565:潜入調査
懐かしい人物との再会から翌日――俺たちは、連絡を受けた通りに準備を行った。
要するに、ファムの要求した配信による偵察を実施するための準備である。
具体的には、配信用アイテムの購入と、外部の動画配信サイトとのアカウント連携だ。
この機能を利用するためのアイテムは課金制であるため、若干ながら手間がかかるのである。
ライセンス購入のようなものであるため、一度買えばしばらく利用できるのだが、今後も利用する機会があるのかは謎だ。
(ブロンディーの奴が自分でできるようになれば済む話だが……あいつにそんな潜入能力を持たれるのも嫌な話だ)
かつてのアリスが使っていたような変装や、身隠しのスキル。
あの女にとっては元々得意分野であったが、スキルによって磨きがかかると思うと悪夢でしかない。
まあ、それは敵にとっての悪夢であるため、歓迎すべき話なのだろうが――本当にこちらに対してやらかさないかどうかは疑問の残るところだ。
ともあれ、準備が完了した俺たちは改めてゲームにログイン、ファムの通達に従い街の北部に集合した。
「はぁい、シェラート。それに、アリスちゃんも」
「愛称で呼ばれるような関係じゃないと思うけど?」
「一緒に仕事をするんだから、フランクな方がいいでしょぉ? 子供だと思ってるわけじゃないから、安心してね?」
「……まあいいわ。それで、私は配信をしながらあの街を探索すればいいのね?」
色々と聞きたいことがあるが、まともに答えはしないと判断したのだろう。
アリスは溜め息を吐き出しつつ、ファムへとそう問いかけた。
一方でその表情を見たファムは、相変わらずニヤニヤと笑みを浮かべながら続ける。
「そうそう。隠れながらあの街を見て回って貰うだけでいいわぁ。ただ、詳細に聞きたいことがあるときは、通話で連絡するからねぇ」
「……了解。他の人たちも同じなのね?」
「ええ。調査するエリアはそれぞれ別だけどねぇ」
人海戦術というには人数が少ないが、あまり多くしてもファムが情報を捌き切れないのだろう。
まあ、配信機能であるためアーカイブが残るから、後からチェックすることも可能なのだが。
どちらかといえば、このミッションをこなすだけの実力がある隠密が少なかったということだろう。
「とりあえず、敵に見つからないようにしながら見て回って貰うだけでもいいわぁ。何かあった場合にはこっちから連絡するから」
「あまり無茶な注文はしないでほしいわね」
「貴方にできないことは言わないから、安心して欲しいわぁ。あ、でも破壊工作についてはきっちりお願いねぇ」
暗に、『お前の能力は詳細まで把握している』と言いながら、ファムはにこやかに笑う。
この女の恐ろしいところは、相手の詳細な情報を掴み、細部まで把握してから会話に持ち込むところだ。
相手が油断している内に、既に王手をかけているのである。
一方で、情報からでは読み切れないような能力、実力を持った相手には特段の敬意と興味を抱く。
ジジイや軍曹、そして俺などはその対象であったようだ。果たして、アリスがその対象になれるかどうかは、今回の働き次第だろう。
「それじゃ、よろしくお願いするわねぇ。使える情報、期待してるわぁ」
アリスの単独行動ではあるが、離脱で援護が必要となる可能性もあるため、俺たちも近くまでは接近する。
果たしてファムが満足する情報を得ることができるのか――期待することとしよう。
* * * * *
アリシェラにとって、他人というものは基本的に信用に値する存在ではない。
それは彼女の人生経験から発している価値観であり、それ故にごく一部の信頼した相手にしか心を許すことはないのである。
そんな彼女にとって、ファムという女性は己の信頼を預けることはできない相手であった。
(他人を利用することに慣れた女……それも、ただ搾取するだけじゃない。相手にもメリットを与え、満足させ……喜んで協力させるように仕向けるタイプ)
アリシェラにとっての、ファムの評価はそのような人物だ。
気を許していれば、いつの間にか懐に潜り込まれ、致命的な要素を握られてしまう。そんな存在である。
故にこそ、アリシェラは決してファムに対しての警戒を解くことはない。
例えクオンが、彼女のことを信頼していたとしても、だ。
(相手もそれを理解して接してきているのが厄介よね……私に対しては、あくまでもビジネスの相手として扱ってくる。働きに対して報酬を用意されれば、こちらも動かざるを得ない)
