461:山頂の神殿
高高度となる雲の上は、当然ながら気温が低い。
普通であればこんな薄着でやってこれるような場所ではないのだが、そこはゲームの世界だ。
耐冷の効果を持つポーションを服用していれば、凍えるどころか春の気温と変わらぬ感覚で活動することができる。
世界観的に不便なことも多いのだが、一方でこうしたとんでもなく便利な代物も存在している。中々に興味深いものだ。
(……それでも、やはり空気の薄さはあるか)
高度が上がってきているため、やはり多少の息苦しさは感じる。
気圧の変化による影響についてはある程度慣れているし、対策もしているため問題は無いのだが、そんな所も再現されているのか。
細かなところに感心しつつも、俺は周囲の気配へと意識を集中させる。
視界が悪いため、きちんと意識を集中させていなければ、仲間の位置を見失ってしまいかねない。
それに、どうやらこの雲の中にも魔物が存在しているようなのだ。
どうも雲の中を泳いでいるようであるが、目視はできないためどのような姿なのかは分からない。だが、気配からして中々に巨大な姿をした魔物であるようだ。
その正体は分からないが、一つ言えるのは、この視界の悪い状況でそんな魔物と戦いたくはないということである。
(いや、本当に何だこの魔物は。クジラみたいな大きさをしてやがるぞ)
俺が察知できる範囲内では一体しか存在していないが、その大きさは規格外だ。
ドラゴンたちにも匹敵するようなその体躯は、クジラと表現するに相応しい大きさをしている。
まあ、正確な姿形は分からないのだが、動き方からして魚のような姿であることは間違いないだろう。
興味があることは事実なのだが、流石に視界の悪い中で大型の魔物と戦うことは避けたい。
少々勿体ない気もするが、ここはさっさと通り過ぎてしまうこととしよう。
こちらを気にする様子もなく雲の中を泳いでいく気配には一応注意を払いつつ、セイランに合図を送って一気に雲の中を突き進んでいく。
「やっぱり、セイランの方が快適だったわね」
「……お前さん、まさかそれを見越してこっちに乗り込んできたのか?」
上へと向かう都合か、今回は俺の前側に乗っているアリスは、気の抜けた表情でそんなことを呟いている。
確かに、雲の上まで飛んでいくに当たっては、周囲の風を完全にシャットアウトできるセイランの方が快適だろう。
俺としては、単純にスピードと重量の問題かと思っていたのだが、案外と俗っぽい理由であったようだ。
「別にペガサスでも風を防ぐことはできるんだけどね。その辺はやっぱりセイランの方が優秀だわ」
「そりゃまぁ、ただのペガサスとワイルドハントを比べちゃ仕方ないだろう」
「明らかにランクが違うものね。でも、私が向こうに乗ってたら余計に離されそうって言うのもあるわよ」
一応、俺が考えていた通りのことも懸念はしていたらしい。
ただでさえスピードの絶対値が違うというのに、アリスという余計な重量を加えてしまったらさらにスピードが落ちてしまう。
この状況で距離を離してしまうのはよろしくないし、結果としてはベストの選択である筈だ。
ともあれ――
「さっきも言ってたが、やはりペガサスの進化というか、騎獣を変える必要はありそうだな」
「そうね。セイランに合わせるのであれば、このままだと難しいでしょう」
セイランに匹敵するスピードを求めるのは流石に無理があるだろう。
だが、大きく離されない程度のスピードや機動性は欲しいところだ。
それがどの程度高望みになるのかは分からないが、必要なものは必要なのである。
「……気にはなるが、今は気にしていても仕方ないか」
「そうね。雲は……そろそろかしら」
「ああ、雲が薄れてきている。眩しいだろうから気を付けろよ」
横を流れていく雲が少なくなり、眼前の雲は薄く白んでいく。
そして――ついに、雲一つない青空が目の前に広がった。
「っ……!」
それまで薄暗い雲の中にいたため、眩しい光に目を細める。
だが、そうなることはあらかじめ分かっていたし、大きな衝撃を受けるわけでもない。
すぐに目を慣らして周囲を確認し――広がった光景に、思わず息を飲んだ。
雲海の上にそびえる、雪に覆われた雄大な山の景色。
国連軍時代に輸送機やヘリに乗ったことはあるが、流石にこんな山の上に近づいたことはない。
このように山を見ることは生まれて初めてだった。
「……外から見れば、こうも綺麗なんだがな」
「それ、どういう意味?」
「いや、別に深い意味があるわけじゃないぞ。昔雪山で修業したことがあったってだけの話だ」
小太刀一振りを手に雪山に放り込まれて、そのまま生き残るという修行をしたことがあるが、あれは九割以上殺人でしか無かったと考えている。
