495:大公級悪魔
「成程――つまり、その悪魔は人間となったわけか」
「は、はい。でも、あいつは人間に変わった影響で、リソースを大きく奪われています! 今なら簡単に仕留めることができるはずです!」
「ああ、それはどうでもいい。重要なのは、悪魔から人間が生まれたということだ」
侯爵級悪魔エリザリット――その報告を聞き、鎧を纏う金髪の偉丈夫が頷いた。
その言葉に、エリザリットは思わず耳を疑い、けれど口を挟むこともできずに歯噛みする。
悪魔たちは、基本的に人間のことを見下している。エリザリットもまたその例に違わぬ存在だ。
だからこそ、悪魔が人間になるなど、そんなことを認められる筈がなかったのだ。
けれど、その言葉を聞いた男は、まるで気にした様子もなく、円卓の反対側にいた女へと声をかける。
「アルフィニールよ、どう思う?」
「えぇ、素晴らしいことだと思うわぁ。お母様も、これはきっと予想していなかったでしょうしぃ」
アルフィニールと呼ばれた薄紫色の長髪の女性は、男と同じように落ち着いた様子で頷く。
その返答に、エリザリットは信じがたいと言わんばかりの表情で沈黙する。
アルフィニールは、エリザリットにとっては上司とも呼べる存在だ。
現状、彼女の配下として行動しているが故に、アルフィニールの言葉を無視して行動することはできないのである。
「けど、女神も面白いことをしてくれたわねぇ。まさか、自ら悪魔を懐に招き入れるなんて……そんなにあの子のことが気に入ったのかしらねぇ?」
「大方、例の人間の絡みであろう。だが、実に面白い……王が見込んだ存在というだけはある。そう思わんか、エインセル?」
「さてな。だが、挑んでくるのであれば叩き潰すまでの話だ」
「もう……ヴァルフレアもエインセルも、もう少し仲良くして欲しいわぁ」
横から声を挟んだのは、黒い外套を纏う黒髪の男。
低くしわがれた声は、引き攣ったような笑い声に染まっている。
その言葉に、エインセルは顔を顰めながらそう切って捨てた。
大公級悪魔――アルフィニール、エインセル、そしてヴァルフレア。
悪魔たちの頂点たるその怪物たちの会話を、エリザリットは一切理解することができなかった。
「ん……ああ、エリザちゃん。あの子のことは今は気にしなくていいわぁ。私達の方で対処しておくからねぇ」
「っ……で、でもっ」
「大丈夫だから、ねぇ?」
甘く、優しく――けれど、有無を言わせぬその言葉に、エリザリットは唇を嚙みながら踵を返した。
大公の間から去ってゆくその姿を見送り、エインセルは目を細めながら声を上げる。
「あれは、余計なことをするのではないか?」
「いいんじゃないかしら、それはそれでぇ。どの道、ロムペリアちゃんの行方なんて監視してないんだからぁ。あの子が自分から人間の領地に足を踏み入れたとして……それはそれで、エリザちゃんの責任でしょぉ?」
「クククク……相変わらずだな、アルフィニール」
称賛の言葉にはひらひらと手を振って返しつつ、アルフィニールは上機嫌な様子で声を上げる。
エリザリットのことなど、あっという間に忘れ去ってしまったかのように笑いながら。
「ところで、お母様はもうこの件のことを知っているのかしらぁ?」
「ご存じだろう。王はあの男にご執心だ、自らの目で監視していたことだろうよ」
「女神も面白いことをするものだなァ……わざわざマレウスに見せるために霊峰の力を弱めていたんだろう?」
「でしょうねぇ。そうじゃなきゃ、霊獣が護る山にロムペリアちゃんもエリザちゃんも近づけた筈がないし」
くすくすと笑いながら、アルフィニールはそう口にする。
女神に対する敵対心はある。だが、同時にその行いに対しての称賛は紛れもなく本物だった。
大公たちは、そもそもの成り立ちが他の悪魔たちとは異なるが故に、立場としての敵意はあろうとも、種族としての敵意は存在しないのである。
「それより、クラグスが負けたって本当なの?」
「……ああ、王より話を聞いた。東の大陸にて、一騎討ちで相打ったそうだ」
