042:剣の境地
小屋の中にあった木剣を手に取り、剣聖の老人が向かった先は、やはり外にある地面の踏み固められた一角だった。
ひょいひょいと歩いているが、その重心がぶれることは一切ない。まるで、風が流れるかの如き淀みのない動きだ。
俺も同じように歩いている自覚はあるが、オークスのそれは俺よりも完成度が高い。まるで周囲の景色に溶け込むかの如き自然な動きは、彼が剣の道の高みにあることを示していた。
この動きを常日頃から自然に行っているのであれば、この老人は俺の見込んだ通りの怪物であると言えるだろう。
(無念無想――剣の境地が一つ。不動の精神の中に在りて、ただ在るがままに剣を振るう、か)
それはまた、久遠神通流が求めるものとは異なる思想だ。
久遠の剣は神にも通ず――俺たち久遠神通流の剣は、あらゆるものを取り込みながら拡大する戦場の剣だ。
己の認識領域を広げ、その全てを掌握することにより、無双の剣士として戦場に立つ。
森羅万象――それこそが久遠神通流の求める剣の境地であり、己の想念を剣に収束させて一体となる無念無想とはまた理念が異なるものだ。
求めるものが異なれば、当然剣士としての在り方も違う。この自然の中で、己自身の剣を保つこと。彼にとっては、生きることすらも修行になっているのだ。
その果ての答えがこれであるならば――ああ、なんと素晴らしいことだろうか。
「――境地に至った剣士と相見えるのは、あんたが二人目だ」
「ほう? それは気になる話だ。その一人目とやらは何者かな?」
「俺のジジイでね。色々な厄介事を俺に押しつけてくれやがったクソジジイであるが……その実力は尊敬している」
俺の中での『最強』とは、間違いなくあのクソジジイだ。
森羅万象の境地に至った、最強の剣士。久遠神通流の理念を体現するもの。
あらゆる術理を修め、時には自ら新たな術理すらも編み出した、歴代最強とも名高い男だ。
俺も一度はあの爺を下したが、正直な所、完全な勝利であるとは考えていない。
俺がジジイに拮抗できたのは戦刀術に限った話であるし、そもそもあの時、ジジイは森羅万象の境地を見せていなかった。
それを除けば本気であったことは間違いないのだが、俺としては未だ『勝ちを譲られた』としか思えていない。
その後当主の座を押しつけられたこともあるし、あのクソジジイは一体何を考えていたのか。
「その領域にある剣士と手合わせできる機会など、望んでも手に入るものか。この機会、全霊を以って臨ませて貰おう」
「そうか……ワシとしても良い鍛錬になりそうだ」
インベントリから黒鉄の太刀を取りだした俺は、佩緒を外し、鍔をぐるぐる巻きにして固定する。
あまりやりたい方法ではないのだが、木刀がない以上は仕方あるまい。
今度木工職人に木刀の製作を依頼することを決意しながら、俺は鞘を固定した太刀で素振りを行う。
二度、三度と振るい、その重さに腕を慣らした所で、俺は改めて中段に構えていた。
「では、挑ませて貰おう」
「ああ、存分に来るといい」
その言葉を耳にして――俺は、オークスに肉薄していた。
歩法――縮地。
地を蹴り、摺り足のまま相手の目前まで移動して、しかしオークスの目に一切の動揺が無いことに感心する。
オークスの木剣は、突如として眼前に現れたであろう俺に対し、的確に振り降ろされていた。
これほど完璧に対応されたのはジジイ以来だと、内心で喝采しながら、俺はその一撃を受け流す。
斬法――柔の型、流水。
袈裟掛けに振り降ろされた一撃を、刀身で絡め取りながら流す。
だが、非常に重い。とんでもない膂力で放たれた一撃は、その軌道を逸らすことで精一杯だった。
俺は口元を笑みに歪めながら、一撃を受け流すと同時に半身となり、オークスの一撃を回避する。
レベル差によるものだろう。力押しの勝負では絶対に勝てないことは理解できた。
(それでこそ、だ――!)
