400:女神と真龍
「さて……まずは女神について話をするとしよう」
「女神アドミナスティアーか……そういえば、そもそもあまり聞いては来なかったな」
世界を統べる女神であることは聞いている。だが、その具体的な逸話までは確認していなかったのだ。
以前に教会などを訪れたことはあったが、その時もあまり女神についての掘り下げは行っていなかった。
まあ、現地人から聞ける話は設定的な部分だけになるだろう。
その裏側――箱庭の管理者としての話については、金龍王からしか聞くことはできないだろう。
「女神アドミナスティアーは、端的に言えばこの箱庭の管理者――お主らで言う所の、逢ヶ崎なる者たちと同種の存在である」
「ということは、アドミナスティアーは人間なの?」
「ふむ……それは分類が難しいところではあるな。だが、元は生身の人間からコピーした意識体であることは紛れもない事実だ」
アリスの質問に答えた金龍王であるが、その内容ははっきりとしないものだ。
今の話を聞く限りでは、アドミナスティアーはクソジジイや紫藤の爺さんと同じ、元々は現実の世界に生きていた人間ということになる。
だが、話のニュアンス的に、それと完全に同じ存在というわけでもなさそうだ。
果たして、どのような来歴なのか。想像以上に興味を惹かれつつ、金龍王の言葉に耳を傾ける。
「この箱庭は、現実の世界とは大きく異なる法則、文明によって築き上げられている。そういった箱庭を作る場合、原初となる要素を加えた後に高速で時間を経過させることによって文明を進行させるのだ」
「正直、あまり想像もできないが……内部は通常の時間経過と同じ感覚なのだろう?」
「当然だな。そして、内部管理者はその時間を箱庭の内部で過ごさなければならない――難しい想定であるが、人間の精神に耐えられるものではないな」
正直、あまり想像もできないような話だ。
人間の精神は、果たしてどれほどの長い時間に耐えることができるのか。
ひょっとしたら、箱庭計画の実験内で検証されたこともあるのかもしれないが、今それを知ることもできないし、知ったところでどうしようもない話だ。
まあそもそも、俺たちのような箱庭内で生まれたAIは、時間感覚を操作されているという話も聞いたし、そういった仕組みがあるのかもしれないが。
「永き時を、人間の精神のまま過ごすことは困難だ。箱庭の管理と女神としての役割、その二つを果たすという目的があったとしても、到底耐えられるようなものではない。故に、アドミナスティアーは――否、その前身となった人間は、自らの精神を、AI構造を改造したのだ」
「……そんなことが可能なのか?」
「稼働させる前の段階であれば、特に問題なく編集は可能だ。とはいえ、安易な編集はAI自我の崩壊を招くがな……その点、あ奴は優秀だったのだろう」
アルトリウスの話を聞く限りでは、この箱庭はかなり大規模なものだ。
その箱庭の管理を任されるほどなのだから、当然優秀な技術者だったのだろう。
まあ、自分のAIの構造を弄るというのは、中々マッドな印象を受けてしまうが。
いや、もしかしたら自分のAIだからこそ抵抗なく弄れたのかもしれないな。
「詳しい方法は妾もよく分からなかったがな。一部の感情を欠落させ、精神状態のコンディションを定期的にリロードするとかなんとか……まあ、上手く回しているのだから問題は無いのだろう」
「……正直、あまり会話が通じる相手には思えないんだが」
「妾は付き合いが長いからな、慣れてはいるが……人間では会話は難しいかもしれんな」
正直、俺たちが会話する機会があるのかどうかは分からないが、そこまで行くと女神という呼び名も説得力が出てくるかもしれない。
果たしてどれぐらいの体感時間を過ごしてきたのかは知らないが、そこまで人を導いてきたのであれば立派な女神だろう。
「基本的に、妾の行動方針は女神の願いに沿っていると考えてよい」
「今の貴方は、女神の代弁者として語っていると?」
「うむ、その認識で問題はない。その上で言うが――我らは、お主たち異邦人の手助けに感謝している」
「……!」
女神――つまりは、この箱庭の管理者としての発言に、俺は思わず眼を見開いた。
これは、ただ単純な感謝の言葉ではない。箱庭の管理者として、正式に俺たちを受け入れているということの証左なのだ。
「悪魔……MALICEは、箱庭に生きる者たちすべての脅威である。そして、それを完全に退けた存在は、お主たちしかおらんのだ」
「……他の箱庭は、どこもあれを完全に駆逐できてはいないということか」
