、次々と消滅していっている。
勘のいい悪魔たちは上空に逃れて無事だったようだが、アルフィニールの悪魔辺りは流石に間に合わなかったらしい。
(あのクソガキ、妙に大人しいと思ったら準備をしてやがったか)
先ほどのちょっとした攻撃以来反応が無いと思っていたが、まさかこのような大規模な魔法を用意していたとは。
逃れるほどの時間がある筈もなく、水流は一気にこちらへと迫り――パルジファルを先頭に発生させた防壁が、その攻撃を正面から受け止めた。
地面を揺らすほどの振動だが、しかし水の一滴もこちらには入ってこない。
切り刻まれた悪魔が水に流されている光景は悪夢のようだが、敵が減ったことはこちらとしても都合がいい。相変わらず部下の扱いが雑なガキだ。
「ッ……だが、この程度!」
パルジファルは歯を食いしばり、盾を支える。
軋むような音を立てる防御スキルは――しかし一滴の水すらも通さぬまま、全ての鉄砲水を防ぎ切ってみせた。
見事、そう言わざるを得ない戦果。しかしながら、状況は決して好転したというわけではない。
何故なら、今の攻撃は周囲の建物すらも薙ぎ払い、悪魔の通る道を広げてしまったのだから。
「……やってくれるもんだ、エリザリット」
舌打ちしながら、俺は開けてしまった道の先を睨む。
今の攻撃によって水に濡れ、そして徐々に凍り付きつつある街。
その景色の先で、氷の上を滑るように移動するのは、先程と変わらぬ姿のエリザリットであった。
血の痕跡は消えているが、減ったHPに変化はない。どうやら、回復の手段は持っていないようだ。
「緋真、やるぞ」
「やっぱりですか……邪魔も多いですよ?」
「だが、こうなった以上は放置してもいられんだろ。足元の氷は何とかしてくれ」
足場を封じられては、どうにも戦いづらい。
緋真に氷を溶かして貰いながら、奴に対処することとしよう。
可能であれば、ここで奴を撃破したいところであるが――
「さて――今度こそ、決着をつけてやろう」
いい加減、あの小娘の顔を見るのも嫌気が差してきたところだ。
今度こそ、あのガキの首を落としてやることとしよう。





