264:隠れ家
メールで送られてきたマップの目印の場所は、路地裏の奥まった場所にある行き止まりだった。
周囲の建物には特に入口らしいものは見つからないが、どこに入ればいいかは既に伝えられている。
「しかし、地下に隠れ家とは……お約束と言うか何と言うか」
路地裏の突き当りにはマンホールがある。
どうやら、あそこから地下に入ることで、ここの住人たちの隠れ家に辿り着くことができるようだ。
まあ、確かに霧も入り込みづらく、姿を隠すにも効率的な場所であると言えるだろう。
石蓋の縁に手をかけて持ち上げれば、その下に地下へと続く梯子が姿を現す。
その強度を確認し、穴の内部へと入りつつ石蓋を元通りに戻した。ガッチリと嵌った感触があったし、恐らくはこれで問題ないだろう。
「仕方ないことだが、やっぱり暗いな」
霧に包まれているせいで元々薄暗い状態ではあるのだが、光の届かぬ地下はそれにも増して暗い場所となっている。
だが、下まで辿り着けば、ところどころに供えられた光源のお陰で最低限の光は確保できていることが分かった。
成程確かに、人の手が入った領域であるらしい。
そんな薄暗い通路の先から現れたのは、安堵した表情を浮かべた緋真の姿であった。
「待ってましたよ、先生。大丈夫でしたか?」
「ああ、問題はない。尤も、やるべきことは山積みだがな」
あの悪魔を倒すためには、まずこの街を包む霧をなんとかしなくてはならない。
最悪結界はこのままでもいいが、霧だけは何とかしなくては、奴を倒すことはできないだろう。
その辺の詳しい話は後でいいとして、まずはこの場についての話を聞いておかなくては。
「思ったより大規模な施設だが……これは元々街で利用していた施設なのか?」
「そうですね、緊急用の避難所らしいです。本来なら街の外まで続く通路もあるんですが……そこも結界で塞がれていましたね」
「地下まで包んでるのか。そこまで真面目に仕事をせんでもいいんだがな」
緋真の言葉に軽く嘆息を零しつつ、案内に従って地下道を歩き出す。
光源は松明ではなく、ぼんやりと光る宝玉のような物体だった。
まあ、内部を見通せるのならば何でできていても気にはしないのだが。
「下水道……ってわけじゃないんだな」
「私も最初はそう思いましたけど、水は通ってないですしね。そんな感じの溝もありませんし」
俺たちが歩いている場所は、純粋な地下道のような形状をしている。
一応、地上からの雨水を流す場所として壁際に溝が掘られているが、精々がその程度だ。
地下鉄の通路を歩いているような感覚に、困惑の念を隠しきれずきょろきょろと視線を巡らせる。
そんな俺の姿に、緋真は苦笑を零しつつ声を上げた。
「何だか、時々時代錯誤ですよね。こんな地下エリアを作れるなんて」
「魔法なんてものがあるからな、あまり気にしすぎるものでもないが……何にせよ、こういう場所があったのは好都合だな」
ブラッゾの行動方針上、あまり積極的に人間を狩りに動いてくるとは考えづらい。
こういった隠れ家まで襲いに来るということはないだろう。
尤も、俺たちがいる場合はその限りではないかもしれんし、あまり油断もできないのだが。
「……長居するわけにもいかんな。方針を決めたら、とっとと動くとするか」
「ですね……と、着きました、ここです」
通路の先にあった鉄の扉を示し、緋真は笑う。
随分と重そうな扉ではあるが、開けないということはないだろう。
緋真は扉を軽くノックし、体重をかけて鉄扉を開く。その先に現れたのは――幾人もの人々が集う、広い空間だった。
相変わらず薄暗いため奥まではあまり見通せないが、どうやらここはロビーのような空間であるらしい。
奥にはいくつかの扉があり、恐らくその先が居住空間となっているのだろう。
「思ったより広いな」
「ですよね、私も驚きました。あっちにここの代表の人がいるので、その人の話を聞きましょう」
言いつつ、緋真は部屋の奥を示す。
そこには、アリスとルミナ、そして恐らくは騎士の隊服と思わしき衣装を纏った女性の姿があった。
セイランの姿がないが、流石にあの巨体でこの地下に入ってくることはできなかったのだろう。
従魔結晶となってルミナが回収しているはずだ。
彼女たちも扉が開いたことで俺たちが入ってきたことには気づいていたらしく、何やら苦笑交じりの笑顔でこちらを見つめている。
その表情の意味が分からず困惑していると、代表らしき女騎士が、つかつかと足音を立てながらこちらに近づいてきた。
「貴公がクオン殿……彼女たちのリーダーでよろしいか?」
「あ、ああ。その通りだが」
「つまり……この年端もいかぬ少女を戦わせているのは貴公ということか!」
何故か突如として憤慨し始めた女騎士に、俺は半眼を浮かべながらアリスを見つめる。
だが、彼女は肩を竦めながら首を横に振っただけだった。
どうやら、一応説明はしたようだが、納得してくれなかったらしい。
「……アリスは俺より年上なんだが?」
「世迷言を! 小人族ならばともかく、魔人族でそのようなことがあるものか!」
