538:いくつかの異変
スキルの調整をした後、俺はメールでアルトリウスへと連絡を送った。
内容は先ほどの、優秀な動きをする悪魔たちについてだ。
といっても、詳細な調査をしたわけではないため、こちらから送れる情報は実際に起こったことに関する説明ぐらいなのだが。
確証もないまま所感を交えてもノイズにしかならないだろうし、詳細な内容についてはアルトリウス側で調べて貰った方がいいだろう。
そう考えてメール画面を閉じたのだが、次の瞬間には耳元で通話の呼び出し音が鳴り響いていた。
「おん? 確かに重要な案件だったかもしれないが、そこまで急ぐほどの話だったか……?」
とはいえ、アルトリウスが直接話す必要があると判断したのであれば、それを無視する理由もない。
緋真たちには軽く目配せをしてから通話を繋げ、声を上げた。
「どうした、アルトリウス? さっきのメール以上に報告できるような内容はないぞ?」
『それもありますが……すみません、急いで砦まで戻って下さい!』
「……何があった?」
『詳細は不明ですが、上空に氷の塊が生まれて、徐々に肥大化していっています。まだ氷塊といった程度の大きさですが、このまま肥大化すれば氷山サイズになるかもしれません。それが落下してくれば、この砦は壊滅します!』
その言葉に、俺は思わず舌打ちを零した。
氷の塊と聞いて思い浮かべるのは、公爵級悪魔であるデルシェーラだ。
以前のワールドクエスト――否、グランドクエストで姿を見せて以来、その姿を見ることはなかった。
もしも公爵級が現れたとすれば一大事だ。奴らが出張ってきた場合、強制解放を行った成長武器か、或いは龍王ほどの戦力でもない限り太刀打ちはできない。
今から龍王を呼んでくることも難しいだろうし、そうなると俺やアルトリウスが何とかしなければならないだろう。
「チッ……何か予兆はなかったのか?」
『少なくとも、『キャメロット』が集めていた情報の中ではそれらしいものはありませんでした』
「となると、ノーヒントか……」
現在前線拠点となっているのは、聖王国の北端都市だ。
『エレノア商会』の手によって要塞化されたその都市は非常に頑強ではあるのだが、流石に頭上から氷山を落とされて無事に済むはずがない。
一応、エレノアたちも防空設備の重要性については理解していた筈だが、いきなり頭上に氷山が出現するなど想像の埒外だ。
『今のところ、氷が落下してくる気配はありません。しかし――』
「そのまま何事もなく浮かんでいる筈もない、か。そりゃそうだろうな」
『絶対に対処する必要があります。申し訳ないのですが、すぐに帰還をお願いします』
「分かってる、すぐに戻る」
今のところ、帰還のスクロールの転移先は、霊峰の麓にある集落になっていることだろう。
他の石碑からあそこの石板に転移することはできないが、逆に石板から他の街へと転移することは可能である。
スクロールを使って麓へ帰還、その後に拠点へと転移するのが最も速い移動手段だろう。
「予定変更だ、急いで戻るぞ」
「何か、厄介そうな雰囲気でしたけど……何があったんですか?」
「直接見た方が早いだろうが、どうせ掲示板でも話題に上ってるだろうよ。お前はそっちを調べておいてくれ」
緋真にはそう告げつつ、帰還のスクロールを取り出す。
何にしても、拠点を潰されることは避けなければならない。急ぎ、状況を確かめることとしよう。
一度ルミナたちを従魔結晶に戻し、帰還のスクロールを発動させて麓の拠点へと戻る。
相変わらず試練を受けるプレイヤーでごった返してはいたものの、やはりその数は若干少ないように思える。
例の氷の件は、既に多くのプレイヤーに伝わっているようだ。
「随分人が移動してるわね……何が起きてるの?」
「さっきも言ったが、見るのが一番早い。急ぐぞ」
アリスにもそう返しつつ、俺は石板での転移を起動した。
問題なく稼働している様には少しだけ感動しつつも、気にしている場合ではないと気を引き締めて転移する。
風景が歪み、俺たちの体は一瞬で前線拠点へと移動して――その様子に、思わず苦い表情を浮かべた。
「……何ですか、あれ」
「さてな……」
空に浮かぶ氷塊――現状、トラック程度の大きさではあるのだが、少しずつ体積を増していっている様子が見て取れる。
放置しておけば、いずれは氷山のような大氷塊となる可能性も否定はできないだろう。
辺りにいるプレイヤーは、揃って空を見上げながら話し合っているが、二の足を踏んでいる状況のようだ。
この状況ならばあの氷に攻撃を仕掛けるプレイヤーがいたとしてもおかしくはないと思うのだが――
「クオンさん、到着しましたか!」
「アルトリウス。状況は……変化はしていないのか」
「氷が少しずつ大きくなっていること以外は、変化なしですね。とりあえず、こちらへ」
いつまでも石碑の前にいたら邪魔になるだけだ。
こちらへと寄ってきたアルトリウスの手招きに従い移動すれば、そこには普段通りの『キャメロット』の幹部連中の姿があった。
「クオン殿、来てくれましたか」
「流石に、拠点の危機となれば無視できんからな……それで、状況は?」
