292:東へ向けて
翌日となり、普段通りの時間にログイン。
準備を終えた俺たちは、南東の街であるアロットへ向かい移動していた。
ディーンクラッドとの決戦期限までは、俺たちの時間であと七日。
あと一週間で奴と戦うと思うと、自然と気合が入り直るというものだ。
切り札を手に入れることができたし、先が見えてきたと言っても過言ではない。
とは言え――
「まだ足りんだろうがな……」
セイランを操りながらも改めて成長武器の強制解放の効果を確認して、俺はそう呟く。
確かに、強力極まりない能力だ。この性能であれば、ディーンクラッドに傷をつけることは可能だろう。
だが、これだけで倒し切れるとも考えてはいなかった。
奴は公爵級悪魔、その肩書に偽りはなく、圧倒的と言わざるを得ない実力を有している。
更に言えば、奴は何本ものHPゲージを持っていることだろう。例え強制解放を使い、奴の体力を一気に削ることができたとしても、それだけで削り切れるとは到底思えない。
特に、俺の強制解放は五分間限定だからな。しかも固有の能力を使うとさらに時間が縮まる。
この切り札を切るのは、奴にトドメを刺せるタイミングにするべきだろう。
「さてと……」
何はともあれ、やるべきことは明確だ。
東へ向かい、闇月狼マーナガルムを倒して、アリスの成長武器を強化する。
強制解放という切り札が増えれば、ディーンクラッドを倒せる可能性は更に増す。
必ずや、この作戦を成功させねばなるまい。
「あ、先生! 見えてきましたよ!」
「ん……あれがアロットか」
流れの穏やかな川沿いにあり、その水の一部を街中に引き入れている様子が伺える、大きな都市。
とは言え、その内部はかなり崩れており、今も復旧作業が続いている様子である。
あの街を占拠していたのは、確か伯爵級のセルギウスとかいう悪魔だったか。
研究者肌の悪魔で、街全体を一つのダンジョンに変えて支配していたらしい。
その内部では改造された悪魔や魔物が襲い掛かって来たらしく、アルトリウスからは珍しく苦労話を聞かされたものだ。
「こちらは、随分と被害が大きかったようだな」
「総合的な被害ではシェーダンも大差ないようだけどね。あそこ、街の外からも人々を連れてきていたわけだし」
「早めに倒せてよかったですよね。武闘派の伯爵級だったら、アルトリウスさんたちでもまだ苦戦していたかもしれませんし」
「どうだろうな。そういう単純な奴の方が倒しやすい可能性もあるが……」
まあ、事実として既にこの街は解放されている。それは良かったことだと安堵しておくべきだろう。
個人的には、ここの伯爵級にも少々興味はあったのだが。
恐らくだが、聖女を救出した際に襲ってきた奇妙な悪魔は、セルギウスの差し金だったのだろう。
一体何をやったらあんな姿になるのかは不明だが、それを作り上げた者がどのような存在なのかは多少の興味があった。
「……もう死んでいるんであれば気にすることでもないか。とりあえず、ここの石碑を登録するぞ」
「了解です。ここは登録だけですよね?」
「別に、ここには用事も無いからな」
倒すべき敵がいるわけでもないし、単なる通過点でしかない。
目的地である東の街、ディーロンは俺たちがログアウトしている間に、アルトリウスたちによって解放された。
正確に言えば、『キャメロット』も含めたプレイヤーの一団によって、であるが。
アルトリウスが手を出した瞬間にあっさり終わる辺り、既にとっかかりは出来ていたのだろう。
話を聞く限り、『キャメロット』以外のプレイヤーが主だって活躍していたようであるし、アルトリウスは手柄を譲ったのだろう……まあ、そのタイミングで出しゃばっても、成果だけ掠め取ったように思われてしまうからなのだろうが。
(あいつも色々と気を使う必要があって大変なもんだな)
大層な使命を背負っているというのに、周囲に気を使わなければならない。
戦闘に関して手を貸すことはできるが、流石に人間関係までは無理だ。
あいつも、厄介なものを抱えちまっているもんだな。
そんなことを胸中で呟きながら、セイランをゆっくりと下降させる。
街は崩壊が激しいが、それでも直接降下するべきではないだろう。
というか、石碑が稼働している以上、通常の入口以外からは入れないと考えた方がいい。素直に入口から離れた場所に降下して、中に入ることとしよう。
そうして街に近づいて行ったところで、ふと珍しい人物が崩壊した門の傍に立っているのが目に入った。
「教授……?」
「ああ、クオン殿! 待っていましたよ」
そこに立っていたのは、白衣に似たローブを纏う男性のプレイヤー。
プロフェッサーKMK――通称教授、クラン『MT探索会』のマスターである人物だ。
このゲーム内における様々な情報を収集、整理することに心血を注ぐ変わり者の集団であるが、その情報は確かな確度を有している。
ゲーム内における情報アドバンテージを持っているのは、間違いなく彼らだろう。
彼と直接話をするのは久しぶりだ。一応、顔を合わせる機会はあったのだが、基本的に俺よりもアルトリウスの方が話が合うからな。
「珍しい、俺に何か用事でも……いや、用件は一つしかないか」
「ははは、流石に分かりますかね。私は、貴方がたの標的である闇月狼マーナガルムの情報提供のために来たのですよ」
「それはありがたいが……とりあえず、歩きながら話しますかね」
エレノアやアルトリウスが話を通してくれていたのだろう、手間が省けて助かるものだ。
