484:三つの分岐
洞窟の中に滑り込むように到着した瞬間、こちらへと降り注いでいた魔法はぱたりと止んだ。
どうやら、妖精たちはプレイヤーがこの洞窟に辿り着くまでの間、魔法による妨害を行う役目であったようだ。
この狭い空間内でも魔法を飛ばされたらどうしたものかと考えていたのだが、流石にその心配はなかったらしい。
「ふぅ……とりあえず一段落か」
「最初といい今のといい、どうもこちらを疲労させることを目的としている感じよね」
「精神的な疲労と肉体的な疲労、どちらも蓄積している頃だろうな」
薄暗い森の中を延々と歩き続けさせた後の吊り橋、そして無数の攻撃に対する対処。
また、回避なり迎撃なりで常に動き続けたことによる疲労。
鍛えている俺たちでもそこそこ疲労を感じるような状況だ、普通ならば疲労困憊になっていても不思議ではない。
「で……その上でこの試練ですか」
「どうも、ここからがメインイベントって感じだよな」
そんな俺たちの前に現れたのは、三つに分岐した洞窟だ。
それぞれの上部には、『武の試練』、『知の試練』、『技の試練』と記載されている。
篝火に照らされた洞窟の中、俺たちはそれら三つの文字を見比べながら相談を続けた。
「どういう内容に分かれていると思う?」
「武は恐らく戦闘系だと思いますよ」
「でしょうね、それだけは間違いないと思うわ」
緋真とアリスの言葉には、俺も納得して首肯する。
この三つの中では、戦闘系に類されるのは『武の試練』で間違いないだろう。
『技の試練』は若干戦闘っぽいイメージもあるが、それでも『武の試練』には及ばない。
こちらが戦闘系の試練であることは、まず間違いないだろう。
「『知の試練』は……魔法系?」
「知識系って可能性もありますけど、三つの並びを考えると魔法っぽさもありますよね」
「まあ、どちらにしろこれは俺たちには向いていなさそうだな。魔法にせよ知識にせよ」
「緋真さんなら少し向いているかもしれないけど……まあ、武に行った方が無難よね」
俺たちの中では最も相性がいいのが緋真だとは思われるが、戦闘能力からして『武の試練』に行った方が確実だろう。
とりあえず『知の試練』は除外しておくとして、残るは『技の試練』だ。
「技ってのは……戦闘ではないのか?」
「武が戦闘系なら、他の試練は別のパターンじゃないかしら」
「うーん……生産系とか? 技術ってことなら、それもありそうですけど」
「ああ、それはそうかもしれないな」
まあ、生産系の試練と言われても何をするのかはよく分からないが。
俺たちの中で生産系のスキルを持っているのはアリスだが、専門家というわけではない。
どちらかといえば戦闘の方が得意であるし、生産系であるとするならば行く必要はないだろう。
つまり――
「全員で『武の試練』に行けばいい話か」
「まあ、最初から分かってたことではあるわね」
「別れなきゃいけないなら最初からそう書いてあると思いますし……良いんじゃないですかね?」
もしもこれで全ての試練をクリアする必要があるとか言われると困ってしまうのだが、それならそれで最初から通達があるだろうし、その可能性は低いだろう。
とりあえず、全員で『武の試練』に向かい、もし他の試練も受けろというアナウンスがあったらその時に考えることにする。
方針を決めた俺たちは、装備を確認した後に『武の試練』の道へと足を進めた。
「けど、戦闘系なら戦闘系で、一体どんな感じの試練になるんですかね?」
「まあ、何かと戦わされるんだろうが……一体何が出てくることやら」
だが、目の前に現れた敵を倒すだけであるなら、大変分かりやすい試練だ。
特に疑問を抱く必要もなく、ただ相手を斬ってしまえばそれで済む話なのだから。
女神が用意した試練である以上、そうそう容易い相手が出てくることは無いだろうが、無駄に頭を悩ませる必要が無いのは助かるところだ。
一定間隔で配置された篝火によって照らされる空間、そこに響き渡るのは三人分の足音。
その反響音が、この先に広い空間があることを伝えていた。
(この間降りて来た時と同じ、広い空間か。あの時は何もなかったが――)
