481:試練の始まり
レベルキャップに到達した俺たちは、空を飛んで霊峰の麓へと移動した。
途中で幾度か魔物の姿を見かけたが、今は無視して先を急ぐ。
悪魔はともかく、変に近寄らなければ向こうから襲ってくることは無いし、例え気付かれたとしてもセイランたちのスピードに追い付けるはずもない。
結果、俺たちは特に魔物との戦闘をすることも無く、霊峰の麓にあった集落跡へと到着したのだった。
「それで……ここから山を登って行けばいいんですかね?」
「ふむ。元々山道への入口っぽい門もあったが、そこがスタート地点でいいんじゃないか?」
「まあ、門って言っても門の跡地だけどね」
アリスの言う通り、この集落はほぼ全域に渡って破壊されてしまっている。
残念ながら、元々は入口であっただろう門も、片側の門柱だけ残して吹き飛んでしまっている状態だ。
何とも締まらないスタートではあるが、進まなければ何も始まらない。
小さく溜め息を吐きつつ、俺達は集落から霊峰へと向かう道へと足を進めた。
「いやぁ……改めて見上げると、気が遠くなりそうな高さですね」
「まあ、中を通った感じはそこまで長くは感じなかったけど。あの洞窟内に入ったら、物理的な距離はあんまり関係なさそうな感じよね」
「ああ。何にせよ、道が短いのであればむしろ好都合だ。あんまり長々と登り続けるのも大変だしな」
流石に、この高い山を素直に登り続けていたらいつまで時間がかかるか分かったものではない。
このクエストは過程よりも結果の方が気になる内容だし、あまり気の遠くなるような作業はやりたいものでもない。
さっさと頂上まで登り、レベルキャップを解放してみせるとしよう。
そう決意して山道へと足を踏み出し――その瞬間、いつもと同じ声のアナウンスが耳に届いた。
『上限解放クエスト《女神の試練》を開始します』
『パーティを組んだ状態での参加はできません。パーティを解散します』
『テイムモンスターをパーティに加えた状態での参加はできません。従魔結晶に戻します』
「ぬ……!」
それが耳に届いた瞬間、ルミナたちの姿が一瞬で消失する。
インベントリを確認すれば、確かにルミナたちの従魔結晶がそこに収まっていた。
どうやら、テイムモンスターを含めて一切のパーティ行動が制限されてしまうらしい。
「個人で挑めっていうことか……その割には分断されないようだが」
「協力そのものは問題ないんですかね? バラバラにされるよりは心強いですし、都合はいいですけど」
「この先がどうなるかは分からんが、一緒に行動できる内は協力しておいた方がいいだろうさ。何が起こるか分からんからな」
ひょっとしたら、今後の展開によっては一人ひとり別々にされてしまう可能性もあるが――とりあえず、一緒に行動できる内はその恩恵を享受しておくべきだろう。
とりあえず、今は一緒に先に進んでおくとするか。
「さてと……最初は森だったか」
「結構深い森だったわね。一応、道はあるみたいだったけど」
「かなり蛇行していた印象があったが……行ってみるしかないか」
先行きは不透明だが、ここで足踏みをしていても何も始まらない。
意を決して、俺たちは試練の道、最初にある森の中へと足を踏み入れた。
空を覆う深い木々は、日の光を遮って薄暗い空間を作り上げている。
そんな情景ではあるが、足元には草花の生えていない土の地面があるため、進むべき道は分かりやすい状態だ。
「……ちょっと不気味ですね」
「そうだな。生き物の気配がないのが原因だろうが」
俺の言葉を聞き、緋真とアリスはきょろきょろと周囲を見渡す。
とはいえ、そんな風に探したところで野生動物は早々見つからないだろう。
問題なのは、動物の声が聞こえないことだ。動物たちがいれば、森の中には自然と様々な音が響き渡ることになる。
だが、この森からは風によって木の葉が揺れる程度の音しかしない。
殆ど響かない筈の俺たちの足音が、耳障りなほどに聞こえてきてしまう。
薄暗い森の中でこの状況というのは、中々ストレスが溜まってしまうことだろう。
「じわじわと効いてくるタイプの毒のようなエリアだな。まあ、敵は出て来なさそうだからむしろ気は楽だが」
「一分も経たないうちにそんな考えをしだす方が珍しいと思いますよ?」