感情面からすれば、アリシェラはファムに協力することなど真っ平ごめんであった。
だが、彼女は間違いなく有能であり、その能力は今後の戦いを有利に進めてくれることだろう。
その戦いの最前線に立つであろうクオンのためには、アリシェラも協力せざるを得なかった。
「……まあいいわ。仕事は果たす、それだけよ」
たとえ相手のことを認めておらずとも、仕事には全力で取り組む。それがアリシェラの誇りでもあった。
前回と同じように外壁を駆け登って都市に到達したアリシェラは、街の内部を眺めながら配信機能を起動する。
普段は利用しない画面に困惑しつつも、外に声が漏れぬよう小声で声を上げた。
「起動したわ。見えているかしら?」
呼びかけに対し、通話は行わない。
ただ、動画のコメント内で問題ない旨が通達されるだけであった。
元より、積極的に会話をするつもりも無かったため、アリシェラは軽く嘆息しながら行動を開始する。
ただし今回は外壁を通って移動すること無く、そのまま都市の内部へと侵入した。
(内部の様相は前回と変化なし……いえ、一応補修はされてるみたいね)
先日のクオン達の攻撃によって、都市は一部が破壊された状態となっている。
しかし、それらは黒い補修材によって補強されている部分があった。
(北西の都市で見たものと同じかしらね)
アリシェラは試しに短剣で軽く突いてみるが、傷がつくような様子はない。
元より通常の物理攻撃は威力を発揮できないため、あまり参考にもならないと、軽く肩を竦めてその場から踵を返した。
スキルによって完全に姿を消しているとはいえ、アリシェラも悪魔が群れている場所を動き回りたいわけではない。
可能な限り路地裏を通りながら、街の様子の観察を続行した。
(やっぱり、悪魔の数が多いわね……大半はまともに動いていないみたいだけど)
意味もなく歩き回っていたり、その場に立ち尽くしたりしている悪魔の数はかなり多い。
恐らくはアルフィニールによって生み出された悪魔であろうと結論付け、アリシェラはそれ以外の悪魔を探し始めた。
数が多いアルフィニールの悪魔は、広範囲攻撃に優れないアリシェラにとっては脅威である。
しかしながら、個々の能力は低いため、直接接触でもしない限りは発見されることもない。
距離を取りつつ横を通り抜け、アリシェラは更に都市の内部へと足を進めた。
(グレーターデーモンはどこにいるのかしらね……仕留めてみたい相手なのだけど)
先日出現したグレーターデーモンたちは騎兵が多く、移動力に優れる兵士たちであったため、徒歩での移動がメインとなるアリシェラには狙いづらい相手であった。
どちらかと言えば閉所での戦闘を得意とするが故に、ここまでは闘う機会が無かったのである。
(敵の目の少ない場所で、一体だけで孤立していたら狙ってみるのもいいかしら)
思わず口角が笑みに歪むのを感じながら、アリシェラはゆっくりと路地の移動を続け――視界の端に映った通話のマークに、思わずため息を吐き出した。
サイレントモードにしているため音は聞こえなかったが、視界に訴え続ける通話マークに舌打ちしつつ、呼び出しに対して応答する。
『はぁい、アリスちゃん。街の中央部、石碑が置かれていそうな場所に移動してねぇ』
愛称で呼ばれていることには苛立ちを覚えつつも、この場で声を上げることはできない。
配信画面に対して首肯を返しつつも親指を下に向けながら、アリシェラは言われた通りに街の中央部へと足を進めた。
中央付近は基本的に道が広く、アリシェラの体躯でも隠れられる場所は少ない。
しかし、アリシェラは建物の壁を駆け登って屋根へと到達し、可能な限り建物の上を利用しながら移動する。
基本的に、悪魔たちは地上を移動しているため、建物の上はフリーであることが多い。
とはいえ、飛行する魔物もいるため決して安全というわけではないのだが、距離もあるためスキルさえ発動していれば発見される可能性は低いだろう。
そうして建物を経由しながら移動した先は、街の中央にある広い通り。そこに降り立つことはなく、屋根の上から通りを見下ろす。
『ふぅん……やっぱり、そうなってるのねぇ』
――不本意ながら、アリシェラが抱いた感想は、ファムが呟いた言葉とほぼ同じであった。
街の中央、本来であれば石碑が置かれていたであろう場所。
そこには、これまでに見たことのない大きさの、渦を巻く黒いゲートが鎮座していたのだった。