412:火口降り
赤龍王の試練たる、火山の火口降り。
実際にその試練へと突入しての感想ではあるが、成程確かに、こいつは過酷であった。
足元から吹き上がってくる熱風と異臭、一歩でも足を踏み外せばその時点でお陀仏であるという恐怖、そして興味深い見世物だとでも思っているらしい真龍たちの視線。
どれをとっても、ロクな環境ではないだろう。
「ふぅ……やってられないわね」
「お前さんが一番身軽だろうが」
普段から猫のような身体能力をしているアリスであるが、彼女はここでもその能力を存分に発揮していた。
足場から足場への跳躍は当然として、当然のように壁を走りながら次なる足場へと移動しているのだ。
彼女は《曲芸》と《立体走法》のスキルを有しているため、こういった空間内における移動は彼女の得意分野である。
緋真も《立体走法》は持っているが、俺の場合はその前段階である《走破》だけ。彼女たちのように、スキルの恩恵を受けることは不可能だ。
まあ、壁走り程度であればスキルがなくても何とかなるのだが。
「それにこの空気の影響も受けないし、一番有利なのはアリスさんですよね」
「いくらダメージを受けなかったとしても、臭いものは臭いのよ」
更には有毒なガスでも出ているのか、内部にいるだけで少しずつダメージを受けていくらしい。
俺の場合は《HP自動大回復》のお陰で大した影響はないのだが、緋真はちょくちょく受けたダメージを回復する必要があった。
しかし、アリスの場合は《上位毒耐性》を持っているおかげなのか、このスリップダメージを受けていないのだ。
毒という割には毒状態にはなっておらず、ただダメージを受けるだけであるのだが、それでも常にダメージを受け続けるこの環境は厄介だ。
その辺りを全く気にする必要のないアリスは、俺たちの中では最も楽な部類だろう。
とはいえ、本人は心底嫌そうな表情であったが。
「ホント、重装のプレイヤーには厳しそうな環境ね。こことか、ジャンプして飛び移る以外に道は無さそうだし」
「流石に、重苦しい鎧を着たままこの試練を受けることはないんじゃないか? 確かに、いつ攻撃を受けるか分からん恐怖はあるだろうが」
「火口内には流石に魔物もいないみたいですし、鎧は脱いでおくのが正解ですよねぇ……」
確かに、不意の攻撃に備えることは重要だろう。
しかしながら、それを気にしていてはこの試練を突破できるものではない。
大きくジャンプをして足場を飛び移らなければならないような場所もあるし、重量級の装備では攻略は困難だろう。
所々、壁ではなく浮遊している岩に飛び移らなければならない所もあるし、身軽でなければこなしようのないミッションだ。
今まさに浮遊している足場へと飛び移りながら、思わず悪態の混じった声を上げる。
「全てにおいて危険な環境だな、全く……早いところ終わらせたいもんだ」
「先生でもこれは流石にきついですか」
「雪山で修業をしたことはあるが……この環境よりはマシだな。人類が生きていける領域じゃない、正しく真龍の住処だろうよ」
この火山を住みかとする赤龍たちは、何かダメージを受けた様子もなく、快適そうに過ごしている。
彼らにとっては、ここは住みよい環境なのだろう。
生憎と、人間にとっては地獄以外の何物でもないのだが。
「よっと……っ、揺れるわね。この足場は一人ずつ渡った方が良いかも」
「了解だ、先行してくれ」
「全く、おっかないわね……っと」
浮遊している足場に移ったアリスが、その揺れに顔を顰める。
乗っている重量で反応するのであれば、俺や緋真が一緒に乗ると更に大きく揺れる可能性もある。
アリスの言う通り、一人ずつ移動した方が安全だろう。
装備重量の件も含めて最も身軽な彼女は、揺れる足場も大して気にすることなくひょいひょいと飛び移っていく。
体格も筋力もさっぱりではあるのだが、あの身軽さだけはうちの門下生たちと比較しても勝っているだろう。
揺れる足場を容易に突破したアリスは、少し離れた足場でひらひらと手を振っている。
――そんな彼女の頭上から、襲い掛かる影があった。
「アリス!」
「っ、ガーゴイル!?」
火山の外壁から飛び出すようにして襲い掛かってきたのは、翼の生えた石像のような姿の魔物であった。