「まさかあの野郎が死ぬとはな……だが、悪くない末路だろうよ」
「そう……でも、確かに彼にとっては望むべき最期だったのかもねぇ」
仲間の死を悼み、アルフィニールは目を伏せる。
大公クラグス――それは、アルトリウスが確認することができなかった、最後の大公級悪魔であった。
けれど、その悪魔は既に存在しない。アルトリウスがその情報を手に入れることは、土台無理な話であった。
何故なら、この地から遥かに離れた東の大陸にて、その悪魔は果てたのだから。
「それじゃあ、あちらの大陸はしばらく放置ってことかしらぁ?」
「そうなるだろう。元より、あちらの地は精霊王の支配地――中途半端な攻め手では落とし切れぬ」
「そうなの? うちの子たちを放ってあげれば結構進むと思うのだけどぉ?」
「そのためにお前を向こうに派遣していては本末転倒だ。この地の人間、異邦人たちとて決して侮れぬ。公爵を一人討たれたことを忘れたか」
じろりと睨むエインセルの言葉に、しかしアルフィニールは涼しい笑みと共に受け流す。
並の悪魔たちであればその声音だけで竦み上がるほどの圧力に、彼女はくすくすと笑いながら告げた。
「勿論、冗談よぉ。こんな楽しいお祭りに、お母様が見込んだ戦士までいるんだもの。私だけ退屈なお仕事なんてつまらないわ」
「……理由は不純だが、まあいい。それより、その異邦人共への対処についてだ」
「ああ、そろそろ来そうなんだったな。アルフィニール、お前のところはもう戦っているんだろう?」
「そうみたいねぇ。でも、私のお城にはまだまだ辿り着きそうにないし……しばらくは他の子たちに任せようと思って」
「怠惰な……」
「その代わり、戦力はきちんと増やしてるのよぉ? あの子たちが、ちゃんと頑張ってくれるわぁ」
実直で生真面目なエインセルと、怠惰で奔放なアルフィニール。
その対照的な二人を眺めながら、ヴァルフレアはくつくつと笑い声を零していた。
「まあ、好きに対処すればいいだろうよ。だが、チャンスは与えなけりゃならん」
「……分かっている。今我らが戦えば、それで戦争は終結してしまうだろう。王からの命だ、違えるわけにはいかん」
「私たちは直接挑まれるまでは戦わない……仕方がないこととはいえ、退屈よねぇ。うふふ、早く来てくれないかしらぁ?」
大公級悪魔は、他の悪魔と比較しても隔絶された力を有している。
もしも今の段階で異邦人と戦闘になれば、その力で全ての異邦人を殲滅できてしまうほどに。
故にこそ、彼らは行動を封じられているのだ。他でもない、彼らの王たるマレウス・チェンバレンによって。
人間の可能性を夢見た狂人は、そうであるが故に人々にチャンスを与える。
どれだけ困難な道であったとしても、決して突破不可能な試練を作ることだけはない。
「さて、エインセル。それなら、人間たちはどう出ると思う?」
「奴らも力不足は理解しているだろう。今は、自分たちを鍛え上げるために動くはずだ。であれば――」
「私のところねぇ? 元気が良くていいわぁ。異邦人の子たちが減らす数と、私が増やす数、どっちが上なのかしらぁ?」
アルフィニールの言葉に、エインセルは小さく嘆息を零す。
圧倒的な物量による攻撃、それこそがアルフィニールの真骨頂だ。
それもまた力であるとエインセルは理解しているが、彼にとってその雑さは気に入らない要素であった。
「永い付き合いであるとはいえ……やはり貴様とは相容れんな、アルフィニール」
「そぉ? 私は貴方のこと、結構好きよぉ? ねぇ、エインセル」
「フン……ともあれ、私もそろそろ待ち草臥れた頃だ。異邦人共には期待させて貰うとしよう――王が認めた戦士、その力をな」
そう口にして、エインセルは薄く笑う。
大公たちに序列は無い。大公たちの立場に差などない。あるのはただ、それぞれが見出した答えの差のみ。
始まりの四人。魔王――否、研究者マレウス・チェンバレンが蟲毒の果てに見出した四つのAI。
彼らは己が信念のもとに蠢動を開始していた。