566:輸送路
『これは私が一方的に喋る内容だから返答はしなくていいわぁ。とりあえず、大通りを映し続けておいて』
今までに見たことのない巨大なゲートを前にして、驚愕を隠しきれないアリシェラを他所に、ファムは淡々と言葉を連ねる。
この光景を前にしても、彼女には一切の動揺はなかった。
『悪魔側にとって、今現在この都市がどのような位置づけであるかを考えた場合、最前線であることは否定しようのない事実だわぁ』
それに関しては否定しようのない事実であるため、アリシェラも内心で同意する。
この都市は現在、人間が奪還した領域と悪魔が支配している領域の境目にある。
その中でも特に攻めやすいこの場所は、人間側にとっては狙い目の場所だと言える。
『もう片方の境界にある都市が大要塞であり、しかもしっかりと補修と防備を固められている辺り、相手も戦線をこちらに絞ってきているのが分かるわねぇ』
会議の際に話していた内容を再確認するようにしながら、ファムは続ける。
単純な事実の確認であるが故に、彼女を警戒するアリシェラもその言葉を否定することはない。
ただ静かに頷きながら、巨大なゲートの観察と周囲の警戒を続ける。
『けど、その割には防備も中途半端、本気で守る気があるようには見えない。まあ、この都市の立地関係からして、真面目に防衛するだけ馬鹿を見るだけだけどねぇ』
嘲弄するような声音のファムに対し、アリシェラは思わず舌打ちを零しかける。
だが、それが配信に乗っても面倒だと努めて沈黙を保ちながら、彼女はただファムの独り言へと耳を傾けた。
『内部の状況からして、やっぱりこの都市は人間を釣り出すための餌でしかないわぁ。その先にある悪魔の領地の状況を確認できないのが困りものだけど、まず間違いなく戦力を用意してるでしょうねぇ』
尤も、この話については先の会議にて議論していた内容だ。
元よりそうだろうと考えられていたものが、より説得力を増したという話に過ぎない。
重要なのはここから先、どのように対処するかどうかなのである。
『さてと……言うなれば、ここは敵本陣から離れた戦地。こういった戦場では、輸送路の確保が何よりも重要だわ。ここでは、この巨大ゲートこそが輸送路に当たるわねぇ』
迫撃砲のような巨大な兵器や、それに用いられる砲弾。また、アルフィニールの生み出す大量の悪魔。
それらを運ぶためには、このような巨大なゲートが必要になるだろう。
逆に言えば、これさえなければ悪魔側は戦力を維持することができないのである。
『輸送路をすべて破壊することができれば、この都市は現在置かれている戦力を全て潰すことで攻め落とせる。簡単な仕事だわぁ』
(つまり、他のゲートがないかどうか探索しろってことね)
目の前に巨大なゲートはあるが、今すぐにこれを破壊することは任務ではない。破壊するにもタイミングがあるのだ。
とりあえずマップ上で位置関係をメモしておき、彼女はその場を離れることとした。
ファムからも特に注文が入ることも無く――しかし、彼女の独り言は依然として続いている。
『気になるのは、あのゲートは一対一の通行なのか、もしくは複数のゲートと繋がっているのかってところね。一つで複数の輸送路を賄っているのであれば、破壊工作も楽なのだけどぉ』
悪魔のゲートは、人間側には利用することができない。
破壊そのものは簡単だが、詳細な分析を行うことは困難なのだ。
ファムの懸念するように、もしもあの巨大ゲートが一対一で出口が開いているものである場合、兵器輸送や人員輸送のための他のゲートが存在する可能性が高い。
一つ潰すだけでも相手の輸送路にダメージを与えることは可能だが、完全にそれを断つことはできないのだ。
(この女が本来の戦い方を出来るのであれば、とっくの昔にすべてのゲートの位置の情報を抜き取って、破壊工作を仕掛けていたのでしょうね)
アリシェラにとって、ファムは苦手であり嫌っている相手だ。
しかしながら、クオンが肩を並べていた人物というだけで、その実力は非常に高いものであると評価している。
情報戦や破壊工作に特化したその能力は、近代における戦争では強力極まりない力を発揮していたことだろう。
しかしながら、この箱庭の世界では、それまでの戦いは通用しない。
