310:閑話・ミリス共和国連邦 後編
「――《化身解放》」
その言葉と共に、床から伸びた根がウェルトゥールの全身を包み込む。
幾重にも重なる根は、その形を大きな球体へと変貌させていった。
渦を巻き、伸びて膨れ上がる。その形はまるで、蕾であるかのようであった。
《化身解放》――伯爵級以上の悪魔が持つ、悪魔としての真の姿を顕現させる力。
当然ながら、この場にいる誰もが、その存在を熟知していた。この国における戦いの最終局面において、必ず相対することになるだろう、と。
「さてと、どんな姿で来るんだかな」
「使われる前に殺せるかどうかも確かめたかったのですがね……まあ、いいでしょう」
大太刀を肩に担いで不敵に笑う戦刃に、水蓮は軽く嘆息しながらも目を細める。
ここまでの展開については、彼にとっては予想通りのものでしかなかった。
たとえ高い力を持つ伯爵級悪魔であろうとも、人間の姿であればこの編成で後れを取ることはないだろうと。
しかし、真の姿を現す《化身解放》については話が別だ。
大幅に巨大化することもあれば、それほど大きな変化はないこともある。つまり、一度目にするまでは完全に未知数だ。
どのような変化が起こるか分からない以上、その点についてはぶっつけ本番で当たるしか無いのである。
「分厚い蕾ですね……」
「今攻撃しても意味は無いのではないか?」
「巌さん、貴方が殴れば中まで徹せると思いますけど」
「さて、こうも柔らかい素材では有効打にはならんだろう。素直に、終わるまで待った方が賢明だ」
巌の返答に対して、ユキは小さく首肯して蕾へと視線を戻す。
巨大な蕾が蠢いたのは、それとほぼ同時であった。
身を震わせ、渦を巻くように覆っていた表面がゆっくりと解けていく。
それと共に内側から現れたのは、血のように赤い花弁であった。
ふわりと開いていく巨大な花――その中央にあるのは、肌までもが髪と同じ緑に染まったウェルトゥールの姿。
「アルラウネ……?」
その場にいた誰かが、そう口にする。
この悪魔の姿を何かに例えるとするのであれば、それが最も適した表現だろう。
巨大な花の中央から人間の上半身が生えているその姿は、正しくアルラウネと呼ぶにふさわしいものであった。
ただし、その下半身を包む花の大きさは並大抵のものではなかったが。
その直径は十メートル以上はあるだろう。広間の中央で、部屋を大きく占拠したウェルトゥールは、ゆっくりとその真紅の瞳を開く。
「私は――全てを、飲み込む」
そして、次の瞬間――ウェルトゥールの花の足元から伸びた無数の根が、地面や壁、天井までもを貫き、食い破り始めた。
石でできたそれらを容赦なく貫く根は、堅牢な城を内部から容易く崩壊させてゆく。
「おいおいおいおい……こいつは流石にやり過ぎじゃねぇのかよ」
「完全に崩壊する前に片付けましょう。瓦礫に巻き込まれたら流石に拙いですからね」
「くははは! 無茶苦茶だな、伯爵級って奴は!」
幸い、周囲を破壊する根こそが天井や壁を支えている状態であるため、すぐに完全崩落するということはない。
その具合を確かめた戦刃と水蓮は、共に躊躇うことなくウェルトゥールへと向けて駆けだした。
対し、どこか茫洋とした瞳のウェルトゥールは、彼らへと向けて軽くその手を振るう。
瞬間――足元を覆う根の隙間より、木の槍が突き出した。
「っと!」
「随分と殺意が高いことで!」
歩法――陽炎。
だが、その程度で彼らが足を止めることはない。
木の槍は揺らめくように駆ける二人を追うように突き出されるだけで、二人の身を捉えることはできていなかった。
「さて……どこなら効くんだかな! 《練命剣》!」
そのまま接近した戦刃は、生命力を纏わせた刃を花の花弁へと振り下ろす。
振り下ろされた刃は、赤い花弁を鋭く斬り裂き――その直後、戦刃へと向けて鞭のようにしなる蔦が叩き付けられた。
斬法――柔の型、流水・浮羽。
その一撃に対し、戦刃は咄嗟に刃を返して攻撃を受け流しつつその勢いに乗る。
地面を滑るように移動しつつ、戦刃はその口元に戦慄を交えた笑みを浮かべていた。
「水蓮、花に攻撃しても効かねぇぞ!」
「では、やはり本体でしょうが――このままだと近付きづらいですね」
巨大な花の中央にいる人型の姿。あれこそが、ウェルトゥールの本体であり弱点であると睨む。
しかしながら、巨大な花に包まれたその姿は、本体に到達するにはあまりにも障害物が多すぎる。
であればどうするか――答えは単純だ。
「斬り削るとしましょう。総員、前進!」
水蓮の宣言に反応したのは、周囲で隙を伺っていた周囲のプレイヤーたちだ。
正確に言えば、その中でも即座に反応したのは久遠神通流の門下生たちである。
師たちの動きを見て相手の攻撃手段を確認した彼らは、それぞれの武器を手に躊躇うことなく前進を開始する。
それと共に、周囲の壁や床からは攻撃が繰り出されるが――彼らはそれを回避、または受け流しながらウェルトゥールとの距離を詰めていく。
そして彼らは、思い思いに距離を詰めるための邪魔となる花弁を破壊し始めた。
「嗚呼……煩い、煩い……!」