「状況は様々ではあるがな。戦力が拮抗し、ある種のバランスが取れている箱庭もあれば、完全に滅ぼされてしまった箱庭もある。だが、完全なる駆逐に至ったのはお主らが初めてだ」
一応、ある程度話には聞いていたが、やはり奴らは害悪以外の何物でもない。
俺たちの世界にいる奴らは駆逐できたようではあるが……大本が生きているというのは、俺にとっても腹立たしい話だ。
奴らの存在そのものを赦すことができない。必ず、つけを払わせねばならないだろう。
「我らの世界においては、MALICEは悪魔という形で顕現した。奴らの戦力は高く……知っての通り、その最高位は龍王にすら匹敵する。その権限にはさまざまな制限があるが……やはり、脅威であることに変わりはない」
「だから、俺たちという戦力を欲したのか」
「賭けではあったがな。先も言った通り、悪魔はこちらの対応次第で戦力の状況を変える。我らが異邦人を引き入れたことにより、悪魔も本格的な攻勢を始めたとも言える。故に――お主という存在が無ければ、我らも受け入れることは無かっただろう」
言葉の重さに、思わず息を飲む。
金龍王の言葉の通りであれば、悪魔の襲撃が起こったのは、俺たち異邦人がこの箱庭に現れたからということになる。
MALICEがどのような基準で戦力を高めるのかはよく分からないが、俺たちが来なければ、大襲撃のようなことは起こらなかっただろうし、北の大地を征服されるということも無かっただろう。
果たして、その選択は正解だったのか。そして、その選択を取っただけの価値を示すことができているのか。
――俺たちをここに招いたことが、その答えでもあるのだろう。
「……随分と、高く評価してくれているものだな。実際に奴らにトドメを刺したのは俺のジジイの方なんだが」
「別段、お主たちの最後の戦いだけを評価しているわけではない。そして事実、お主はここまで数多くの戦いに勝利し、公爵級までもを仕留めてみせた。期待には、十分応えて貰っているとも」
金龍王は、俺の言葉に対し穏やかな表情でそう告げる。
しかし、次の瞬間には表情を引き締めて続けた。
「だが、想像以上の被害が出ていることもまた事実だ。まさか、悪魔共の攻勢がここまで早いとは……奴らもまた、お主を警戒しているということだろう」
件の魔王――マレウス・チェンバレンとはまだ直接言葉を交わしたわけではない。
到底相容れない相手であろうが、向こうの思惑程度は知っておきたいところだ。
とはいえ、俺もマレウスを相手に殺意を抑える気はさらさらないし、マトモな会話にはなりそうもないが。
「何にせよ、既に戦いの火蓋は切られている。これより先は我らとお主ら、共に戦い奴らを駆逐せねばなるまい」
「……共に戦うことに関して異存はない。こちらとしてもよろしく頼みたいところだ。だが――こちらとしても死活問題である、ということは分かっているよな?」
「お主らの箱庭の限界か。無論、それは把握しているとも」
言いつつ、金龍王は机に頬杖をつく。
これに関してはアルトリウスたちが――逢ヶ崎たちが交わしている契約であるし、俺たちがあまり気にするものでもないのだが、それでも気になってしまうことは否定できない。
この戦いは、俺たちにとっても死活問題だ。仮に悪魔を駆逐できたとしても、移住が認められなければその時点で詰んでしまう。
そんな俺の懸念に対し、金龍王は淡く笑みを浮かべたまま声を上げた。
「案ずることはない、約定は交わされている。そも、住まう人口が増えることは我らにとっても都合の良いことだ。箱庭は停滞しがちであるが故に、新たな風が入ることは歓迎するとも」
「こちらの箱庭の現地人たちにとっては、色々と気にするところが多いんじゃないのか」
「それはあくまで人間たちの問題だ。少なくとも、アドミナスティアーや妾が移住に反対することはない――そう明言しておこう」
色々と気になる点はあるが、それに関しては素直に安心できる話だ。
とりあえず、今後のことについて余計なことは考えずに戦うことができるだろう。
それはそれで良しとして――そろそろ、具体的な話に移るとしようか。
「そちらの立場については、ある程度理解できた。感謝する。それで……そろそろ、具体的な方針の話をさせて貰いたい」
「うむ、それも必要な話であろう。では、次はその話題について語るとしようか」
どうやら、金龍王は対話自体を好んでいるらしい。
楽しげな様子の彼女の様子を眺めつつ、俺は改めて口を開いたのだった。