意識が加速する。赤熱する意識の中、こちらに迫るオークスの木剣。
俺の今の膂力では、その軌道を大きく逸らすことは不可能だ。
であれば――
斬法――柔の型、流水・浮羽。
太刀を立て、鍔とハバキにてその一撃を受け止めて――俺は、相手の剣の勢いに乗りながら摺り足で体を移動させていた。
相手の攻撃の勢いを利用しながら高速で移動する業。その性質を利用して、俺は僅かに移動方向をずらすことでオークスの背後に移動していた。
「ほう――」
オークスの感心したような声が、耳に届く。
視線は通じていないが、感覚で捉えているのだろう、その声に動揺はない。
そのことにますます歓喜しながら、俺は太刀を振り降ろしていた。
オークスはそれを目で見ることもなく、半歩前に出ながら半身になるだけで、綺麗に攻撃を回避していた。
こちらの動きを正確に読んだわけではない。恐らく、こちらの殺気を読み取って直感で回避していたのだ。
それを可能にする戦闘経験に戦慄しながら、俺はその場から半歩後退する。
そしてその一瞬後、俺がいた筈の場所を鋭い剣閃が薙ぎ払う。
振り返り様の一閃で、俺の胴を狙っていたのだ。
(――ッ、こいつは)
余裕を持って回避したつもりだったが、実際には紙一重だった。
それほどまでにオークスの動きが自然で、それでいて速かったのだ。
無念無想の境地にあるからこそ、その殺気を読み取ることが難しい。
その動きすらも、まるで木々が葉を揺らしているかのように自然なのだ。
それが当たり前のようであり――それ故に、反応が遅れる。
その戦慄の直後、オークスはまるで冗談のようにこちらの眼前まで肉薄していた。
実に恐ろしい。恐ろしいが――それ故に楽しすぎる相手だ!
「しッ」
「おおッ!」
斬法――柔の型、流水。
撃ち降ろされる一閃を受け流しながら、左手へと移動。
反撃のための横薙ぎは、オークスの構えた木剣によって受け止められる。
斬法――柔の型、刃霞。
その瞬間、俺の太刀は翻ってオークスの肩口を狙っていた。
瞬時に軌道を変える一閃。師範代たちに不可視とまで言わしめたその一撃は、しかし同じように手首を翻したオークスの剣に受け止められる。
膂力と握力、それと手首の柔軟さがあればできない業ではないが、こうもあっさり対応されるとは――
「いいな、実にいい!」
「こちらも……久しぶりに血が滾るぞ!」
互いに笑いながら剣を打ち払い、距離を置いて仕切り直す。
尤も、この程度の距離では元から存在しないようなものではあるが。
だが、それでも一度テンポを整える必要がある。オークスは、知らずこちらのテンポを乱されてしまうほどに難しい相手なのだ。
「……御見逸れした。貴方は想像以上の実力者だったようだ」
「そう手放しに誉めて貰うほどのものではないがな。ワシはただ、棒振りが得意だっただけという話だ」
「確かに。俺も、ジジイも……結局は、そういうことなんだろうさ」
現代日本において、剣に命をかける理由などありはしない。
それでも尚、連綿とこの業を受け継いできたのは、俺たちがそういった生き方しか知らなかったからこそだ。
愚かであると言われれば、決して否定はできまい。だが、それでも――これこそが、俺たちの生き方なのだ。
そう告げて苦笑した俺に、オークスは僅かながらに表情を変化させる。
視線を細め、眉根を寄せたその表情は、様々な感情が入り混じった複雑なものであるように思えた。
「……若いの。お前さん、弟子はいるか?」
「おん? 直弟子は一人、後は四人に少し指導する程度だが」
「そうか……ワシには、三人の弟子がいてな。ワシ自ら編み出した三つの剣技を、それぞれ一人ずつに継承させた」
オークスの口にした言葉に、眉根を寄せる。
それは、どこかで聞いたことのあるような話だったのだ。
しかし、そんな俺の様子は気にも留めず、僅かに切っ先を降ろしたオークスは独白を続ける。
「だがどうも、ワシは剣に生き過ぎた『人でなし』のようでな……弟子の心情など、慮ってやれんかった」
「……弟子の一人が剣に狂った、という話か?」
「何だ、知っておったか。異邦人にまで知れ渡っているとは、何とも無様な話だ」
「いや、貴方の弟子に聞いた話なんだがな。《生命の剣》と《斬魔の剣》は教えて貰ったよ」
その言葉に、オークスは僅かに驚いたような表情を浮かべる。
どうやら、それは流石に予想外であったらしい。
まあ俺としても、件の剣士がこのような場所で隠居していたとは露ほども考えていなかったが。
しかし、そうなると一応伝えておいた方がいいか。
「それからもう一つ。俺は、異邦人としての恩恵で、《収奪の剣》も使うことができる」
「ッ……真か?」