「少しずつストレスが蓄積していくような造りってことかしらね。ほら、見て」
言いつつ、アリスは前方へと指を向ける。
そちらへと視線を向ければ、少々分かり辛くはあるが、分かれ道となっている情景が見て取れた。
以前、上空からこの森を辿った時は分かれ道など無かったかと思ったのだが――
「まさか、ここは迷路なのか? 面倒だな」
「特徴のない森の中で迷路とか、厄介すぎません? 道って言っても、はっきり道らしい道になってるわけじゃないですし」
「目的地は見えてるんだし、突っ切って山の方まで向かっちゃう?」
「……いや、それは危険だろう」
身も蓋も無いアリスの提案であったが、俺はそれに対して首を横に振った。
そういった選択肢も、決してあり得ないものではないのだろう。しかし――
「ここが普通のフィールドだったなら、そういう選択肢もアリだっただろう。だが、ここはあくまでも試練だからな。規定外の行動を取った時にペナルティが発生しないとも限らん」
「それもそうね。けど、それならどちらに行くのかしら?」
「それが問題なんだがな。当てもなく延々と歩き続けるのも勘弁してほしいところだし」
アリスの疑問に、思わず眉根を寄せる。
二つに分かれた道――正面に続いている道と、右斜め前へと曲がる道だ。
恐らく、正解はどちらか一つなのだろう。ヒントらしいヒントも無かったし、仮に不正解を選んだところでペナルティは無いと思いたいが、それでも無駄な時間を使うのは勘弁願いたいところだ。
「どうしたもんかねぇ」
「……先生、たぶんですけど、こっちが正解じゃないですかね?」
と――頭を悩ませていたところに響いたのは、緋真からの提案であった。
分岐路の前に立ってそれぞれの道を覗き込んでいた緋真は、右側の道を指差しながら告げる。
何やら根拠があるようだが、果たしてどのような理由なのか。
「こっちの道、少しだけ明るいんですよ。私達が空を飛んで山を降って来たとき、ちょっとだけ地面が見えていましたよね?」
「ああ……つまり、正解の道の方は上の木々が薄いのか」
緋真の言葉に頷き、頭上を見上げる。
言われてみれば、確かに右側の道の方が、空を覆う木々が薄いように感じられる。
結果として木々の間から光も入りやすく、こちらの道の方が少し明るいように感じられた。
「つまり、ずっと明るい道を選んでいけばいいっていうことかしらね。ずっとそんな単純な判断でいいのかは分からないけど」
「だが、何の根拠も無しに進むよりはマシだろうな。少なくとも、試してみる価値はあるだろう」
とりあえず、緋真の提案を採用し、明るめの道の方へと歩いていく。
結局のところ、何かが出てくる様子もないこの森の中では、ただただ退屈な道が続くばかりだ。
正解さえ選んでしまえば、ここはただ歩き抜けるだけなのだろう。
「仕組みが分からなかったら、ただ延々と歩き続けることになりそうね」
「それは勘弁してほしいところだな。この方法が外れだったら、どこから迷ったのかもわからなくなるぞ」
「やめてくださいよ、私だって自信があるわけじゃないんですから」
げんなりとした表情で、緋真は呻くように声を上げる。
とはいえ、何か根拠があるわけでもないし、歩き続けるしかないのだが。
やけに静かな森、正解かも分からない道、そして薄暗い空間――どれもこれも、不安を煽るような要素ばかりだ。
本当に進んでいるかどうかわからない状況というものは、中々にストレスが溜まる。
正解なら正解、不正解なら不正解で確かな答えが欲しいものだ。
それを得られないことがこの森の試練であるというならば、女神というのも中々にいい性格をしている。
(女神か……元は人間だって話だが、どんな人物なのやら)
金龍王の話では、元々は人間であり、自らを改造したAIであるということだが――果たして、本当に会うことがあるのかどうか。
正直なところ、あまり会話が通じるとも思えないが、もしも会うことがあるのであればその真意を確かめたいところだ。
ともあれ、この迷いの森は精神修養の類であると判断し、意識を落ち着かせながら前へと足を進めていく。
そして――蛇行するような動きを経て、俺たちはこの迷いの森を突破したのだった。