250:公爵級悪魔
ディーンクラッド――バルドレッドが口にしていた、この地に蔓延る悪魔の首魁。
その名を耳にした瞬間、俺は即座に相手へと向けて足を踏み出した。
歩法――縮地。
餓狼丸に手をかけたまま、滑るように相手へと肉薄する。
殺気もない、穏やかな表情の優男。しかし、それを相手に加減をすることなどあり得ない。
石碑の結界内ですら平然と活動している――こいつは、間違いなく危険な化物だ。
「《練命剣》、【命輝閃】ッ!」
鞘の中から黄金の輝きが漏れ出す。
それと共に、強く地を踏みしめた俺は、棒立ちしているディーンクラッドの首へと向けて全力の一閃を撃ち放った。
斬法――剛の型、迅雷。
撃ち出す様に放つ、神速の居合。その一閃は、狙い違わずディーンクラッドの首筋へと吸い込まれ――それを断ち斬ることなく動きを止めた。
「――――ッ!?」
防御も、回避もしていない。ただ棒立ちしていただけのこの悪魔は、俺の本気の一閃を受けて、僅かに血が滲むかどうか程度のダメージしか受けなかったのだ。
そして攻撃を受けたディーンクラッドは僅かに目を見開き、笑みを浮かべ――
「――素晴らしい」
「ぐッ!?」
――無造作に、腕を振り払った。
恐ろしく速いその一撃に、俺はギリギリで反応して後方に跳びながら餓狼丸で防御する。
しかし、ディーンクラッドの攻撃が餓狼丸に衝突した瞬間、俺の体はまるで自動車に撥ね飛ばされたかのような衝撃と共に、後方へと弾き飛ばされていた。
そのまま周囲の野次馬を巻き込みつつも何とか体勢を保ち、地面を擦りながら勢いを殺す。
だが、その俺の眼前へと、黒い魔力の弾丸が迫っていた。
「『生魔』ァッ!」
しかし、弾き飛ばされている最中でも、奴の魔力が高まっている気配は感じ取ることができた。
回避もギリギリで間に合っただろうが、ここで避けてしまえばディーンクラッドの魔法は後ろの人々に直撃する。
故に、ここで迎撃するしか道はないのだ。そう判断し、俺は迫る魔法へと向けてあえて強く足を踏み出した。
斬法――剛の型、白輝。
全力を以て振り下ろす神速の一閃。
しかし、その一撃がディーンクラッドの魔法に直撃した瞬間、刀を弾き飛ばされそうなほどの衝撃が俺の腕を襲った。
無造作に放った魔法とは思えぬほどの威力。しかし、ここでその重さに飲まれるわけにはいかない。
「オオオオオオッ!」
踏み込んだ足を捩り、腰を連動させ、切っ先にまで勢いを伝播させる。
その一閃は――刃を弾かれるよりも早く、闇の弾丸を両断していた。
消滅していく魔法の傍で、呼吸を整えながら構える。そんな俺の胸中にあるのは、否定しきれぬ戦慄であった。
軽く払ったような反撃、そして魔法の相殺。《練命剣》によるHPの消費もあるが、それだけで俺のHPはほぼ尽きかけた状態となってしまったのだ。
幸い、ディーンクラッドは次なる攻撃動作に移る様子はない。俺は急ぎ取り出したポーションでHPを回復しつつ、相手の様子を観察した。
急所に対し、全力で強化した一閃を叩きつけた。
それにもかかわらず、ディーンクラッドが負ったダメージはほぼ皆無である。
首筋には僅かに血が滲んでいたが、どうやらその傷も塞がってしまったようだ。
圧倒的に攻撃力が足りていない。現状、餓狼丸を解放することはできないが、果たしてそれでもまともにダメージが与えられるかどうか。
苦い表情を隠しきれずにいる俺に対し、ディーンクラッドは先ほどと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべながら、まるで友に話しかけるかのように声を掛けてきた。
「成程、話に聞いていた通りだ。素晴らしい……君は実に素晴らしい、魔剣使い君」
「……何のつもりだ」
