283:久遠神通流の真実
久遠神通流は一族経営であるが、親戚一同が一か所に集っているため、それなりの人数が存在する。
運営組についても武術を専門にしなかったというだけで、歴史を辿れば血縁なのだ。
まあ周囲から門下生を集い、内弟子となった者たちもいるため、全てが親戚で構成されているというわけではないのだが。
それでも、中核を担うのは久遠一族に連なる者たちだ。
特に長年に渡って一族の運営を行ってきた紫藤家は、運営組の中では筆頭とも言えるだろう。
「月見酒とは、いい趣味だな」
「おう、来ると思ってたぜ、若よ」
食堂近くの縁側、そこで酒とつまみを手に月を見上げていたのは、紫藤家の前当主である紫藤城助だった。
家督は自分の息子に譲り、既に気楽な隠居生活を送っている爺さんではあるのだが、その発言力は未だに高い。
それだけ、長い期間久遠家を支えてきた人物であり――うちのジジイとある意味同期とも言える友人同士であった。
だからこそ、この爺さんならば、例の話について知っている可能性が高いのだ。
「まずは一杯、お前さんもどうだ?」
「……普段なら断る所なんだがな、頂こうか」
軽く嘆息しつつ、紫藤の爺さんから盃を受け取る。
わざわざ二つ用意していた辺り、俺が来ることも分かっていたのだろう。
食堂に用意されていた酒を拝借していることには色々と言いたいことはあったが、今は聞くべきことがある。
俺は小言は飲み込み、彼の隣に腰を下ろした。
「まずは乾杯だな」
「ったく、酒飲みジジイめ」
軽く悪態を吐きつつも、爺さんの酒飲みに付き合うことにする。
相変わらず、いい酒を飲んでいることだ。自分の金で買っているのであればそれも文句は無いのだが。
喉を焼く強い酒精に顔を顰めながら息を吐き出し、俺は隣に並ぶ紫藤の爺さんへと視線を向ける。
それとほぼ同時、紫藤の爺さんは何を問われてもいないというのに、一人勝手に語り始めた。
「お前さん、逢ヶ崎の所から話を聞いてきたんだろう?」
「……!」
「驚いた顔すんなって、予想はついていたんだろうに」
くつくつと、意地悪く笑う紫藤の爺さんに、俺は半眼を向ける。
色々と言いたいことはあるが――まずは何より、その経緯について話を聞いておくべきだろう。
「あんたは……元々、現実世界からコピーした存在なのか」
「そうだな。儂らの世代は、大抵がそうだ。儂らは……現実世界に限界を感じ、こちらに久遠神通流の未来を見出した」
「……一体、何があったんだ?」
「何、時代の流れってもんよ。あの頃は争いらしい争いも無かった。己を鍛えられるような自然も無かった。あるのはただ安穏とした刺激のない日々ばかりだ。腕も鈍るってもんよ」
「夢の先を己ではない己に求めたってことか」
「そうだな。あのままでは森羅万象に至るなど、夢のまた夢だった」
遠く、郷愁の念を覚えるかのように、紫藤の爺さんは月を見上げる。
俺の感覚からすれば、遥か未来を実現したかのような世界。
それが果たして、どのような場所であったのか――俺には想像することしかできない。
だが確かに、その言葉の通りであるならば、久遠神通流は衰退するばかりであっただろう。
「だから儂らは、現実ならざる世界に未来を求めた。争いがあり、心身を鍛えるべき自然があり、我らを高められるであろう仮想世界にな」
「……まあ、その結論に至ったであろう葛藤については聞かないが。一体、どうやって自分たちを売り込んだんだ? この箱庭世界がテストサーバだというならば、かなり初期に作られた場所なんだろう?」
アルトリウス曰く、俺たちが暮らしているこの場所は、初期に作られたテストサーバであるということだった。
つまり、久遠神通流は箱庭計画の初期から関わっていたということになる。
果たして、どうやって箱庭計画との……逢ヶ崎との縁を繋いだというのか。
そんな俺の問いに対し、紫藤の爺さんはにやりと笑いながら声を上げた。
「それは、お前さんらの――正確に言えば厳十郎のここさ」
そう言って、紫藤の爺さんは己の人差し指で側頭部を叩いた。
脳、ということだろうか。確かに、箱庭計画では脳科学についてもかなり重要ではあっただろうが――それは果たしてどういう意味か。
「厳十郎は天才だ。争いのない現実世界ですら、合戦礼法に届いたほどだからな。習得しているお前さんなら分かるだろうが、合戦礼法は常人とは隔絶した脳開発による代物だ」
「……そんな脳の働きを、逢ヶ崎に売り込んだってことか」
「こちらの望みは、当時の久遠神通流の中でも指折りの実力者を箱庭世界にコピーすること。そして、そんな俺たちの行く末を観察させて貰うことだ」
また、随分と悠長なことを考えたものだ。
だが、事実としてこちらのジジイは全ての合戦礼法を修め、森羅万象の境地にまで至った。
彼らの選択は、正解だったと言えるだろう。
「まあ、俺たちは現実世界とは時間の長さが違うからな。剣の道を行くには都合が良かったのさ」
