557:凍れる写し身
半ば透き通り、表情の再現すら不完全となってしまった、エリザリットの分身体。
以前に見た時は、実際に斬ってみるまで正体が分からないほど精巧な作りとなっていた筈だ。
しかしながら、今こうして姿を現している分身体は、見た目から明らかになるほどに異常が表面化していた。
動きもぎこちなく、しかし魔法のキレだけは変わらない――まあ、厄介さで言うのであれば、前回戦った時の方が面倒は多かっただろう。
しかし、今の状態の方が優れている点も存在していた。
「チッ……本当に火力は増しているな」
前回戦った際、エリザリットは見た目に似合わずかなりテクニカルな魔法の使い方をしていた。
こちらの行動を制限し、確実に仕留めようとする、クレバーな戦い方だったはずだ。
しかし、今のエリザリットは、明らかに魔法の出力が向上している状態だった。
(体が凍っている辺り、デルシェーラが何かしているんだろうが……面倒なことをしてくれるものだ)
今のエリザリットは、制御が若干雑になる代わりに、攻撃性が非常に増している。
操る魔法の量は以前と同じだが、性質が変化すると同時に攻撃力が向上しているのだ。
俺の攻撃力ならば《蒐魂剣》で対処可能であるのだが、少しでもミスすれば一撃で落とされかねない。
以前とどちらが厄介であるかと聞かれれば、正直甲乙は付け難い状況であった。
「死になさいよぉ……ほら、さっさと! 邪魔なだけなんだからさぁ!」
「面倒な……!」
雨のように降り注ぐ、氷交じりの水の弾丸。
セイランを高速で移動させることで回避しながら、その様子を確認する。
細かな魔法であるため、これであれば当たり所が悪くない限りは一撃必殺とはならないだろうが、一撃でも受けて怯めば連続して攻撃を受けることになるため、結局状況は変わらない。
だが、それよりも厄介な点は、後方から悪魔の群れが迫ってきていることだろう。
(元々迎撃するつもりではあったが、コイツの相手をしながらとなると――)
こちらを取り囲むように出現した氷の槍に、俺は舌打ちしながら《蒐魂剣》を振るう。
俺たちを包囲する魔法の一角を崩しつつその場を脱出すれば、一瞬後に殺到した魔法はまるで毬栗のような氷の塊を作り出すこととなった。
巻き込まれていれば、ひとたまりも無かっただろう。
エリザリットは今のところ、俺とセイランに集中している。
そのおかげで、迫る悪魔の群れに対処する緋真たちへは攻撃が向かっていない状況だ。
こいつの執着心がこのような形で役に立つことになるのは予想外だったが、同時に好都合でもある。
流石に、緋真たちでもこいつの相手をしながら悪魔の群れに対処することは不可能だろう。
(問題があるとすれば、この状況でグレーターデーモンが出てくること……だが、狡猾なあの都市の悪魔が、この状況を見逃すとは考えづらい)
恐らく、奴らは俺たちがエリザリットに手間取っている内に戦力を投入してくるはずだ。
そうなれば、流石に奴らに押し切られてしまいかねない。
あの都市の悪魔がエリザリットのことをどこまで把握しているのかは分からないが、この状況は間違いなく、奴らにとっての好機である筈だ。
ならば――
「本気で行く。セイラン、体力には注意しろよ」
「クェエッ!」
可能な限り短い時間で、エリザリットを撃退する。
その上で、都市側から出現するであろうグレーターデーモンを殲滅する。
単純かつ安易な対応ではあるが、迷っているだけこちらが不利になるのだ。
可能な限り単純な買いを、力押しで押し通してしまえばいい。
「貪り喰らえ、『餓狼丸』!」
久しぶりの解放に、餓狼丸は歓喜の如き咆哮を上げる。
それと共に解き放たれた黒い霧は、エリザリットのみならず周囲の悪魔からも体力を吸収し始めた。
分身体であるエリザリットは、通常の攻撃は通り辛いが、餓狼丸による吸収は効果があるのだろう、奴からも少しずつ体力を吸収し始めている。
「《練命剣》、【命輝一陣】!」
その黒い霧の中で、黄金に輝く生命力の刃がエリザリットへと向けて飛び出した。
闇を斬り裂く眩い光は、しかしエリザリットの体に到達する前に消滅する。