「見ての通り、突然現れた氷が徐々に巨大化していっている。前兆もないし、原因も不明。だけど、このまま放置するわけにもいかないと」
ディーンやマリンの言葉に頷き、俺は再び上空の氷を見上げる。
少しずつ巨大化していってはいるが、今のところ移動する気配はない。
問題はあるだろうが、今ならば対処可能なようにも思える。
「破壊は試みたのか? 小さい内の方が被害は少ないだろう」
「それは勿論。僕たちだけではなく、他のプレイヤーの皆さんも含め、あの氷の破壊を狙った者はそれなりにいます。しかし――」
「……全く効果がなかったのか?」
「いやぁ、反撃を受けたのさ。自動的、機械的な反撃のように思えたけど、その威力は絶大。ウチでも、危うくラミティーズ君が死に戻るところだったよ」
マリンの言葉に、思わず眼を見開く。
ふざけてはいるが、ラミティーズは部隊長の名に恥じない実力を持ったプレイヤーだ。
その彼女が死にかけるなど、並大抵の攻撃ではないのだろう。
しかも、その彼女が攻撃を仕掛けたにもかかわらず、あの氷は健在。つまり、ワイルドハントの攻撃にすら耐えるということだ。
「攻撃は全く効かなかったのか?」
「削り取ることはできました。その後、修復されるまではそれ以上の肥大化をしなかったことは確認しています」
「だが、根本的な解決にはならなかったと。自動反撃を受けるから、迂闊に手を出すプレイヤーも減って、結果としてただ指を咥えて見ているしかなくなった……ってところか」
「耳が痛いですが、仰る通りですね」
悩ましそうに頷くアルトリウスの言葉を聞き、俺は眉根を寄せつつ上空を見上げた。
少しずつ肥大化していく氷の塊。あれが落下してくるまでに、果たしてあとどれぐらいの猶予があるだろうか。
分からないが――とりあえず、このまま手をこまねいているわけにもいかないだろう。
「やるだけやってみるしかないか……済まんが、少しこの辺りのスペースを開けてくれ」
俺の言葉に、『キャメロット』の面々は疑問符を浮かべつつもその場から後方に退避する。
十分なスペースを確保できたことを確認し、俺は従魔結晶からテイムモンスターたちを呼び出した。
当然、巨大極まるシリウスもだ。
「うおっ!?」
「ほほう……この距離からクオン殿のドラゴンを見るのは初めてですね」
「興味を持つのはいいが、観察するのは後にしてくれ。シリウス、ちょっと小さくなってろ」
俺の指示に頷いたシリウスは、《小型化》のスキルを発動して体のサイズを縮めた。
それでも十分大きいレベルではあるのだが、そこまで邪魔になるレベルではなくなっているだろう。
「クオンさん、攻撃を仕掛けてみるんですか?」
「ああ、放置するよりはマシだろう?」
「……それなら、まずはあの真龍のスキルを試してみて頂いても大丈夫ですか? 木々を伐採していた時のスキルです」
「《魔剣化》か。確かに、あれなら十分な威力はあるだろうな」
《魔剣化》の強力なところは、遠距離からアクション一つで、相手の防御力を無視してダメージを叩き出せる点だ。
確かにあの攻撃ならば、強固な氷が相手であろうとも、一撃で破壊できる可能性はある。
俺としては《蒐魂剣》の方が適任かと考えていたのだが、確かにアルトリウスの提案にも一理あるだろう。
「分かった、試してみよう。だが、地上のフォローは任せるぞ」
「それは勿論。落下予測地点ではパルジファルさんたちが控えていますから、破片程度ならどうとでもなります」
「成程、了解だ。それじゃあ、試してみることとしようか」
アルトリウスの提案を受け入れ、俺はセイランに跨ってシリウスと共に上空へと移動した。
《小型化》していたとはいえ、それは真龍の威容。周囲のプレイヤーたちがこぞって指差して空を見上げる中、俺たちは正面から氷塊を見据えられる位置へと移動する。
不気味にたたずむ氷塊は、白く濁っていて中を見通すことはできない。
氷は透明なほど純度が高く、硬く壊れづらいというが……生憎と、この氷がその通りである保証はない。
しかし、そうだとしても――
「真龍の本気の一撃を受けて、果たして無事で済むものかね。シリウス!」
「グルルルッ!」
俺の言葉に《小型化》を解除したシリウスは、本来の威容を解放しつつ、己の尾の刃へと自らの牙を立てた。
それを擦り合わせるとともに甲高い音が鳴り響き、元より銀の魔力に包まれていた尾は更に強大な魔力を宿す。
紛れもなく、第四段階まで成長した真龍の放つ本気の一撃。それを受けてどのような反応を示すのか、確かめてみることとしよう。
餓狼丸を抜き放ち、スキルと魔法を発動していつでも対応できるように準備しつつ、俺はシリウスへと命じた。
「《魔剣化》だ、叩き斬れッ!」
「ガアアアアアアアアッ!!」
尾が纏う魔力が、一層鋭さを増す。
それと共に、宙返りをするように振り抜かれた尾の一閃は――空間ごと、氷の塊を真っ二つに斬り裂いた。
「――――?」
刹那、僅かに違和感を覚える。
だが、それを確かめるよりも僅かに早く――氷の内側から、膨大な殺気が膨れ上がったのだった。