591:遭遇戦
黄金に燃える西門が氷に包まれたその瞬間、俺の頭に浮かんだのは『どちらだ?』という疑問であった。
この場に現れる可能性のある悪魔の中で、氷を操るものは二体いる。
言うまでもなく、侯爵級悪魔エリザリットと、その上位である公爵級悪魔デルシェーラだ。
どちらが来ても厄介極まりない存在であるのだが、後者であれば対処のしようもない。
この段階で公爵級悪魔との戦闘など、対応できる筈もない。あれは万全の準備を整えた上で、ようやく相対することができる敵なのだから。
「チッ……」
餓狼丸を構え直し、意識を集中させる。
どちらが来るのかは分からないが、炎を消されてしまったことは事実。
全ての炎が消えたわけではないが、あそこからならば悪魔が侵入することも可能だろう。
撤退はまだ始まったばかり。今の段階で追撃を受けるわけにはいかない。
ならば――
「シリウス、準備をしろ」
「グルッ」
相手がどのような方法で侵入してくるかは分からない。
しかしながら、追撃を防ぐためには相手の出鼻を挫く必要がある。
それだけで完全に防げるのかどうかはあの女の仕込みにかかっているだろうが、まずはある程度余裕を稼ぎたい。
そのためにも、静かに意識を集中させて、相手の出方を観察する。
そして次の瞬間、凍り付いた西門が、みしりと音を立てて揺れた。
「……ッ」
切っ先を揺らすことなく、門の全体を捉えながら気配を探る。
門の向こう側では、何かしらの大質量の物体を叩きつけている様子だ。
エリザリットかデルシェーラかは知らないが、門の破壊自体は自分で行わず、配下の悪魔たちに任せようというのか。
だが、それで破壊に時間がかかるようであればこちらとしても都合がいい。
撤退している軍曹たちが、少しでも距離を稼いでくれれば、その分だけ無事に済む確率は高まるだろう。
「先生、私は――」
「デルシェーラだったら遠慮なく強制解放を使え。その後はずっと解除できないがな」
「もうちょっと後の方がいいんですけどね……!」
俺たちの中で、唯一緋真の成長武器だけが時間制限のない強制解放を持っている。
ここで切り札を切ったとしても、その後も継続して使用することが可能なのだ。
だが、やはりデメリットも大きい最終手段であるため、使わないに越したことはない。
現れるのがデルシェーラでないことを願うだけだが。
――再び門が揺れ、包む氷に罅が走る。
「……来るぞ」
そして次の瞬間――凍り付いた門が、内側へと向けて弾け飛んだ。
轟音と共に飛来する瓦礫。それら全てを、シリウスが鋼鉄の翼で打ち払い、その口からは衝撃のブレスを解き放つ。
「グルァアアアアアアアアッ!!」
石畳を砕き捲り上がらせる衝撃は、砕け散った門へと向けて殺到し、それを打ち破った悪魔たちをまとめて吹き飛ばす。
だがその中で、正面に立っていた一体の悪魔だけは、自身を魔法の障壁で包み込み、ダメージを受け流してしまった。
幼い少女の姿をした、水使いの悪魔――エリザリット。
その姿を確認し、俺はシリウスへと鋭く声を上げた。
「防げ、シリウス!」
「ガァアッ!」
翼を前に、鱗をさざめかせながら、シリウスは《移動要塞》にて防御態勢を取る。
その瞬間、エリザリットは払うように手を振るい――地面が凍り付くと共に、無数の氷の弾丸がこちらへと向けて放たれた。
咄嗟にシリウスの後ろへと隠れると、氷の弾丸は狙いもつけず無数にばら撒かれ、周囲を瞬く間に蹂躙していく。
レンガ造りの建造物も、紙切れか何かのように貫いて引き千切り、バラバラにしてしまうのだ。
逃げ遅れたプレイヤーの一部はそれに巻き込まれ、瞬く間に死に戻ることとなってしまった。
射程がどれだけあるのかは分からないが、下手をすれば撤退中の軍曹の部隊も、尻を突かれることになってしまっていただろう。
シリウスが受け止めなかった場合、果たしてどうなっていたのか――分からないが、重機関銃どころか機関砲レベルのこの攻撃を、まともに対処することなどできるはずもない。
(……以前より明らかに出力が増している。しかも、姿や動きにも違和感がない)
つまり、以前のような分身ではなく、本物のエリザリット。
その出力や能力は、以前までのものとは比べ物にならないだろう。
それに加えて、単純に魔法攻撃の威力が増している。