「――! 頭上です、注意しなさい!」
直後、感じた気配に水蓮が警告を発する。
それと同時に、天井を這っていた蔦から、いくつもの果実が落下してきた。
毒々しい紫色の果実は、地面に近づくにつれてブクブクと膨れ上がり――
「【ウィンドブラスト】!」
――空中へと高く跳躍したユキが、その大部分を風で押し流し、壁へと叩き付けた。
瞬間、連続する爆発音と共に、壁の周囲が紫色の煙で包まれる。
《立体走法》のスキルで壁を駆けたユキは、そのまま壁を蹴って跳躍、構えた薙刀をウェルトゥールの本体へと向けて振り下ろす。
しかし、それよりも早く割り込んだ蔦が、ユキの一撃を受け止めていた。
「ッ……!」
「ふぅっ」
そんな彼女へと向け、ウェルトゥールは軽く息を吐きかける。
それと共に、ピンク色の煙が現れ、ユキの体を包み込んだ。
対し、ユキは即座にウェルトゥールの体を蹴り、後方へと跳躍する。
そんな彼女に対し、近付いてきた巌が声をかけた。
「大丈夫か、ユキ」
「ええ、息は止めました。状態異常はかかっていないようです」
「肌に触れただけでは問題ないか。しかし、面倒なことをしてくれるものだ」
「ええ。先ほどの果実は……毒ですか?」
「ああ、そのようだな」
軽く息を整え、ユキは立ち上がる。
ウェルトゥールの攻撃は苛烈だが、門下生たちは一歩も退かずに攻撃を加えている。
刃が通り辛い花弁はそれでも少しずつ削られ、対する反撃は器用に回避し続けていた。
本体に攻撃を届けられずとも、花の根元に攻撃を当てればHPも削れるらしく、絶えず多くの攻撃がウェルトゥールへと殺到している。
無論、全てのプレイヤーが上手く対応できているわけではないのだが、『我剣神通』のメンバーたちが前線を維持し続けているおかげで、危険になれば回避するという選択肢も生まれている。
問題があるとすれば、一部のプレイヤーが何故か同士討ちを行っていることだろう。
「それで、あそこで大騒ぎしているのは何ですか?」
「先ほどお前が受けた、桃色の煙の影響らしいな。どうやら、吸い込むことで『支配』という状態異常が発生するらしい」
「成程、例の洗脳ですか。至近距離とはいえ、うちの門下生が受けるとは……鍛え直しですね」
「お前もだな。だが、対処は分かった」
「ええ、単純ですね――息を止めている間に殺し切りましょう」
二人は互いに同じ結論を出し、再び最前線へと飛び込んだ。
そして、同じくウェルトゥールに肉薄している戦刃と水蓮もまた、同様の結論に達していた。
毒も支配も、息を止めている間に殺し切れれば問題はない、と。
周囲にピンクの花粉を振りまくウェルトゥール。その危険性を理解したからこそ、門下生たちも完全には近づけない状況だった。
しかし、そんな煙の中へと、四人の師範代たちは躊躇うことなく飛び込んでゆく。
「……!」
まず飛び込んだのは、二刀を構える水蓮だ。
襲い掛かる蔦を回避した水蓮は、蔦をしならせる支点となっている場所を斬りつけ、蔦を一時的に無効化する。
それと共に体を回転させ、下から掬い上げるようにウェルトゥールの右目を斬りつけた。
「ぐ……!?」
本体には痛みがあるのか、ウェルトゥールはその一撃で体を仰け反らせる。
それと同時に背中へと肉薄したのは、拳を構える巌だ。
彼はその拳を背中の中央へと合わせ――強力な衝撃を、その身へと叩き付ける。
打法――寸哮。
体を仰け反らせると同時の衝撃は、その威力を増強させる。
人間であれば背骨が折れていることだろうが、悪魔の肉体はそれとは異なる組成をしていた。
しかし、ダメージは決して少なくはない。下半身が動かないこともあり、衝撃を逃がすことのできないウェルトゥールは、その威力に息を詰まらせ動きを止めている。
刹那――
斬法――薙刀術、円武。
斬法――剛の型、白輝。
神速の一閃が、あらかじめ付与されていた生命力の後押しを受けて、前後から振り下ろされる。
凄まじい速さで薙ぎ払われた一閃は、その身を肩口から斬り裂き、緑の血を噴出させた。
そして――
「――――!」
――計四つの刃が、ウェルトゥールの身へと突き刺さった。
大きく目を見開くウェルトゥール。残る巌は、その拳を顔面へと向けて振り下ろした。
打法――寸哮・衝打。
それは、拳を叩き付けると共に衝撃を内部へと徹す一撃。
打撃と衝撃、外部と内部、二つのダメージを叩きつけられたウェルトゥールは、一瞬ながらその体を弛緩させ――その刹那、四つの刃は肉体を裂いて、薙ぎ払われた。
大きく仰け反ったウェルトゥールは、指先からゆっくりと枯れ――そのまま、塵となって消滅してゆく。
「――っぷはぁ! いやぁ、きつかったなこりゃ!」
「集団でダメージを与えていたからこそでしたね。しかし……」
陽気な様子で消えてゆく悪魔を眺める戦刃に対し、水蓮は軽く溜め息を吐いて頭上を見上げる。
部屋中に張り巡らされていた根は、徐々に消滅しようとしている所であった。
かなりのダメージを負ったこの建物がどうなるのか――それは想像に難くはない。
「……急いで脱出するとしましょうか」
――崩壊の音が響き始めたのは、それとほぼ同時であった。