「ああ。と言っても、まだまだ修行中の身だがね」
言いつつ、俺は《収奪の剣》を発動させ、適当に地面を打って霧散させる。
その様をじっと見つめたオークスはしばし沈黙し――そして、嘆息を零していた。
彼の眼の中には、こちらに対する敵意は見えない。あるのは、既に風化しかかった後悔だろう。
「……まあ、お前さんなら問題なかろう」
「いいのか?」
「見ていれば分かる。お前さんの剣は、自己制御に長けた性質を持っている。お前さんすら狂うようであれば、ワシなど疾うの昔に狂っておるわ」
思わず、苦笑する。
これまでの打ち合いの間に、向こうもこちらの性質について読み取っていたようだ。
まあ、彼ほどの剣士であれば、それは当然だろう。
そもそも久遠神通流の理念はかなり独特だ。直接打ち合っていれば、その特異性などすぐに気付けてしまうだろう。
「まあ、なんだ――弟子のことは、しっかり見てやることだな。どこで何を思い詰めているか、分からんもんだぞ?」
「貴方に言われると、流石に軽くは流せんな……心に留めておこう」
緋真の奴も、まだまだ多感な時期だからな。確かにオークスの言うように、何か思い悩むことがあるかもしれない。
ゲームの中では少々放置気味であるし、多少は面倒を見てやるべきか。
小さく苦笑を零して、気を取り直す。師匠談義はここまでにするとしよう。
今はただ、少しでも境地に至った剣を味わいたい。
「話し込んじまったな……そろそろ、終わりにしよう」
「くく……そうだな、ワシもそろそろ決着をつけたいと思っていた。あまり悠長に話しているのも勿体ないな」
互いに笑って――同時に、視線を細める。
悔しいが、基本的な身体能力では大きな差があり、また剣の腕のみを見てもオークスには及んでいないだろう。
彼に剣を届かせるには不意を打つ他あるまいが、彼の驚異的な直感がそれを阻んでいる。
結局の所、今の俺に勝てる相手ではないが――それでも、まだ試すべき業はある。
彼の弟子には通用したが、さて――
「――どうなるかな」
歩法・奥伝――■■・■■。
斬法、打法、歩法、それぞれに存在する頂点の業。
奥義、絶招――言い方は様々あれど、意味するものは変わらない。
それは即ち、それぞれの流派の秘伝にして最奥、相対した敵を必ず打ち倒すための業――
「――ッ!?」
オークスの表情に、これまでには無かった驚愕が走る。
当然だろう、彼の目には、俺の姿は突然消えたように映った筈だ。
オークスの目が俺の姿を見失ったほんの一瞬。一秒にも満たぬ僅かな時間。
その僅かな時間の間に放った抜き胴は――寸前で差し込まれた木剣によって、受け止められていた。
「ッ……恐ろしい技を使うもんだな、お前さん」
「否定はしないが……これすらも通じなかったか」
嘆息し――俺は、剣を降ろして距離を離していた。
そんな俺の姿に、オークスは意外そうな表情を浮かべる。
「何だ、もういいのか?」
「ああ、あれを受け止められた時点で、俺の負けだ。これ以上は打つ手がない」
嘆息と共に、敗北を認める。
悔しいが、今現在の俺ではオークスに勝つことは難しい。
勝つ方法が全く無いとは言い難いが、偶然に頼らねばならなくなる以上、俺の地力が足りていないという事実に変わりはない。
であれば、更なる修行を積んだ上で、再戦する方がいいだろう。
『レベルが上昇しました。ステータスポイントを割り振ってください』
『《刀》のスキルレベルが上昇しました』
しかし、負けてもレベルが上がるのか。
己の未熟を突き付けられているかの如き感覚に、俺は思わず苦笑を零していた。
■アバター名:クオン
■性別:男
■種族:人間族
■レベル:15
■ステータス(残りステータスポイント:0)
STR:18
VIT:14
INT:18
MND:14
AGI:12
DEX:12
■スキル
ウェポンスキル:《刀:Lv.15》
マジックスキル:《強化魔法:Lv.12》
セットスキル:《死点撃ち:Lv.12》
《MP自動回復:Lv.7》
《収奪の剣:Lv.9》
《識別:Lv.12》
《生命の剣:Lv.9》
《斬魔の剣:Lv.4》
《テイム:Lv.3》
《HP自動回復:Lv.6》
サブスキル:《採掘:Lv.1》
称号スキル:《妖精の祝福》
■現在SP:12
■モンスター名:ルミナ
■性別:メス
■種族:フェアリー
■レベル:9
■ステータス(残りステータスポイント:0)
STR:5
VIT:8
INT:23
MND:16
AGI:14
DEX:10
■スキル
ウェポンスキル:なし
マジックスキル:《光魔法》
スキル:《光属性強化》
《飛行》
《魔法抵抗:中》
《MP自動回復》
称号スキル:《妖精女王の眷属》