286:獄炎纏い
『獄炎纏いのプシュケー』。ネームドモンスターであり、巨大な蝶の姿をした魔物。
遠目から見るその姿は、成程確かに、非常に美しい蝶であった。
赤と白、そして黄色の混じった美しい紋様の翅は、薄く炎を纏いながら、チラチラと鱗粉と火の粉を撒き散らしている。
胴は細く、だがその身は甲殻のようなものに覆われているらしい。そして普段丸められている口の管は、まるで鋭く尖った針のようだ。
事実、頑丈極まりないクラーグリザードの肌に突き刺しているのだから、その鋭さは計り知れない。
「外見は綺麗ですけど……おっかないですね」
「確かにな……先ほどの爆音も、間違いなくあいつだろうよ」
やはり警戒すべきはあの炎だろう。
翅が纏っている炎も厄介だが、それ以上の問題は先ほどの爆撃だ。
小規模な爆発がいくつも連鎖していたような音であったが、事実としてその攻撃により、頑丈なクラーグリザードが倒れている。
直撃したらひとたまりもないだろうが、もしもクラスター爆弾のような攻撃であった場合避けることは難しい。
さて、どうやって攻めたものか。これほどの敵を相手に正面から撃ちこむという選択肢は無いのだが――何にせよ、今はまだ情報が足りない。
「今は食事に夢中だが……ここで闇雲に攻撃する選択肢は無いな」
「幾らなんでも無茶ですよそれは」
「俺も自殺する趣味は無いからな……ふむ。アリス、あそこの岩が見えるか?」
言いつつ、俺は窪地の側面側に転がっている大きな岩を指し示した。
アリスは手で日陰を作りながら目を細め、俺の示した方向を凝視しつつ首を傾げる。
「……あの坂に転がっている岩のこと?」
「ああ、アレはクラーグリザードだ。獄炎纏いが食事を終えたら、ちょっと矢を撃ち込んで起こしてみてくれ」
「私の矢じゃダメージは与えられないと思うけど……」
「ちょっと衝撃を与えられればそれでいい。向こうが反応を示してくれれば分かり易いが……まあ、矢の着弾音だけでも目印にはなるだろう」
とりあえず、獄炎纏いの攻撃方法を見てみたい。
素直に攻撃してくれるかどうかは分からないが、ただ見守っているだけよりは遥かにマシだろう。
そうこうしている内に獄炎纏いは食事を終え、口の管をクラーグリザードの死骸から抜き取る。
今更ながら、あれは血を吸っているのだろうか。だとすると蝶と言うよりは蚊のような生態をしているようにも思える。
ともあれ、獄炎纏いが食事を終えたことを確認したため、アリスは取り出したボウガンを静かに構えた。
「……【ダークスナイプ】」
遠距離攻撃時の命中精度を大幅に高める魔導戦技を発動、アリスは黒く染まった矢を遠方へと向けて放つ。
弧を描きながら飛翔したアリスの矢は――技の補正も相まって、綺麗にクラーグリザードへと直撃した。
「ギッ!?」
魔法による補正が入っているとはいえ、大したダメージにはならなかっただろう。
だが予想だにしていなかった衝撃と、矢が着弾した際の音に、クラーグリザードは確かな反応を示してしまった。
瞬間、ピクリと反応した獄炎纏いは、燃え上がる翅を羽ばたかせて宙へと舞い上がる。
その姿を確認した瞬間、クラーグリザードは擬態を辞め、すぐさま逃亡を開始した。
だが――
「――――!」
獄炎纏いは、クラーグリザードが逃げた方向へと向けて細かく翅を羽ばたかせた。
それと共に、薄っすらと赤やオレンジに見える風が、クラーグリザードの方向へと広がり、その身を飲み込んでいく。
そして、獄炎纏いが足の先端を打ち合わせ、カチンという音が鳴り響いた瞬間――
「ッ!?」
「わぁっ!?」
爆音が鳴り響き、鳴動が地を揺らす。反射的に対爆防御姿勢を取りながら、俺は奴の攻撃方法を考察した。
獄炎纏いが足を打ち合わせた瞬間、奴の目の前から、無数の爆発が連なってクラーグリザードを飲み込んだのだ。
どうやら、エレノアから聞いていた通り、鱗粉に火をつけて爆破したということらしい。
問題は、その威力と攻撃範囲だ。今のはまるで、絨毯爆撃でもしたかのような攻撃範囲だった。
鱗粉が届く速度も速く、撒き散らし始めてから逃げたのでは間に合わないだろう。
しかも威力もとんでもない。あれほど広範囲に対する攻撃だったというのに、クラーグリザードが一撃で戦闘不能になってしまっている。