その一撃を受け止めたのは、奴の体の周りに浮かぶ水の弾だ。氷を含み白く濁っているそれらを、エリザリットは自在に操っている。
どうやら、以前のようにシャボン玉を形成することはできないが、あのような形で魔法を操ることはできるらしい。
(制御力は落ちているが、戦闘スタイルそのものが変化したわけではないか。むしろ、魔法の性質が変化しているのに、その扱い方を変えられていないとも言える)
まあ、長年扱ってきた魔法が唐突に変わってしまえば、対応しきれないのも無理はないだろうが。
だが、時間をかけていれば奴もそれに慣れていくことだろう。
本体の方がどうなのかは知らないが、とにかくこの分身がそれに慣れるよりも先に仕留め切らなくては。
「セイラン!」
「クェエエエッ!」
セイランの勇ましい鳴き声と共に、周囲へと嵐が吹き荒れる。
今のセイランは、高速で飛行している最中は細かな魔法の制御を行うことはできない。
使えるのは、単純な射撃系の魔法と、大雑把に放てる範囲魔法程度だ。
収束した高威力の魔法を扱うことは、しばらく修行しなければ難しいだろう。
「《蒐魂剣》」
こちらへと迫る水の奔流。氷を含むそれを斬り払いながら、セイランの巻き起こした嵐の中を駆ける。
前回は防御のために使っていたシャボン玉であるが、水球の動き自体は前回と変わってはいない。
異なる点は、前回よりも数が少ないことと、多少風が吹いた程度では吹き飛ばされなくなっていることだ。
どうやら、嵐の中に巻き込んだだけではあの水球を排除できないらしい。
(強みもあれば弱みもある、か)
こちらも、今の奴のスタイルに合わせた形で戦い方を変えなければならない。
とりあえず言えることは、何とかしてあの水を排除しなければならないということだろう。
あれによる防御がある限り、奴の体自体へ攻撃を通すことは難しい。
それをこなすためには、二つの選択肢があるだろう。
一つは、スピードを落として魔法の出力を上げ、高威力の魔法で水球を排除した上で攻撃する作戦。
そして、もう一つは――
「セイラン、さらにスピードを上げられるか?」
「ケェッ!」
――さらにスピードを上げて、奴がこちらに対応しきれない速さで一撃を加えるかだ。
俺の提案に、セイランは威勢よく応えながら翼に力を籠める。
その瞬間、セイランの体は一段階スピードを上昇させた。
展開していた嵐も無くなり、ただ速く飛ぶことだけに集中したその体勢。
流石に俺も、振り落とされないように体を張りつけ、前を注視することで精いっぱいだ。
だがそれでも、標的であるエリザリットからは視線を外すことはない。
「ッ、ちょろちょろと――」
あまりにも速すぎるセイランの動きに、エリザリットは対応しきれず罵声を上げているらしい。
だが生憎と、聞き取れたのはそれが限度。今のセイランのスピードでは、相手の声もまともに聞き取ることは不可能だ。
そのスピードで、セイランは奴とすれ違う瞬間に、浮遊する水球を三個爪で打ち砕いた。
「《蒐魂剣》、【破衝閃】」
直後、セイランは大きく旋回、それと共に俺は《蒐魂剣》のテクニックを発動する。
セイランの身に体を張りつけながらであるため、刃を振るうことは難しい。
故に、使うのは長大な槍を形成する【破衝閃】。餓狼丸を抱え込むようにしながら、セイランの肩の上より伸びるように青く輝く槍を構える。
狙うは、水球が消えた一角。そこへと向けて、セイランは更なる加速を見せる。
「――――」
しかし、エリザリットは俺たちが到達するよりも早くこちらを捉え、その手を向けてくる。
俺たちの到達が早いか、或いはエリザリットの魔法の発動が早いか。
例え魔法を発動されても打ち消すことは可能だが、そこで【破衝閃】の効果は終わってしまう。
分の悪い賭けに思わず舌打ちを零し――横合いから飛来した赤い光が、エリザリットの腕を撃ち抜いて攻撃の軌道を逸らしていた。
「な――ッ!?」
「……ッ!」
その攻撃の正体を察し、俺とエリザリットは同時に表情を変える。
エリザリットは驚愕と屈辱、そして俺は称賛だ。
だが、その事実を確かめる間など有る筈もなく――俺とセイランの放った一撃は、エリザリットの胸を貫いたのだった。