「純粋な賞賛だよ。今の君の攻撃力では、僕にダメージを与えられる筈がなかった。そして、僕の魔法を相殺できる筈もなかったんだ。にもかかわらず、君は成し遂げた……それを成したのは、君自身の技の冴えがあったからだ。これを賞賛せずに、何を称えるというのか」
驚くべきことに、この悪魔は、俺たちに対して一切の敵意を抱いていなかったのだ。
種族的な性質か、これまでの悪魔は揃って人間に対して強い敵意を抱いていた。
だが、この悪魔はそれとは異なり、純粋にこちらのことを賞賛していたのである。
この悪魔は一体何だ。絶大な力を持っていながら、何故こんな真似をしているのか、それが理解できない。
「顔を見に来て正解だった。君のような素晴らしい人間が来てくれたことは、僕にとって何よりの幸運だ」
「何を言ってやがる。俺はテメェの部下を一人斬った訳だが?」
「それは戦いの果ての結果だよ。君が勝ったのであれば、それは当然のことさ。部下の仇云々と、君の技量を称えることはまた別だろう?」
笑顔で手を叩くディーンクラッドに対し、俺は言い知れぬ不快感を覚えていた。
理解できない感情というのもある。だがそれ以上に――こいつの喋り方が、何か引っかかるのだ。
話術という話ではない。何か既視感があるような、そんな感覚を覚えているのである。
正直な所、斬りたくて仕方がないが、今の俺に倒し切れる相手ではない。それに加えて、周囲に他のプレイヤーも現地人も多すぎる。ここで大規模な戦闘を行うわけにはいかない。
殺意を抱きながらもそれを表面化はさせず、俺は改めて声を上げた。
「で……悪魔共のリーダーが、自ら敵情視察ってことか?」
「それもあるね。君たちの姿は一度確認しておきたかった」
アルトリウスが指示を飛ばし、周囲から現地人たちを避難させている。
だが、まだまだ時間はかかりそうだ。それに避難が完了したとして、果たしてここにいるプレイヤーで総攻撃をかけてダメージを与えられるかどうか。
千載一遇の機会であることは間違いないというのに、追い詰められているのはこちらだ。
それでも刃の切っ先をぶらさぬようにしながら、奴の一挙一動に注目する。
「でも、それはついでの部分だ。君に本当に会えるかどうかは分からなかったからね」
「……ならば、本当の目的は何だ」
「ああ、単純な目的だよ。ここには、聖女と呼ばれる人間がいるんだろう?」
歩法――烈震。
その言葉を聞いた瞬間、俺は即座に地を蹴ってディーンクラッドへと突進した。
突き出す刃は、奴の瞳へと向かって一直線に伸び――差し込まれたディーンクラッドの掌によって受け止められた。
相変わらず、何かの魔法を使ったような気配はない。純粋に、肉体の頑丈さだけで受け止められてしまったのだ。
「君たちがバルドレッドやセルギウスを倒したことで、僕の完全顕現までの時間が伸びてしまった。けれど、それもまた一興――しかし、あまり楽にしてしまうのは面白くないだろう?」
ディーンクラッドが掌を顔の前に置いた瞬間、俺は塞がった視界を利用してティーンクラッドの死角へと回り込む。
触れた脇腹から叩き込むのは、内臓に響く衝撃だ。
打法――寸哮。
叩き付けた衝撃は、しかしディーンクラッドの体を僅かに揺らした程度。
興味深そうに目を見開いたディーンクラッドは、そのまま俺へと向けて回し蹴りを放ってくる。
その一撃を、俺は体を屈めて回避しながら奴の軸足へと向けて一閃を放った。
「『生奪』……ッ!」
だが、その一撃は奴の肉体どころか、その服にすら傷一つ与えることはできなかった。
体にしろ服にしろ、一体何でできていやがるのか。
俺は左手を地につき、右手で太刀を振り抜いた勢いを利用して回転、そのまま後方へと宙返りして距離を取る。
瞬間、無数の攻撃がディーンクラッドへと殺到した。
ローゼミアはプレイヤーからの人気が高いのもそうだが、貴重なスキルを取得するクエストを発行している人物でもある。
多くのプレイヤーにとって、彼女は絶対に失ってはならない人物なのだ。