先日確かめた時は、ただ空間が広がっていただけだった。
何も出現することのない場所だったが、今回はその限りではないのだろう。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。試練の内容とやらを確かめてやるとしよう。
そう思いながら、以前も訪れた広い空間へと足を踏み入れ――その瞬間、異常に気付いた。
「緋真……ッ!? アリスもか!」
唐突に、隣を歩いていた二人の気配が消失したのだ。
気配を消したどころの話ではない。俺が全力でそのありかを探っても、二人の姿を発見することはできなかった。
メニューを確認すれば、フレンド欄で二人とも無事ではあることは確認できるが、その姿は見当たらない。
どうやら、このエリアは一人でしか入ることができないようになっているようだ。
「……つくづく説明不足だな。やってくれる」
元々の試練がそういう仕様なのだろうが、せめてあらかじめ話をしておいてほしかった。
だが、文句をつけたところで女神がそれに応えることは無いだろう。
軽く嘆息を零しつつ、俺は餓狼丸を抜き放ちながらこのエリアの中へと足を踏み入れた。
広い空間ではあるが、迷う必要はない。何故なら、入る前には何もなかった場所に、黒い煙のようなものが発生していたからだ。
どんな内容の試練なのかは知らないが、あれが試練に関連する何かなのだろう。
そちらへと向かって歩を進め――その瞬間、声が響いた。
『試練を望む者よ。試練に臨む者よ。お前は何故、力を求む』
「あん……?」
どこからともなく響いた声。出所の知れないそれは、目の前の煙からの言葉ではなさそうだった。
女神か、あるいはその眷属か。得体のしれない何かが、俺へと向けて問いかけてきている。
『試練を望む者よ。試練に臨む者よ。お前は何故、力を求む』
「……ロクに問答をするつもりは無さそうだな。なら、端的に答えよう」
力を――レベルキャップの解放を求める理由などただ一つだ。
かつての戦いの時から変わらない、それが俺の成すべきことなのだから。
「悪魔を斬るため、それだけだ」
悪魔を、MALICEを、この世から抹消する。
マレウス・チェンバレンのくだらない思想を打ち砕き、俺たちの生きる道を手に入れる。
奴の命脈へと刃を届かせるためにも、レベルキャップの解放はどうしても必要なのだ。
そんな俺の返答を聞き届けたのだろう、得体の知れない声は、まるで変った様子もなく続ける。
『ならば力を示せ。その望みを果たすに足る、力があることを』
その声が響いた瞬間、目の前に浮かんでいた黒い靄が蠢き始めた。
単なる黒い霧の塊、そんな風情であった謎の物体が、まるでねじれるようにその形を変えていったのだ。
距離を取り、餓狼丸を構えながらその様子を観察する。
蠢く黒い靄は、徐々にその大きさと形を変え、やがて段々と人の形を取り始めた。
(やはり、コイツと戦えってことか。だが、こいつは何に変わろうとしている?)
元々の霧の姿では戦えないのか、人の姿に変身しようとしているようにも思える。
恐らく、その変身を終えた姿こそが、俺の試練の相手となるのだろう。
さて、一体何が出現するのか。警戒心の中に僅かな期待を混ぜながら、俺はその動きを観察する。
――そんな俺の表情は、予想外の驚愕によって彩られることとなった。
「……おいおい、そんなのアリか?」
青みがかった黒い長髪、白い羽織と黒い衣、そして佩かれているのは何本もの刀。
一振りの太刀を右手に携えたその姿を、見間違える筈もない。
それは紛れもなく、俺自身の姿であった。
「こいつは驚きだ。まさか、自分自身と戦える機会があるなんてな」
ジジイとは幾度となく戦ってきた。師範代たちや、明日香を相手にするのも同様だ。
だが、当たり前のことではあるが、どうしたところで自分自身と戦うことはできなかった。
それが叶うとは――全く、このゲームは本当に予想外のことをしてくれるものだ!
「久遠神通流、クオン。推して参る」
思わぬ僥倖に口元へと歓喜を浮かべながら、目の前の俺へと向けて踏み込む。
さて、どこまで再現されているのか、確かめさせて貰うこととしよう。