(悪魔にハニートラップは通用しないし、クラッキングなどの電子戦はそもそも不可能。工作に用いるような高性能の爆弾などもない。それでも――クオン達は、あの女の実力と智慧を信じた)
当の本人が如何なる心境であるのかは、アリシェラにも判断はできない。
多少気になることではあるが、それでも追及するつもりも無かった。
ゲームのプレイヤーとしてはレベルも足りず、養殖によって無理やり最前線まで連れて来られた半端者。
直接戦闘においては、一切役に立たないであろう彼女が、果たしてどこまでの戦果を叩き出すことができるのか――
(現実世界の英雄……私の期待を、裏切らないでよね)
身勝手な主張であると、自覚しながらもうそぶいて――アリシェラは、街の探索を再開したのだった。
* * * * *
「完璧だと断言できないのが辛いところだけど……ま、こんなところかしらねぇ」
「ま、仕方あるまい。相手を拷問して情報を吐かせたならともかく、スニークミッションではここらが限界だろうさ」
不満げなファムの言葉に、軽く肩を竦めてそう返す。
この女は、とことんまで事前準備に時間をかけるタイプだ。
今回のような、スピードが求められる作戦はそもそもあまり好みではない。
しかしながら、今は拙速に動かなければならない状況であるし、俺たちには正確な情報を抜き取るための手段がない。
残念ではあるが、今手に入れられた情報が限界だろう。
「で、ここからどうするんだ?」
「すぐにでも動くわよぉ。気づいてるでしょ?」
「アルトリウスが慌ただしそうだったからな。まさか、隠密を撤退させることも無くそのまま作戦開始とは」
「今は少しでも時間が必要。もしこちらに対処しきれないような反撃が起きた際は、身軽な方が逃げやすいしねぇ」
そんな完璧主義者に近いファムであるのだが、致し方のない状況においては判断も速い。
いくら悩んでも状況が好転しないどころか悪化するからだ、ということらしいが――その判断力は見事の一言だ。
こいつにしてもアルトリウスにしても、時間を与えたら与えただけ恐ろしいことになる人間だろう。
「貴方が使っている商会の子たちも優秀ね。素人目線が多いけど、だからこそ採算度外視で面白いものを造ってるわ」
「この間の、氷の塊を相手にした時に使った、使い捨ての魔法破壊装備だったか?」
「そうそう。あれを組み込んだ遠隔式の爆弾ねぇ。遠隔と言っても、大して離れられないから今も待機して貰ってるわけだけど」
隠密で潜入したアリスたちは、現在も発見したゲートの近くで待機している。
彼女たちはそれぞれが一個ずつ件の爆弾を持ち込んでおり、先程それぞれのゲートに爆弾を設置したところであった。
幸い、侵入した数よりも発見したゲートの方が少なかったため、破壊のための数は足りている状況だ。
問題は、遠隔起動の限界距離が二十メートルも無いということだろう。
街の外部からの起動は勿論、安全圏まで退避してからの起動も不可能だった。
「直接の作戦指揮は、あの王子様にお任せするわぁ。私は起爆のタイミングだけ指示するから、後はよろしくねぇ」
「あいよ。ま、いつも通りだな」
部隊にいた頃の感覚で言えば、事前の破壊工作がこの女の役目であり、現場での直接指揮は軍曹の仕事であった。
作戦そのものの指揮が複数いても混乱するだけであるし、ここまで来ればファムが変に出しゃばってきても邪魔なだけだ。
後は粛々と、優秀な指揮官の下で作戦を遂行するだけである。
「作戦が決まっているなら、後はその通りにするだけだ。とにかく、目の前の敵を斬れば済む」
「そうやって、作戦中は悩まずに即断即決してくれるところ、余計な手間がかからなくて好きだわぁ」
「精々その通りにやってやるさ」
軽く手を振りつつ、アリスの配信を確認していた部屋から踵を返す。
しばらくは、厳しい戦闘になることを覚悟しなけりゃならないだろう。
あの都市の攻略まではいい。問題は、その後にある悪魔からの攻勢と、それを罠にかけた上での撃破、そしてそこからの反転攻勢である。
現時点でかなりの消耗戦になる可能性は高いし、楽に終わることはないだろう。
だが、成功すればデルシェーラの撃破すらも見えてくる。今回も、全力で事に当たるとしよう。