267:一時帰還
「それで……街の南側の霧を晴らしてきたというのか?」
「ああ。あの様子を見るに、霧の発生源もすぐに設置し直せるものではないらしいな」
一度地下の拠点に戻り、セイリアに戦果の報告を行った俺は、軽く肩を竦めつつそう締めくくった。
街の南半分の霧を晴らしたおかげで、この辺りの地下に至ってはHPの減少は完全に無くなった。
それについて現地人たちはかなり安堵していた様子であったため、多少なりとも急いだ甲斐はあったのだろう。
とはいえ、まだ何も解決はしていないのだが。
先ほど剣の破壊地点を確認していたブラッゾは、しかしすぐにそれを設置し直すということは無かった。
《奪命剣》によるものであるとは考えていたため、下手をしたら即座に設置し直される可能性もあったわけだ。
尤も、それでは攻略のしようも無くなってしまうのだが。
「つまり、残りは北側の霧の除去と、伯爵級悪魔との直接対決だ」
「……それが本当に可能なのか?」
「まあ、厳しいことは否定できないけどな」
地下通路のない北側の霧の除去、そして少数での伯爵級悪魔との戦闘。
どちらも厳しい条件だ。こちらに使える手札は少なく、相手ばかりが有利な状況。
しかし、その両方を成さなければ勝利にはならない。面倒な状況であると言わざるを得ないだろう。
備え付けられていたベンチの背もたれに思いきり身を預けつつ中空を仰ぎ、俺は深々と溜息を零す。
「だが、それが勝利条件だ。無茶だろうが何だろうが、やるしかないってわけだな」
「けど先生、強引に行こうとしたって無理な状況ですよね?」
「まあな……」
仮に、強引に霧の排除を実行したとしよう。
方法としては、セイランに乗って全速力で剣の元へと向かい、破壊すると言ったところか。
その場合、一つ破壊することもできるかもしれないが、次に移動するまでにブラッゾに捕捉されてしまうだろう。
そうなれば、完全に霧は晴れていない状態で、奴と戦闘することになってしまう。
一つだけならまだマシなのかもしれないが、高い自己回復能力を有したままの伯爵級は厳しい相手であると言わざるを得ないだろう。
「強引に一つ破壊して、その状態でブラッゾと戦闘に入った場合……まあ逃げようと思えば逃げられるだろうが、奴は確実に残る一つの防衛に専念する筈だ」
「そうなると、その一本は伯爵級と戦いながら隙を見て剣を壊さないといけないわけですか。流石に、達人を相手に一時的にでも目を離すというのは……」
「まあ、致命的だな。俺ならそんな隙を逃がすことはあり得ない」
達人同士の戦いとはそういう物だ。
ほんの一瞬でも隙を見せれば付け入られる。これまでの他の悪魔ならまだ何とかなったかもしれないが、ブラッゾ相手には無理だろう。
故に、剣の破壊とブラッゾとの戦闘を同時並行で行うことは却下せざるを得ないのだ。
街の住人達と話しているアリスとルミナの姿を遠目に眺めながら、俺は視線を細めつつ声を上げる。
「だからこそ、ブラッゾには捕捉されずに剣を破壊しきる必要がある」
「……無茶じゃないですか?」
「話に聞く限りではあるが、とてもではないが可能には聞こえないのだが」
「そうだな……まあ、賭けに出るしかないだろうよ」
俺の言葉に、緋真が嫌そうに顔をしかめる。
まあ、その気持ちも分からないわけではない。伯爵級を相手に賭けに出るなど、正気の沙汰ではないだろう。
だが――生憎と、それ以上に良い手も思いつかないのは事実だ。
「遠目に確認した感じからして、残る霧の発生源は二つだろう。ブラッゾは、恐らくその中間あたりで待ち構え、俺たちが現れた方に攻撃を仕掛けてくると予想できる。だが、奴は配下を連れておらず、敵となるのは奴一人だけだ」
「……クオン殿、貴公は隊を二つに分けようというのか?」
「ほう? 流石は騎士様、その辺は頭の回転が速いな」
セイリアの言葉に、俺はくつくつと笑みを零しながら同意する。
ブラッゾの最大の弱点は、敵が奴一人しかいないということだ。
奴には配下の悪魔――低位の爵位持ちやデーモンナイトどころか、通常の悪魔共すら存在しない。
そこにこそ付け入る隙がある。奴は、同時に二つの状況に対処できないのだ。
「まずは俺がセイランに乗って突撃する。全力で移動して霧の発生源を破壊、そこでブラッゾを待ち構えて迎撃する」
「……その間に、私たちがもう一方の剣を破壊するってことですか?」
「幸い、お前も《斬魔の剣》は使えるからな。《蒐魂剣》ではないが、あれを破壊することは可能だろう」
「けど、その間先生は一人であの悪魔を足止めするんですか?」
「セイランもいるからな。厳しいが、無理ってわけじゃないだろう」
恐らく、倒すことは不可能だ。多少HPの回復量が下がっていたとしても、伯爵級悪魔の体力は膨大であり、常時回復し続ける相手を削り切れる自信は無い。
だが、それでも時間稼ぎをするだけならば何とか可能だろう。
確実ではないが、そのための切り札もあることだしな。