この足場が複数人で渡ることが困難であるため、それを見越して分断した所を狙うトラップなのだろう。
数が一体とはいえ、狭い足場で戦うには困難な相手だ。
しかし――
「予想してたわよ……【エクリプス】!」
――その攻撃が届くよりも僅かに早く、彼女の体は黒い影に包まれた。
それと共に振り下ろされた石像、ガーゴイルの一撃であるが、その攻撃は黒影となったアリスの体をすり抜ける。
その現象には、確かに見覚えがあった。
「あれは……マーナガルムの転移か」
かつて戦ったネームドモンスター、闇月狼マーナガルム。
かの狼が持っていた力が、影と化して高速で移動し、攻撃を回避するというものだった。
どうやらあれは《月魔法》に分類されるものだったのか、アリスも似たような技術を扱えるようになったらしい。
尤も、マーナガルムほど高速で移動することはできないようであるが。恐らく、あれはもっと上位の魔法なのだろう。
何にせよ、ガーゴイルの攻撃を無傷で躱したアリスは、解除と同時に動き出して《隠密行動》のスキルを発動、背後から弱点へと向けて刃を叩き込んだ。
「ふむ……対処できてはいそうだが、一応行ってやれ」
「了解です。後ろから来ないようにだけ見ておいてください」
アリスは単独でもガーゴイルに対処できてはいるが、流石にそれを見ているだけというわけにも行くまい。
そう判断した俺は、緋真を先行させつつ周囲の気配へと集中した。
流石に、ここで追撃が来るのは危険だからだ。もしも緋真に横槍が入るようであれば、ここから迎撃しなくてはなるまい。
――とはいえ、それは杞憂であったようだが。
「手を出さんでも何とかなるか」
元より、アリス一人でも何とかできそうな状態であったのだ。
緋真の援護があれば、片付けることに苦労はしないだろう。
二人が容易くガーゴイルを片付ける姿を確認しつつ、俺は周囲の気配を探り続ける。
動いていないガーゴイルはただの石像であるため、今の時点で気配を捉えることは難しい。
目で見れば石像があることは確認できるが、それが動くかどうかは別問題なのだ。
これまでの足場の近くにも石像はあったが、それらは動かなかった。こうなると、どのタイミングで動いてくるか分からないし、かなり厄介であると言える。
「……ただ降りるだけだと思っていたが、こいつは予想以上に厄介かもしれんな」
本題は変わらず、赤龍王との戦闘ではあるのだが、その途中であるこの火口降りも決して油断できる代物ではない。
油断すれば、俺たちとてひとたまりもないのだから。
それに加えて――
「……他のプレイヤーも出てきたか」
頭上にある入口を見上げれば、そこにいくつかの気配を感じる。
先行しているプレイヤーを発見することはできなかったが、どうやら別のプレイヤーが挑戦を始めたようだ。
ただ普通に攻略するだけなら良いのだが、もしもこちらの妨害に走るようなことがあれば厄介だ。
あまりのんびりと進んでいるわけにもいかないだろう。
「仕方ない、ちょいと急ぐか」
アリスたちがガーゴイルを片付けたのを確認し、俺も揺れる足場を移動し始める。
着地と共に揺れる感触は、まるで反発の少ないトランポリンにでも降りたかのようだ。
俺の装備が多いことも影響しているのだろうが、中々に揺れるものである。
とはいえ、その程度でバランスを崩すほど弱い体幹をしているわけではない。
揺れが収まるのを待ち、次々と飛び移りながら、俺はアリスたちのいる足場まで到達した。
「お疲れ。ちょっと急いでいたみたいだけど、どうしたの?」
「ああ、どうやら別のプレイヤーが挑戦を始めたようでな。あまりちんたらしてもいられなくなってきた」
「あー、ここでぶつかりたくはないですよね」
頭上を見上げながら呟く緋真に、首肯を返す。
そもそも、試練からして協力し合えるような代物ではない。
他のプレイヤーとかち合っても面倒事が増えるだけだろう。
「急ぐとまでは言わないが、のんびりもしていられない。さっさと進むとしよう」
「了解。それじゃ、どんどん行くとしましょうか」
俺の言葉に同意したアリスは、そのまま身軽に先行する。
さて、赤龍王の元に辿り着くまでに、果たしてどれだけかかることか。
眼下に煮えたぎる溶岩に目を細めながら、アリスの後に続いて跳躍したのだった。