まあ、身長に関して言われていることは否定できないのだが……彼女は果たして、背後で苛立った表情を浮かべているアリスに気づいているのだろうか。
正直な所、機嫌の悪いアリスは俺でも背中には置きたくない相手なのだが。
軽く嘆息し――視線を細め、彼女へと告げる。
「この街の騎士とお見受けするが、名乗りもせずに恫喝するのがここの騎士のやり方なのか?」
「ぬ……」
「異邦人の外見なんざ、簡単に変えられる程度のものでしかない。妙な所を気にして本質を見失うなよ」
「っ……そうだな、すまない。騎士としての礼儀を失うわけにはいかないな」
色々と言いたいことはありそうな様子であるが、とりあえず矛は納めてくれたらしい。
とはいえ、まだきちんと納得はしていない様子であったが。
ともあれ、これで何とか話を聞くことはできそうだ。
「私の名はセイリア。このラビエドを任地とする騎士だ」
「任地、ということは中央の所属か?」
「その通りだ。このような事態となってしまったが、我が忠誠は未だ聖王家にある」
正直な所、その辺りの事情にはあまり興味がないのだが。
とりあえず、彼女の素性についてはあまり重要ではない。知るべきは今の状況だ。
「状況を知りたい。緋真からは、あの悪魔は突如として現れて街を霧で覆った、という話だけは聞いている。だが、全く抵抗しなかったというわけでもないんだろう?」
「当然だ。我ら騎士は、住民を逃がしつつも懸命に奴と戦った。しかし……」
俺の問いに対し、セイリアは整った顔を曇らせる。
今の状況を見れば当然ではあるのだが、やはりこの街の騎士たちは敗れていたようだ。
とはいえ、騎士たちとて木偶の坊ではない。ただ茫然と突っ立って負けたということはないだろう。
「一体何があった? 相手は伯爵級とはいえ一体、騎士たちとて後れを取ることはないだろうに」
「無論だ。だが……奴の放った黒い風。あれを浴びたものは、瞬く間に枯れ木のように痩せ細り、最期には塵となって消滅してしまったのだ」
その内容には心当たりがある。
まず間違いなく、《奪命剣》のテクニックたる【咆風呪】だろう。
広範囲に広がる防御無視の攻撃だ。通常、威力だけで見ればそこまでではないのだが、奴の《奪命剣》の習熟度は俺のそれを遥かに超える。それほどの威力を発揮できたとしても不思議はないだろう。
尤も、《奪命剣》については伝えづらい内容であるため、そこは口を噤むことにするが。
「成程……数で攻めると逆に不利になるか。これは、アルトリウスに応援を頼むというわけにもいかないな」
半ば分かっていたことではあるが、ブラッゾ相手に数で押すことは悪手であるとしか言えないようだ。
《奪命剣》は相手のHPを奪う攻撃だ。数が増えるということは、それだけ奴に回復の手段を与えてしまうということでもある。
純粋なステータスのみで言えば、これまで相手にしてきた伯爵級の方が上だろう。
だが、ブラッゾの場合はできる限り少数で挑まなければならないという制約がある。
どちらが厄介であるかなど、言うまでもないことだ。
「まあ要するに、俺たちが倒すしかないってことか」
「結局いつも通りじゃない。それで、どうするの?」
「とりあえず、霧を何とかしないことには始まらん。霧を晴らす方法を探る必要があるな」
あれがある限り、奴の体力を削ることはできない。
何とかして霧を排除しなければ、勝機は無いと言えるだろう。
つまるところ――
「奴の目を躱しながら街を調査し、霧の発生源を除去する。これが最低条件だ」
「……正直、厳しいんじゃない? 見つかる都度に貴方が足止めするの?」
「最悪そうなるがな。奴は剣の腕も達人級だ。俺以外では奴から逃走するのは難しいだろう」
達人級の剣術と強力なスキル。それを少数で相手しなければならないというのは中々に無茶な条件だ。
しかも、現状では同じ土俵の上に乗ることすらできていない。
何とかして、奴を引きずり落とさなければならないだろう。
そんな俺たちの相談を聞いていたセイリアは、ふと何かを思い出したように顔を上げると、近くにある机へと接近した。
机の上に置かれているのはこの街の地図だろうか。彼女は、その内の一点を示しつつ、真剣な面持ちで声を上げた。
「街に出て、生還した者から報告があったのだ。一部の地区に近づくと、霧がより濃くなること。どうやらその辺りでは、他の地区の倍近く濃い霧が発生していたらしい」
「それがこの辺りだと……ふむ、街の南東部か」
自らのマップと照らし合わせ、場所を確認する。
急激に霧が濃くなる地区となれば、何かしらの仕掛けがある可能性は否定できない。
調べてみる価値はあるだろう。当然危険はあるだろうが、当てもなく探すよりはよほど有意義だ。
「方針は決まったな。まず、このエリアに行ってみるとしようか」
「うむ……だが、危険なのでアリス君は置いて行った方が――」
若干気持ちの悪い顔で妙なことを言い始めたセイリアに半眼を向ける。
こいつまさか、騎士がどうたらという話ではなく、個人的な趣味でそういうことを言っているんじゃないだろうな?
全員から冷めた目線を向けられつつある女騎士はスルーしつつ、俺たちは出立の準備を進めたのだった。