とは言え、『MT探索会』にとって情報のやり取りはビジネスだ。
この情報については俺たちだけのメリットであるし、流石にそこのやり取りまで代行されているということはないだろう。
「さて、マーナガルムについてはいくつかの情報がありますが――」
「無論、全部頂きたい」
「でしょうね。では、こちらからも情報を要求させていただきましょう」
眼鏡を煌めかせ、教授はこちらに視線を向けながら声を上げる。
その言葉は、既に予想ができているものでもあった。
情報の対価は情報で――彼らが最も欲するものがそれである以上、決して想像に難くはない。
「『暴食の悪鬼ブラッディオーガ』『獄炎纏いのプシュケー』……これらの情報と交換でどうでしょうか?」
「……ネームドモンスター一体の情報のために、二体分の情報を差し出せと?」
「それが一切外に出ていない情報であれば、一対一の取引も成り立つでしょうが……それらの情報は、既に共有されているのでしょう?」
誰に、とは言ってこないが、それが誰を示しているかなど明白だろう。
事実、あの魔物たちの情報は、既に『キャメロット』や『エレノア商会』と共有している。
それが俺たちの同盟の約定であるのだし、仕方のない話ではあるのだが。
まあ、別段こちらとしても情報を使って儲けようと思っているわけでもないし、今他に欲しい情報があるわけでもない。
であれば、このまま取引に応じても問題はないだろうが――
「……了解、と言いたい所だが。スキルオーブのスキル内容の提供、見返りがあっただろう?」
「おっと……そうでしたな。申し訳ない」
以前に教授と交渉した際に手に入れた、情報の無料提供権。ここで使ってしまっても問題ないだろう。
別段、情報を伝えたところでこちらにデメリットも無いわけだが、いつまでも貸していても座りが悪い。
とりあえず、街の中心まで到達して石碑を登録しつつ、教授の話に耳を傾ける。
「闇月狼マーナガルムは、ディーロンにおいては御伽話や寝物語に語られるような存在です」
「……何か、割と伝説っぽい感じの存在ですね」
「事実、一部では神格化しているような部分もあるようですね。曰く、夜と月の化身であると」
緋真が呟いた言葉に対し、教授はしたり顔で首肯する。
どうやら、これまでのネームドモンスターとは一線を画するような存在であるらしい。
群れの長であったブラッディオーガや、単一で周囲の生態系の頂点に立っていた獄炎纏いとも異なる。
どこか、神秘性すら感じる存在。マーナガルムについては、これまでの二体を参考にすることは難しそうだ。
「具体的な話をしましょう。マーナガルムはディーロンの東にある森の奥深くに住み、夜の森に足を踏み入れた者を追い返します。この時、それ以上踏み込まなければ、マーナガルムはアクティブ状態にはなりません」
「……つまりもう接触はしたのか?」
「ええ、特殊な魔物ですので、例え些細な情報でも貴重ですから」
この様子からして勝てなかったのだろうが、大した好奇心だ。
教授は話しながらも手元のウィンドウを操作し、こちらへとメールを送信してくる。
確認してみれば、そこに添付されていたのは闇月の森と名付けられたエリアのマップ――即ち、マーナガルムの生息地を示す地図であった。
出現地点が複数マークされており、ある一定のラインよりも奥に進むと出現するということが分かる。
「事前にお伝えしていますが、出現するのは確実に夜のみ。昼間にここまで移動してもマーナガルムは出現しません」
「夜の森か……厄介だな」
「ええ、実に厄介です。マーナガルムは、およそ高さ二メートル半程度の巨大な黒い狼ですが、その巨体であるにもかかわらず、森の中を音もなく移動してきます。視界の悪い夜の森では、接近を察知することは困難でしょう」
「……一応聞いておきたいのだけど、斥候職でも気づけなかったの?」
「いえ、高レベルの察知系スキルを持つプレイヤーは気づけていましたので、完全に姿を隠しているというわけではないですね」
教授の言葉を聞き、アリスは胸を撫で下ろす。
確かに、そんな魔物が完全なる不意討ちを仕掛けてくるなど、悪夢以外の何物でもない。
「攻撃手段は主に近接攻撃ですが、時折闇属性の魔法を交えて使用してきます。攻撃力は非常に高く、タンクでもきちんと受けなければ数発で落ちるレベルですね。盾受けできればまだ良かったのですが……」
「闇夜に紛れながらの攻撃……攻撃力も高く、魔法も使うか。そりゃまた厄介な……」
「ちなみに、特殊行動はほぼ割り出せませんでしたが……何度かダメージを与えていると、霧散して消えることがありました。その後別の方向から奇襲を仕掛けて来たので、どうも転移に近い移動が可能なようです」
更に厄介な情報の追加に、俺は思わず頭を抱えた。
不利になったら瞬時に状況から抜け出せるなど、反則にも程があるというものだ。
とは言え、その反則に勝たねばならないのだから、情報は頭に叩き込んでおく必要がある。
「そして、これが重要な情報ですが――マーナガルムは、月齢によってその強さを変えます」
「月齢……月の大きさで? ちなみに、それはどちらに?」
「満月に近ければ近いほど、マーナガルムは強くなるようですね」
「……ちなみに、昨夜の月は?」
「三日月ですよ」
その言葉に、俺たちは揃って沈黙する。
それはつまり――今日倒せなければ、マーナガルムは日を追うごとに強くなる、ということなのだから。