ロムペリアの話していたことではあるが、デルシェーラの協力を得ているということではあった。
果たしてどのような形で力を借りているのかは分からないが、このように氷を操っている以上、あの悪魔による干渉の可能性は高いだろう。
「はぁ……ようやっと会えたじゃない。ねぇ、魔剣使い」
射撃をやめ、ボロボロに破壊され尽くした街並みの中、幼い声でエリザリットは嗤う。
最初にあった時と同じ、こちらを嘲るような口調。
デルシェーラの干渉によって動けない状態だと聞いていたが、その問題は解決してしまったようだ。
シリウスの陰から表に出ながら、その姿を見据えて俺は告げる。
「こんなにも早く姿を現すとはな。デルシェーラのところは人材不足なのか?」
「アンタがいるところにザコなんか回しても、さっさと潰されるだけでしょ。だから直々に来てあげたの、光栄に思ったらぁ?」
つまり、他にも爵位悪魔はいるが、俺たちなら早急に対処できるレベル――高くて伯爵級までしかいない可能性が高い。
同時、そこまでしてでも追撃にエリザリットを出してきたという事実に危機感を覚える。
こいつらは、罠の可能性を考慮した上で、それを上から圧倒できると判断しているのだ。
でなければ、あからさまな誘いとなっているこの西エリアに、このような早い段階からエリザリットを回す筈も無いだろう。
(この段階での目的はどこだ? 俺たちか? それとも軍曹の撤退を失敗させることか?)
前者であれば、半分は目標を達成されてしまっているということでもある。
こちらの勝利条件は、軍曹たちが撤退を完了し、第二防衛ラインへの後退と戦闘準備を整えることだ。
ただの悪魔相手ならば、先程の聖火の件もあり、余裕をもって撤退を完了させられただろう。
だが、相手がエリザリットとなればそうもいかない。
ナリこそ子供だが、今まで戦ってきた悪魔の中でも、トップクラスに危険な相手だと判断できる。
(相手の思惑は分からんが、こちらの勝利条件を満たすことだけに集中する。軍曹には後で酒でも奢って貰わんと割に合わん)
幸い、軍曹はこちらの異常に気付いているのか、撤退スピードを速めている。
今ならば、エリザリットの魔法も追いかけない限りは届きはしないだろう。
後は、適度に時間を稼ぎながら後退するだけだ。その『だけ』が非常に難しいわけだが。
「……以前のシャボン玉はどうした? 子供の遊びは卒業か?」
「ホントはあっちの方が好みなんだけど、こっちはこっちで綺麗でしょ?」
言いつつ、エリザリットは手を広げる。
瞬間、周囲に浮かび上がったのは、以前のようなシャボン玉ではなく、同じくバスケットボール大はある雪の結晶であった。
成程確かに幻想的な光景ではあるが、悪魔が展開しているものである以上は碌なもんじゃない。
包囲はされぬように注意しながら、俺は更に言葉を重ねた。
「デルシェーラに力を借りたか。自分だけじゃ勝てないと踏んだわけだ」
「ハッ、口に気を付けなさいよ人間。力を借りたんじゃない、あいつの力をアタシが従えたのよ!」
エリザリットにはデルシェーラに対する敬意はなく、しかし立場上は従っているように見える。
そして、デルシェーラの力を従えたという発言――デルシェーラがエリザリットを強化し、エリザリットはその力を十全に操れるようになったということか。
デルシェーラの思惑や状況は全く分からない。だが、公爵級の力を借りているということは、エリザリットは侯爵級の中でもトップクラスの出力を有していると考えた方がいいだろう。
小さく嘆息し、俺は鋭く声を上げた。
「シリウス!」
「グルルッ!」
瞬間、シリウスの鱗がさざめき、弾丸となって撃ち放たれる。
《鱗弾》はエリザリットの作り出した雪の結晶を撃ち抜き、破壊する。
どうやらそれ自体の強度はあまり無いようだが、次々と作り出せてしまうため、あまり破壊することによる効果は無いようだ。
「仕方ない……とにかく、やるだけやるしかないか」
エリザリットの後ろから内部に侵入してくる悪魔たちを牽制しつつ、少しずつ後退しながら戦う。
正直勘弁してほしい状況であるのだが、後の勝利のためにはやるしかないだろう。
悪態を吐きたくなる状況に、俺はエリザリットの姿を睨み据えたのだった。