「俺が突入したしばらく後、俺が合図した所でお前たちが突入する。もう一つの剣を破壊して――そこからが、ブラッゾとの本当の勝負だ」
「……確かに、賭けですね。ネックになるのは先生が剣を破壊するまでにブラッゾと当たらないかどうかと、その後時間稼ぎができるかどうか、ですか」
「言ってくれるもんだな。だが、前者に関してはその時点で撤退すれば済む話だ。そこならまだ仕切り直しできる段階だからな」
つまり、最大のネックとなるのは時間稼ぎだ。
伯爵級悪魔を相手に、しかも《奪命剣》の使い手を相手に時間稼ぎなど、正気の沙汰ではないのかもしれない。
だがそれでも、やるしかないのだ。少数の俺たちに打てる手は少なく、故にリスクを背負ってでも事を成さなければならない。
「……済まない、我々も手助けできればよいのだが」
「現地人と異邦人ではリスクが違うんだ。それに関して、あんたたちが無駄なリスクを背負う必要はないさ」
「そうですよ。任せておいてください、悪魔たちを狩るのが私たちの役目ですから」
真剣な面持ちでそう口にする緋真の表情の中には、ある種の使命感のようなものがあった。
まあ、あんな話を聞いた以上は、悪魔に対する意識が変わるのも無理はないだろう。
尤も、それに関して俺は全く変化がないわけだが。
(いや……むしろ、前以上にか)
以前から悪魔共は気に入らなかったが、今や奴らは俺にとって不倶戴天の敵だ。
決して許すつもりも、逃がすつもりも無い。必ず殺す――それこそが、かつて倒れた戦友への、そして今倒れている人々への手向けだ。
と、内心で戦意を滾らせる俺に、緋真は視線をこちらに戻しながら声を上げた。
「けど、いいんですか先生? それなら、さっさと作戦を開始してもいいんじゃ?」
「奴は元が人間だからな、行動がある意味読みやすい。奴は『次は』と言っていたからな……こちらが剣の破壊に動いたところを狙う気は満々だろう」
つまり、今の奴は手ぐすねを引いて俺たちを待ち構えている状況というわけだ。
その状況でも動けないわけではないのだが、待ち伏せされている所に飛び込むのは中々にリスクが高い。
だからこそ、今は少しばかり時間を置くのだ。
「人間の集中力ってのはそう長くは続かない。少しばかり焦らしてやれば動きも読みやすくなるもんだ。それに、こちらも準備時間を取ることができるからな」
「焦って動くな、ってことですか」
「不利な戦いなら、少しでも有利な状況にして戦え。そのほんの僅かな変化が、勝利をもたらすかもしれんのだからな」
まあ、これに関しては軍曹の受け売りなのだが。
あのおっさんは大胆でありながら姑息でもあり、戦いに際して打てる手は全て打ってくるタイプである。
アルトリウスとはまた違った意味で、相手をしたくないタイプの人間だ。
俺はあの二人のような細かな作戦は立てられないが、多少の真似事ならば可能だろう。
「というわけで、しばらくは休憩だ。あと二時間ぐらいしたら動くから、準備しておけよ」
「なるほど……なるほど? ま、まあ分かりました。とりあえず、しばらくは準備しておきます」
「ああ、そうしておけ」
緋真は俺の言葉に頷き、小走りにアリスたちの方へと駆けていく。
どうやら、今の話をあの二人にも伝えるつもりのようだ。
軽く吐息を零してその様子を眺め――ふと、隣から声がかかった。
他でもない、この場のまとめ役であるセイリアだ。
「クオン殿、貴公は……彼女らを、あまり関わらせたくはないのか?」
「何を言っている? 作戦については、先ほど言った以上のことはないつもりだが?」
「件の剣とやらを破壊するのは、緋真殿だけでも可能なのだろう? であれば、もう一方の剣に向かうのは彼女だけでも済むはずだ」
それについては確かにその通りであるため、彼女の言葉に対して小さく首肯する。
成程確かに、危険な伯爵級を相手に俺とセイランだけで挑むよりは、ルミナとアリスを戦力として加える方が妥当だろう。
特に、回復魔法を持つルミナは重要な存在だ。共に戦った方が生存確率が高いことも事実である。
だが――
「ちょっとした理由があってな。しばらくは一対一で戦いたいんだ。だから、セイランにもあまり手出しをさせるつもりはない」
「何だと……?」
尤も、負けるつもりも無いので、危険な状況になったらセイランに横槍を入れて貰うつもりではあるのだが。
しかしながら、これに関して詳しく説明することはできない。
久遠神通流の秘技であるし、そもそもあれは説明しても殆ど理解されない内容なのだ。
何と説明したものかと言い淀む俺に対し、セイリアは何故か納得した様子で何度も頷いて見せた。
「そうか……やはり、年端もいかぬ少女を戦場に出したくはないのだな」
「……お前さん、何でそっちに行くんだ?」
「皆まで言わずとも分かる。彼女たちは護り、愛で、育てるものだ。危険に晒すなど以ての外だとも……安心したぞ、貴公も分かってくれたようで何よりだ」
「…………」
こいつが騎士でいいのだろうかと周囲を見渡し――誰も視線を合わせようとしないことに、俺は深く溜め息を零したのだった。





