293:ディーロンの街
教授からネームドモンスターの情報を手に入れて、俺たちはすぐさまディーロンへの移動を開始した。
基本的に、街道の上空を飛ぶだけならば魔物と遭遇することは殆ど無い。
まあ、今は移動を優先したいし、敵と戦うだけならば到着して腰を落ち着けてからでもできる。
それよりも重要なのは、得た情報から方針を決定することだ。
「とりあえず、会えないということは無さそうで安心したが……どう倒したものかね」
「今日倒せなかったら、もうチャンスは薄いと考えた方が良さそうだな」
ディーンクラッドとの戦いは七日後。だが、その日には奴との決戦が待っていることだし、マーナガルムを狙っているような時間はないだろう。
となると、やはり今日が最も狙い目であるということになる。
正直な所、本心では強い状態のマーナガルムと戦って見たくもあるのだが、今はそんなことを言っている余裕は無い。
確実に、マーナガルムの素材を手に入れなくてはならないのだ。
「けど、ちょっと不安なのは素材よね。弱い状態のマーナガルムと戦って、本当に手に入るのかしら?」
「アリスさんの必要素材って牙ですよね? 狼系の魔物なら、基本ドロップのラインナップですし、大丈夫だと思いますけど」
「まあ、出なかったのなら明日も挑めばいいだろうさ。それよりも、今日倒せるかどうかを気にした方がいい」
一度倒すことができれば、マーナガルムの行動パターンも一通りは割れることになるだろう。
満月に近づくことでどの程度追加行動が増えるのかは分からないが、情報が出そろっている状態ならば、翌日挑むことも不可能ではない筈。
尤も、それはある程度余裕をもって倒せた場合に限った話ではあるが。
ともあれ――
「問題は、マーナガルムの行動パターンだ。割れている部分と割れていない部分があるだろうからな」
「あー……『MT探索会』の人たち、明らかに半分も削れていませんでしたしね」
教授たちではあるが、マーナガルムの戦闘は一応映像として記録していたらしい。
しかし、俺たちも見せて貰ったのだが、正直暗くてよく見えなかった。
視界の悪い夜の森の中、照明が照らす範囲も木々に遮られてそう広くはない。それを考えれば仕方なくはあるのだが、もう少し詳しく見たかったことは事実だ。
とはいえ、マーナガルムが毛の長い黒狼であることはしっかりと確認することができたのだが。
「そこそこ粘ってはいた印象だがな」
「『MT探索会』は生産系クランと違って、スキルに制限は殆どありませんから。まあ、全員が《看破》を持ってるらしいですけど……」
「そこそこ戦闘はこなせるってことよね。その上であの蹂躙されっぷりなんだから、何の慰めにもなっていないけど」
「あはは……」
遠慮のないアリスの言葉に、緋真は乾いた笑みを零す。
確かに、映りは悪かったものの、彼らがマーナガルムによって蹂躙されている様子は容易く見て取れた。
まるで木々など存在していないかのように駆けてくるマーナガルム、大楯を持ったプレイヤーはその突進で弾き飛ばされ、続く鋭い爪の攻撃が前衛を斬り裂く。
その隙に放たれた遠距離攻撃はいくらか命中するものの、次の瞬間には霞のように消え去って別の方向から襲い掛かってきた。
大楯持ちが復帰してインターセプトに入ってはいたが、崩れた戦線を立て直すのは困難であったようだ。
「一応、ある程度の通常攻撃パターンが見れたのは収穫だ。視界と足場の悪さはネックではあるが、あれだけならばまだ何とか対応できる」
「到底受けきれないし、回避優先ですけど……全部を避けるのは厳しいですね、これ」
「それなら、私は回復を優先でしょうか?」
「それと視界確保もだな。出来るだけ広く光源を配置しておけ」
相手が闇属性ということもあり、ルミナの光の魔法が効く可能性は高い。
だが、必要以上にダメージを与えるとルミナが狙われてしまうし、ルミナを落とされた場合は森の中で視界を確保することが難しくなってしまう。
一応、アリスの魔法もあるのだが、暗視にしろ光源にしろ魔法をあまり強化していないアリスには向いていない役目だ。
ルミナは基本的にサポートに回り、隙を見て刻印を使うぐらいがちょうどいいだろう。
「基本的には、俺とセイランが前衛で抑え、緋真とアリスは中衛で隙を見て攻撃、後衛でルミナがサポートだな。特に緋真、お前はマーナガルムが消えた瞬間にルミナへ攻撃が行かないよう注意しろ」
「あー……了解です。基本、あんまり出すぎないようにします」
「私はセイランの回復を優先すべき、ということですね」
「そうだな。一番被弾する可能性が高いのはセイランだろう」
森の中では機動力が制限され、尚且つもっとも的が大きいセイランは、今回最もダメージを受けることになるだろう。
無論、それでセイランが怯むということはないだろうが、落とされることは避けなければなるまい。
「セイラン、お前には厳しい戦いになるが、やってくれるな?」
「クェ!」
「ああ、いい返事だ」