「……時間の長さ? 確かに、現実とは異なって、物理的な肉体の劣化は抑えられるのかもしれないが……」
「ん、ああ……それについては話していなかったのか。俺たちAIの時間はな、現実世界とは異なるんだ。現実世界の基準で言えば、俺たちは数倍の寿命を持っている」
その言葉に、俺は驚愕に目を見開いた。
そのような話はアルトリウスからは聞いていなかったのだが、今の調子からして嘘は吐いていないようだ。
「……そんな感覚は無かったが」
「そりゃまあ、違和感を覚えないように、俺たちの体感時間は普通の人間と変わらぬ感覚になっているからな。だが、事実としての時間はかなり長い。これもまた、仮想世界だからこそ可能な話だな」
「何故、そんな設定になっているんだ? わざわざ俺たちの都合に合わせてくれたって訳じゃないだろう?」
「そりゃそうだ。もっと根本的に、AIの育成にはそれだけの時間がかかるってだけの話だよ」
紫藤の爺さんが発した言葉は、俺には理解の及ばぬ内容であった。
しかし、盃に酒を注ぐこの老人は実にマイペースで、こちらは静かにその続きを待つことしかできない。
やがて酒精にまみれた吐息を零した老人は、ゆっくりと言葉を重ねた。
「人間とほぼ変わらぬ性質を得たAIではあるが、それでも人間と完全に同じとはいかなかった。教育と成長には人間以上の時間を要したのさ」
「成程な、その解決策が時間の延長って訳か」
「その通り。そして、それは我らにとっても非常に都合の良い話だった」
それに関しては、俺も理解できる。
確かに、学習するのには多くの時間を要するのだろう。だが、その為に費やした時間が――経験が多いということは、それだけ多くの引き出しを得られるということだ。
より濃厚な経験を積むことにより、一つの成長の幅を広げる。
それは、限られた時間の中で成長しなければならない俺たちにとって、非常に有用なことである。
「お陰で、厳十郎は境地に辿り着くことができた。そして――最初からAIとして生まれた世代の中に、お前さんのような天才が現れた」
「……例えAIであろうとも、久遠神通流の未来があることを証明した、と?」
「そうだ。お前さんは、我らの最高傑作であった厳十郎を超えた。それは、儂らの選択が間違いではなかったと如実に示しておるのだとも」
紫藤の爺さんの声には、ある種の狂気が含まれていた。
久遠神通流としての、妄念にも近い目的意識が。
例え戦う場を失っても、その熱量だけは受け継ぎ続けていたということか。
だが――
「……俺は正直、まだジジイを越えられたとは思っていないけどな」
「ふん? 何だ、やはり気づいておらんかったか」
「何だと……?」
「気にするな、いずれ分かるだろうよ」
そう言って、爺さんは再び酒を呷る。
この頑固ジジイのこと、これ以上喋るつもりはないということだろう。
小さく嘆息してそれに倣い――俺は、別の話題を切り出した。
「……じゃあ、ウチは最初から逢ヶ崎グループと繋がりがあったってことか?」
「まどろっこしいことを言うな、お前さん。どうせ想像はついてるだろう? 繋がりが無けりゃ、あんな対応なんかするものかよ」
「だろうな」
ジジイ関係なしに、ウチは逢ヶ崎グループとの関係があった。
だからこそ、あれほど大量のゲームソフトを送り付けてくるなど、特別対応があったわけだ。
納得と言えば納得なのだが、正直少々気が引けるのも事実だ。
とは言え、移住計画のことも分かっているので、特に何か文句をつけるつもりも無いのだが。
「ったく……それなら最初から、そうと説明してくれりゃいいだろうよ」
「ま、向こうにはできる限り隙を見せたくなかったんでな。それに、開始直後はまだお前さんの練成が終わっていなかったってのもあるし」
「……確かに、ジジイにはまだ勝てていなかったが」
ゲームの開始直後は俺がまだジジイに勝てておらず、また時間に余裕のできる当主という立場でもなかった。
ついでに言えば、俺が当主になることでジジイがフリーになる。
今何をしているのかは知らないが、恐らくは別の場所で何かしらやらかしているのだろう。
まあ、当事者である俺に何も説明しなかったことには思う所があるが、ここにも何かしらの思惑があるようだ。
隙を見せたくなかった――つまり、それだけMALICEを警戒しているということか。
やはり、警戒は続けておくべきだろう。
「ともあれ――状況はかつてと同じだ、若よ。今のままでは、我らの剣が途絶えてしまう」
「無論、それは認めんさ。俺は必ず奴らを倒し、久遠の剣を生かし続ける」
「そうだ……頼むぞ、我らが当主よ」
笑う爺さんに、小さく頷く。
色々と言いたいことはあるが、やるべきことは変わらない。
まずは――さらに力を蓄えて、奴らに牙を届かせることだろう。
決意を新たに、俺は盃の酒を飲み干したのだった。