253:AIの発展
「当初、AIは状況に応じて決まった動作を行うだけの簡単な物でした。今のような人間的な受け答えをするわけではなく――と言うより、そもそも喋ることもできない機械のようなものでした」
「まあ、そりゃそうだろうな。最初からあんなAIを作れたとか言われても眉唾だ」
思い起こすのは、ゲーム内で交流したAI――現地人の姿だ。
彼らは笑い、泣き、怒り……人間と何ら変わりのない情動を示している。
人間と比較しても、まるで差を見受けられない、冗談のような完成度のAIたちだ。
「元々箱庭計画はシミュレーションを行うためのものです。箱だけ作っても、肝心の検証を行えないのでは意味がない。それ故、AIの作成はより人間に近い情動を持つAIを作り上げる方向に向かいました」
「その成果が、今のAIたちってことね」
「結論を言ってしまえばその通りですが……そこに至るまでに、ある大きな問題が発生したんです」
逢ヶ崎のその言葉に、俺は僅かながらに視線を細める。
彼にはあまり見られない、嫌悪感を交えた溜息。この様子からすると、俺たちを呼び出した理由である相談事は、そこに関連があるように思える。
はたして、そこで何が起こったのか。胸中で呟きつつ、俺は逢ヶ崎の声に耳を傾けた。
「基底となるAIを作成し、情報を学ばせ、AIは少しずつ人間の感情を学習していきました。と言っても、言葉で言うほど簡単な話ではなかったのですが……そこの試行錯誤については割愛します。とにかく、祖父たちの尽力の結果、赤ん坊のようなAIが完成したわけです」
「ふむ……つまり、そいつに色々と学ばせていけば、人間と変わらぬ感情を持ったAIになると」
「簡単に言ってしまえばそんなところです。そして――そこで、意見が対立しました」
逢ヶ崎の声が、硬く低い物へと変わる。
どうやら、そこが大きな問題であるようだ。
「AIの育成法に関し、二つの意見が出ました。一つは、人間と同じように段階を追って情報を学ばせ、少しずつ育てていこうという物。この意見を主張していたのは僕の祖父、逢ヶ崎竜一郎です」
「まあ……安牌というか、分かり易い方法じゃない?」
「祖父は、感情を芽生えさせ始めたAIを、人間のように扱おうと主張していました。ただの物や機械ではなく、一個人として認めるべきだと」
「今の状況を見ると分からんでもないが、当時は中々に難しい意見だったんじゃないか?」
元々シミュレーションに使おうとしていたものだ。
言い方は悪いが、最悪使い捨てにするような扱い方すら想定されていただろう。
それを個人として扱おうと――しかも、計画を主動していた人間がそれを主張するなど、正直な所中々信じられる話ではない。
しかし、逢ヶ崎は苦笑しつつ首を横に振った。
「確かに、国はあまりいい顔をしなかったようですが……研究者が主動となって行われていた計画です。彼らにとって、AIたちは自分たちの子供にも等しい存在でした。AIを大事にしたいという思いは、計画メンバーの大半が共有していた想いだったんです」
「自分たちで作ったものだから、大事に扱いたいと……まあ、それも理解できるわね。けど、もう一つ意見があったんでしょう?」
江之島の言葉を受けて、逢ヶ崎は一度瞑目する。
それは言葉を吟味しているというよりも、内側にある苛立ちを抑え込もうとしているかのようだった。
事実、彼が再び口を開いた時、出てきたのは酷く固い声音であった。
「『人間は、より困難な状況下でこそ団結し、進化する。それはAIでも同じこと』――そう主張したのが、マレウス・チェンバレンという女性でした。彼女は祖父の意見と真っ向から対立し、決して譲ることはなかったのです」
逢ヶ崎が口にした、その言葉――マレウスなる女の主張に、思わず顔を顰める。
人間という存在を妄信し、勝手な幻想を押し付け、自分が正しいと信じて譲らない。
まるで、あの塵共のようであると、直感的にそう感じてしまったのだ。
どうやら逢ヶ崎もその意見は気に入らないらしく、声音を固くしたまま続ける。
「結果的に、どちらがより多く、多様で優れたAIを育成できるか検証することとなりました。そして、祖父のチームはそれまで通り、手順を変えることなくAIを育成し……価値観や応答の異なるAIを数十人育て上げることに成功しました」
「順当だな。それで、そのマレウスとかいう女はどうなった?」
「……彼女の育成方針の結果、僅か四人のAIを残し、他は全滅しました」
思わず、舌打ちを零してしまう。
所詮はAIだと言ってしまえばそれまでだろう。だが、ゲームの中で交流してきた相手だと思ってしまうと、それを簡単に断ずることはできなかった。
気に入らない――実に気に入らない人物だ。