魔物と言うより、一種の兵器でも相手にするような感覚であった。
「……いや、これどうしたらいいのよ」
「攻撃範囲と攻撃力がヤバいですね……動きはそこまで速くはなさそうですけど」
「接近戦だけなら正直何とかなりそうではあるが……あの爆撃を掻い潜って接近するのは厳しいな」
最初からはっきり見えているならまだしも、火薬となるのは奴の鱗粉だ。
粉末である以上回避はし辛いし、そもそも見えづらい。さて、どうやって対処したものか。
「接近戦に持ち込めば何とかなりますかね?」
「可能性はあるが、接近するまでが危険だな。気づかれたらその時点で拙いことになる」
「けどそもそもの話、私たちが遠距離戦であれを仕留められるとは思えないんだけど」
遠慮のないアリスの物言いに、思わず苦笑を零す。
俺たちは、基本的に接近戦闘に特化している。遠距離攻撃もできなくはないが、その上で切り札と呼べるレベルの火力を持っているのはルミナ程度しかいない。
逆に言えばルミナの刻印は十分すぎるほどの火力となる。どこでこの切り札を切るかが重要だろう。
「というか、あの翅って燃えてるように見えますけど、あれは火じゃないんですかね?」
「そういえば、わざわざ足を使って着火してたわね」
「ふむ……あれは炎ではなく、単なるエフェクトか?」
獄炎纏いの翅に薄っすらと揺れている炎。
もしも鱗粉に火をつけるだけなのであれば、あの翅の炎を使えばいいのではなかろうか。
そもそも、それを言い出したら鱗粉がたっぷり含まれているであろうあの翅は何故爆発しないのかという話になるのだが。
「とりあえず、あの火では着火できないものだと考えておいた方がいいか。だとすると……奴の足を斬り落とせばあの爆撃は使えなくなるか?」
「ああ……それと、向こうが着火する前にこっちから火をつけるっていうのはどうでしょうか?」
「鱗粉が届くより先に爆破しておくってことか。危険はあるが、咄嗟の対処としては悪くないかもしれんな」
「後は順当に、セイランの風で押し返すとかじゃないの? 雷でも起爆できるかもしれないけど」
「……防ぐ方法は色々と出てきますけど、こちらから攻める方法はあまり出て来ませんね」
「…………まあ、それはな」
色々と議論していたのだが、最後に付け加えられたルミナの言葉に、俺たちは揃って沈黙した。
正直な所、それを否定することはできない。何故なら、奴は近づけば近づくほど危険な存在であるからだ。
例え起爆するつもりが無かったとしても、奴の周囲には常に鱗粉が舞っている。
見た感じ、傍で爆発が起きても獄炎纏い自身はダメージを受けないようだが、こちらはそれに当てはまらないだろう。
仮に爆発が起きなかったとしても、こちらの身には鱗粉が付着することになる。
それはつまり、いつ爆発するか分からない爆弾を身に着けるようなものだ。危険どころか、自殺行為にも等しいだろう。
「正直、まともに戦える相手ではない。だが、コイツの素材は絶対に必要だ」
「つまり、まともじゃない手段で戦うってことですか? オーガの時みたいに?」
「……とりあえず、周辺を調べる。お前たちはその間、あいつの監視を続けてくれ」
「手分けしなくてもいいんですか?」
「奴を見失う方が困るし、何かしら新しい行動が見れるかもしれんからな。周辺を調べるのは俺とセイランだけでいい」
正直、オーガの時ほどお膳立てをされているような気配は感じない。
だが、目的のものが発見できれば、何とか逆転の目途は立ちそうだ。
正面から挑んでもまず勝ち目はない。空中戦ならばまだある程度戦えるかもとは考えたが、ペガサスに乗る緋真の方はリスクが高くなってしまう。
まあ、目的のものが見つかるかどうかも、作戦が成功するかどうかも、その上で目論見が達成できるかどうかも運次第だ。
それでも、幾分かは勝率が高くなる方に賭けるべきであろう。
「分かりました。とりあえず、目途が立ったら連絡ください」
「分かってる、監視は頼むぞ。よし……行くか、セイラン」
「クェ」
身を屈めていたセイランに跨り、斜面を駆け降りるようにしながら加速して宙へと舞い上がる。
しばらくは敵と戦う必要はない。敵は避けて、周囲を探索することとしよう。