無数の攻撃が直撃し、ディーンクラッドの身が粉塵に包まれる。
「だから――僕が完全顕現するまでの間、彼女を招待することにしたんだ」
「ッ、『生魔』――」
刹那――黒い衝撃波が、ディーンクラッドを中心として発生した。
反射的に《蒐魂剣》の刃を振り下ろしたが、その重さは先ほどの魔法の比ではない。
巻き込まれた俺は、成す術無く後方へと向けて吹き飛ばされることになった。
「がは……ッ!?」
露店を巻き込み、建物の壁に叩き付けられ、地面に崩れ落ちる。
それでも完全に倒れることは認めず、地面に刃を突き立てながら立ち上がり、ディーンクラッドの姿を睨み据えた。
粉塵を晴らした奴は、一切のダメージを受けた様子もなく、涼やかな笑みのままに声を上げる。
「一月後、僕は完全なる顕現を果たす。その時まで、君たちの聖女の安全は保障しよう」
「貴、様……!」
周囲のプレイヤーは多くが死に戻りしており、《聖女の祝福》をセットしている者たちが辛うじて生き残っている状況だ。
俺と同じように魔法を迎撃した緋真は辛うじて生きているが行動不能、護りの懐刀を使ったアリスは無傷だが下手に仕掛けられる相手ではない。
そして――ルミナとセイランは、成す術無く死に戻り、従魔結晶と化してインベントリに収まった。
そのことに腸が煮えくり返る思いを感じながら立ち上がり、餓狼丸を構え直す。
「君たち人間の為すべきことは、それまでにこの僕を討ち果たすことだ。君たちならば、必ずや僕に切っ先を届かせる――そのことを期待しているよ」
HPポーションを飲み干し、空になった瓶を投げ捨てて、蜻蛉の構えに餓狼丸を振り上げる。
やはり、この悪魔はまだ倒し切れない。だがそれでも、一矢報いなければ、そして少しでも情報を得なければなるまい。
大きく息を吸い、飛び込むために深く構え――
「夜明けの光が、暁の闇を払うように――僕は、君たち人間の輝きを信じているよ」
――その言葉に、息を飲んで眼を剥いた。
それは、その言葉は――
「今……何と、言った」
「人間は、試練を経て進化する生き物だ。僕は君たちの可能性が見たい……そう言ったのさ」
それを耳にした瞬間、俺は全力の殺意を目の前の怨敵へと叩き付けた。
僅かに目を見開いたディーンクラッドへ、怒りのままに絶叫する。
「そうか、そういうことかッ! 貴様も同じか、あの塵共と――《払暁の光》のクズ共と同じ言葉を吐くかッ!」
――あの日、あの戦場で。倒れた戦友を嘲笑った、あの塵芥共と同じ言葉を。
この悪魔から感じていた、言い知れぬ不快感の正体を、俺はようやく理解した。
こいつらは同じなのだ。あの戦争で相手をしていた、下らぬ思想を掲げて人々を地獄に蹴落としていた、あのテロリスト共と――!
「ほざいたな塵風情がッ! いいだろう、あの日の、あの戦争の続きだ。貴様ら悪魔は、一人残らず縊り殺す! 俺が……この手でッ!」
熾火となっていた怒りが、業火のごとく燃え上がる。
しかして頭はどこまでも冷静に、冷酷に研ぎ澄まされ、ディーンクラッドへ殺意の刃を向けていた。
ディーンクラッドは、俺の全ての殺気を受け止めながら、それでも笑みを浮かべている。
ただし、その笑みは先ほどまでの微笑とは異なる、戦意を帯びた愉悦の笑みだ。
その顔面へと刃を叩き付けるように、俺は奴の元へと飛び込み――
「――期待しているよ。魔剣使い、クオン」
刃が届く一瞬前に、その姿は掻き消えた。
そしてその一瞬後、街の奥で爆発音が響く。場所は、恐らく聖女を匿っていた建物だろう。
舌打ちと共に、俺は煙が上がる遠方へと視線を向ける。
遠く離れて飛び去ってゆく悪魔の姿は、最早見送るしかない状況だ。
時間が足りない。一秒でも早くあの悪魔を斬るために、まずは状況を確認しなければ。
深く呼吸し、滾る怒りを抑え込みながら、俺は吹き飛ばされたアルトリウスを叩き起こすために移動を開始した。