「無論のこと、箱庭計画の目標はあくまでもシミュレーションです。マレウスの育てたAIは確かに優れた人格を保有するに至りましたが、多様性が求められている状況でそれが受け入れられることはありませんでした」
「それで、お前さんの爺さん……逢ヶ崎竜一郎の方針が主流となったわけか」
「はい。マレウスはAI製作のチームからは外され、箱庭の作成側に回されました。まあ、持っている技術自体は非常に優れたものでしたので、計画から除籍となることはありませんでしたが……」
この表情、言外に『そこで外しておけばよかったものを』と言っているように感じられる。
この男にしては珍しいことに、一個人に対する嫌悪感という物を隠そうとはしない様子であった。
祖父が敵対していた相手だから、ということだろうか。しかしそれにしては、嫌い方が尋常ではないようにも思えるのだが。
俺としても正直気に入らない人物像だが、果たして逢ヶ崎が一方的に嫌う理由とは何なのか。
「ともあれ……そうして祖父の主導で進むこととなった箱庭計画は、徐々にシミュレーション以外にも利用されるようになりました。ダイブシステムを利用した軍事、医療訓練などが先駆けでしたが、やがて娯楽にも活用されるようになったわけです」
「インターネットとかもそういう感じでしたよね、確か」
「ええ、同じような流れではありますね。より高度な技術ではありましたけど」
明日香の言葉に対し、逢ヶ崎は鷹揚に頷く。
だが、その反対側で、江之島は何やら難しい表情で沈黙していた。
どうやら、何かしら引っかかっている所があるようだが――それを問い詰めるよりも先に、逢ヶ崎が話を続ける。
「AIによって行われるスポーツの観戦もありましたね。希望者を募り、自分自身のコピーを箱庭内に作り上げて生活している様子を観察する、なんていうサービスもありました」
「ッ……!?」
その言葉に、江之島は目を見開いて顔を上げる。
正直な所、今の言葉にはまるで心当たりがなかった。
計画に関連したメンバーや、一部上流階級のみに公開されたサービスか何かだったのだろうか。
まあ、計画自体が秘密の物であったようだし、それは仕方のないことであるが。
「そして、現実ではあり得ないような世界を作り上げ、その中に入り込んで遊ぶロールプレイングゲーム――『MT』を始めとするゲームも生まれました」
「ふむ……それで今の形になったわけか」
「いいえ……ちょっと待って、待ちなさい」
江之島が、額に手を当てて顔を半分隠しながら、身を乗り出して声を上げる。
俺の言葉を遮った声の内側にあったのは、焦燥と恐怖をない交ぜにしたかのような色だ。
彼女の尋常ならざる様子に驚きながらも、その言葉には口を挟まず続きを待つ。
江之島は――問い詰めるように語感を強くしながら、逢ヶ崎へと向けて声を上げた。
「聞いたことが無い……そんな話、聞いたことが無いわ。MT以前にいくつかのゲームがあったことは事実だけど、スポーツの観戦や箱庭内の観察なんて、私の情報網にも引っかかったことはない。けど、貴方の語り口に嘘を感じることもできなかった――どういうこと? 逢ヶ崎、貴方は何を知っているの?」
「……貴方の知らない所で行われていた、とは思いませんか?」
「そんな大規模な動きがあれば、どこかに必ずひずみが生じるわ。それを見つけられないほど、私の情報網は穴だらけじゃないわよ」
額から手を外し――江之島は、じろりと逢ヶ崎の顔を睨みつける。
それは彼女の自負であり、誇りでもあるようだ。
江之島が自信をもって断言する以上、その情報網の力は強いのだろう。
だがそれでも、彼女は箱庭計画の影を掴むことができていなかった。
機密のプロジェクトだったから、という割には逢ヶ崎の説明はかなりオープンなものだったように思える。
だとすれば、逢ヶ崎の言葉が嘘だったのかと考えるところだが、生憎とコイツの語り口の中に嘘の気配を察知することはできなかった。
江之島自身、そのように感じているのだろう。だから混乱しているのだ――本来あり得ない筈のことを、あったと断言する逢ヶ崎に対して。
逢ヶ崎は軽く嘆息し――薄く笑みを浮かべながら、声を上げる。
「久遠さん、江之島さん、本庄さん、東雲さん」
逢ヶ崎は、一人一人名前を呼ぶ。
状況に付いて行けず、事の推移を見守っていた明日香と亜里沙は共に背筋を伸ばし――俺と江之島は、コイツの一言一句を逃さぬように身を乗り出す。
こいつが口に出すことは、きっと危険な何かだろう。
軍曹が片鱗を掴み、けれどまともに説明することができなかったもの。
それは――
「皆さんは……世界が既に滅んでいると言ったら、信じられますか?」
――とてもではないが、鵜呑みになどできるはずのない言葉から始まったのだった。