クソジジイめ、やることが無茶にも程がある。
あの時は雪山という過酷な環境そのものに対する恐怖と恨みしか無かったが、こうして観察すれば確かに美しい光景であった。
「まあ、その話はいい。それより――」
「女神の神殿ね。ここからだと、まだそれっぽいものは見えないけど」
「そのようだな。セイラン、もっと高度を上げてくれ」
「クェ!」
まだ山頂の様子は見えないし、もう少し俯瞰するような視点で確認したいところだ。
緋真たちが付いてきていることを確認しつつ、俺は更に高度を上げる。
雪に覆われた山は全体を見れば美しい景色だが、細かく見ても変わり映えのない景色だ。
何かしら大きな目印になるものがないかと見渡しながら、山の上を目指していく。
「ん……少し開けてきたわね」
「山の上に平地があるのか。ってことは――」
セイランに指示を出し、回り込むように飛行させる。
すると、少し開けた山の上に、盛り上がった雪の塊が目に入る。
いや、その隙間から覗いている色を見るに、どうやらあれは石造りの建造物であるらしい。
「あれが女神の神殿か」
「見事に雪に埋もれてるけど、入れるのかしら」
「分からんが、見てみるしかあるまい。セイラン、あそこに降下してくれ」
「クェ」
俺の指示に従い、セイランは山頂の神殿へと向けてゆっくりと降下していく。
流石にここまでくると肌を刺すような冷たい気温を感じるが、それでもポーションのお陰で凍えるということはない。
呼吸を乱さぬように注意しながら、俺は足元に注意しつつ神殿の傍へと降り立った。
近くで見れば、それは古代ギリシャの建造物のような、白い石造りの建物だ。
だが、その正面の扉は、硬く重そうな石の扉によって閉ざされている状況である。
「ふぅ……飛ぶだけなら楽だと思いましたけど、それでも結構大変でしたね」
「確かにな。それで……これが神殿で合ってるんだよな?」
「エリア名は確かに『女神の神殿』になってるわね」
どうやら、場所自体は間違っていないらしい。
周囲は雪に覆われているため、何かしらの痕跡があっても既に消え去ってしまっていることだろう。
そちらに関しては諦めて、神殿の建物そのものを確認してみることにする。
大きな石造りの建物であるが、建物そのものには特に劣化らしい劣化も見られない。
こんな場所に建っている建物ならもっと劣化していて然るべきであろうし、やはりこれは尋常な建物ではないのだろう。
そう思いながら建物に近づくが、特に何か反応するような気配はない。
中に入らなければ何もないのかと、その大きな石の扉へと手を伸ばし――俺の手は、強い衝撃と共に弾かれていた。
「痛っ……!?」
「先生!?」
「ダメージは受けていない、大丈夫だ。が……どうやら、今は入れないようだな」
俺の手を何かの力で弾いた石の扉。その上に、白く光る文字が浮かび上がっていたのだ。
曰く、『女神の祝福を望む者は、霊峰の試練を潜り抜けよ』。
つまるところ、何かしらの条件を満たさなければ、この扉を開けることはできないのだろう。
「飛んで来ちゃダメだったってことでしょうか?」
「だろうなぁ。この辺りで試練っぽいものがありそうな場所も見受けられなかったし、素直にこの山を登るしかないのか」
「うーん……麓に何かしら手掛かりが無いのかしらね。重要な山なら、登る前に準備をする場所ぐらいあったんじゃない?」
「成程、確かにな。麓の辺りには登山道のようなものもあったし、それを辿れば何か見つかるかもしれん」
今は悪魔に支配された領域である以上、生き残った現地人がいる可能性は低い。
だが、それでも何かしらの痕跡が見つかる可能性は十分にあるだろう。
登ってきて早々だが、入れない以上は降りて状況を確認するほかあるまい。
そう考えて再び戻ろうとし――俺はふと、ルミナが奥の方へと視線を向けていることに気が付いた。
「ルミナ、どうした?」
「あ、はい、お父様。あの、神殿の裏側にある崖の岩壁なのですが……黒くなっていませんか?」
「む……? 確かに、その通りだな」
ルミナが指差した先、切り立った崖となっているような山の斜面。
その岩壁が、黒く染まっていたのだ。
思わず眉根を寄せ、俺はルミナへと問いかける。
「悪魔によるものか?」
「いえ、悪魔の力は感じません。むしろ、より強い女神様の力を感じます」
「……女神の力による影響か。なら、悪いものじゃないんだろうが……何か既視感があるな、ありゃ」
「あの、先生――」
どこであの黒い石を見たのか、思考を巡らせていた所で、緋真がポツリと声を上げる。
自らの言葉に対してもどこか半信半疑な、そんな言葉――
「――あれ、街にある石碑なんじゃないですか?」
その言葉に、俺は思わず眼を見開いたのだった。