勇猛果敢なストームグリフォンは、例え格上相手であろうとも恐れを抱くことは無いようだ。
力強く頷いたセイランの背を軽く叩きながら、俺は視線を前方へと向ける。
視界に映るのは、鬱蒼とした森の近くに存在する巨大な街だ。
「あれが東の街ディーロンか……それほど壊れてはいないな?」
「こっちはどんな侵略をされていたのかしらね?」
「話によると、何と言うかこう……かなり胸糞悪い感じだったらしいですけど」
「……何をしたんだ、ここの悪魔は?」
「何でも、住人に生贄になる人物を指名させたとか何だとか……おかげで悪魔が消えた後も現地人同士がギスギスしてるらしいですよ」
緋真の説明に、思わず舌打ちを零す。
成程、ここの悪魔は快楽目的で侵略を行うようなタイプであったらしい。
アルトリウスが他者に任し切れずに手を出すのも頷けるような状況だ。
尤も、その辺りのケアについてはどうしようもない。部外者である異邦人が絡んだところで、根本的に解決する問題ではないだろう。
多少の橋渡し程度にはなるかもしれないが、あまり積極的に関わるべきでもない。
「あまり長居したい場所でもないな。さっさと石碑の登録だけ済ませて、森に行くとするか」
「もう行くんですか?」
「マーナガルムと戦うまでに、できる限り強化しておきたいからな。夜までは森で育成と行こう」
マーナガルムもそうだが、先にはディーンクラッドとの戦いも控えているのだ。時間を無駄にしている暇はない。
普段通り街の手前で降下し、地上を進んで街の前まで辿り着けば、多くのプレイヤーがたむろしている姿が目に入った。
ごく最近まで最前線だったわけだし、ここにプレイヤーが数多くいるのは当然だろう。
見回せば『キャメロット』所属らしきプレイヤーの姿も目に入る。アルトリウスは今ここにいるのだろうか。
まあ、今はそれほど用事もないし、わざわざ挨拶に行くほどでもないのだが。
「んー……注目されてますねぇ」
「北東の街攻略の足掛かりになるんでしょう? そこにクオンが来たら、そりゃ注目もされるでしょう」
軽く嘆息しつつのアリスの言葉に、俺は納得しつつ首肯する。
俺たちはこれまで、南も含めれば三つの都市を解放している。
プレイヤーたちにとって、街の解放は一つの目標だ。支配している悪魔の討伐では報酬も期待できるし、彼らにとって子爵級は狙い目なのだろう。
そこに俺たちがやってきたら、警戒されてしまうのも無理はない。
実際の所、俺は北の伯爵級悪魔にしか興味はないのだが……それについてはアルトリウスと足並みを揃えるつもりだし、勝手に討伐に動くつもりはないのだ。
正直な所、悪魔共がのさばっていることは業腹ではあるが、勝手な行動でアルトリウスの足を引っ張ることは全体にとってのマイナスだ。慌てずとも、いずれ声がかかることだろう。
黙考しながら街の中心へと歩を進め、広場の中央にある石碑が目に入る。
と――ちょうどその時、石碑で転移してきた一人の少女と目が合った。
「……あれ? クオンさん、久しぶりです」
「雲母水母か、久しぶりだな」
溌溂とした様子の女剣士は、装備こそ変わっているものの、以前と変わらぬ調子でこちらに声をかけてきた。
雲母水母――最初の悪魔を討伐した時、偶然パーティを共にしていたプレイヤーだ。
どうやら、彼女たちもこの街まで辿り着いていたらしい。
「お前さんたちも最前線か。精力的なようで何よりだな。他のメンバーはどうした?」
「あっはは……まあ、何とか付いて行ってますよ。皆とは、今は待ち合わせ中です」
確か、こいつらは学友同士のパーティだったか。
緋真やアリスと挨拶を交わしている様子をぼんやりと眺めながら、ふと思いついて笑みを浮かべ、彼女へと向けて声を上げた。
「そっちは北東の攻略が目的か?」
「はい、そうですね。けど、クオンさんが来たなら持って行かれちゃいますかね、あはは」
「いや、俺たちは北の街の攻略以外には関わらんさ」
「え、そうなんですか!?」
周囲がざわつくのを感じる。
注目されていたこともあり、俺たちの会話に聞き耳を立てていたものも多いのだろう。
北東に参戦するつもりがないことさえ示せれば、後はそれほど問題にもなるまい。
まあ、マーナガルムの件についてはあまり知れ渡って欲しくはないのだが。
ネームドモンスターは一体ずつしか出現しないため、他の連中が戦うとその間遭遇できなくなってしまう。
「こっちに来たのは強化が目的だ。公爵級と戦うための準備だな」
「はぁ……聞く限りだと全然勝てる気がしないんですけど」
「それを何とかしなきゃならん。そのためにも、まずは準備ってことだ」
とんでもない相手であると認識されているディーンクラッドであるが、それでもプレイヤーのモチベーションは高い。
聖女という救出目標がいるからか――或いは、俺やアルトリウスを含めた総力ならば何とかなるという思いからか。
理由がどれかなど定かではないが、その期待には応えねばならないだろう。
久方ぶりのルミナとの再会に困惑気味な様子の雲母水母を眺めつつ、俺は決意を新たにしたのだった。