219:聖女の護送
悪魔共の襲撃は躱したが、いつ次の悪魔が現れるとも限らない。
そう判断した俺たちは、さっさとローゼミアたちを馬車の中に押し込み、来た道を戻ることとした。
正直、あまり快適な旅ではないだろうが、そこは我慢して貰うしかない。
一応、敵襲についてはルミナとセイランが上空から警戒しているため、早期の発見が可能だ。
再び悪魔の襲撃があったとしても、対処することは十分に可能だろう。
「姫様、あまり顔を出されますと……」
「大丈夫です、アルトリウス様がいらっしゃいますし、外ではクオン様の従魔の方々が見張っていてくださいますから」
一方で、当のお姫様は中々に暢気なものだ。
実際、あの聖堂から殆ど離れたことが無かったというし、そういった反応も仕方ないとは思うが。
尤も、馬車の前面部分は御者をやっているアルトリウスが、背面部分は馬車に乗り込んで足を揺らしているアリスがいるため、警護という意味では十分だ。
まあ、アリスは歩くのが面倒だから乗り込んでいるだけで、ローゼミアと話をする気はあまり無いようだが。
大方、ああいった邪気のない相手は苦手なのだろう。歩幅が小さくて俺たちに合わせて歩くのがきついのは分かるため、特に何か言うつもりは無いが、せめて目深にかぶったフードぐらいは何とかした方が良い。
「思ったより大変じゃなかったですね、先生。お姫様っていうから、もっとこう扱いが難しいものかと……」
「その辺りは俺も警戒していたがな。我儘な女だったらどう扱ったものかとは思ってた。まあ、そのためのアルトリウスではあったんだが」
緋真の言葉に肩を竦めつつ、ちらりと横目にアルトリウスの様子を観察する。
隣から顔を出してきたローゼミアと話すアルトリウスは、実に完璧な対処を行っている。
相手を立てつつ、失礼にならない程度に距離を詰めての談笑。俺には到底真似のできない行為だ。
アルトリウスがそれを自然体で行っているからだろう、ローゼミアの方も安心した様子で会話を行っていた。
このお姫様が世間慣れしていないというのもあるだろうが、よく素性の知れぬ俺たちを信用してくれたものだ。
しかし、このまま何も考えずに帰還するというわけにもいかない。
クエストに記載されているのは、このお姫様をアイラムの街に連れて行くことまで。そこから先の扱いについては考えなければならないのだ。
俺は軽く溜め息を吐き出しつつ、二人の話の合間を縫って声を上げた。
「アルトリウス、先のことについて話をしてもいいか?」
「っと……ローゼミア様のこと、ですね?」
「ああ。姫さん、貴方に関係のある話だが、聞いておくかい? あまり愉快な話ではないが」
「はい、お聞きします。前を向くと、そう決めましたから」
ほんの僅かな恐れと、それでも真っ直ぐとこちらを見つめてくる視線に、思わず笑みを浮かべる。
どうやら、アルトリウスに甘えてばかりというわけでもないようだ。
有言実行だといわんばかりのその姿勢は好ましい。であれば、そのまま話を続けさせて貰うとしよう。
「とりあえず、姫さんをアイラムまで連れて行く、これは確定事項だ。問題は、その後の扱いだな」
「大まかな方針としては二つです。スヴィーラ辺境伯家で預かって頂くか、僕ら『キャメロット』で保護するかですね」
「だろうな……普通に考えれば前者しかないんだが」
俺たち異邦人は本来部外者であり、彼らの国の内情にまで踏み込むべきではない。
これまでの国では、あくまでも外部の協力者として、戦力を提供する形で戦ってきたのだ。
だが、聖女を保護するとなれば話は別だ。下手をしなくても内政干渉、本来であれば俺たちが口出しすべき問題ではない。
「しかし、現在の所スヴィーラ家に――いえ、この国に防衛戦力として導入できる戦力が存在しない」
「戦う力のない人たちに護衛を任せるとか、まあ無茶ですよねぇ」
「目の届かんところで悪魔に襲われても困るからな」
彼らは残った人々を纏め上げるためにローゼミアの威光が欲しいのだろうが、この状況で彼女をそんな目立つ場所に置いておくのはよろしくない。
彼女の安全という観点において、そのまま貴族たちに預けるというのは論外だ。
「しかし、同時に彼らのメンタルも決して無視することはできません」
「……まあ、この状況下だからな。縋りたい気持ちも否定はできんか」
悪魔によって支配され、いつ殺されるかも分からない恐怖に晒されていたのだ。
彼らの心を癒すには、旗印となる聖女が必要だろう。
尤も、彼女を頭に据えて悪魔に反撃するという話であるのならば、それは流石に認める訳にはいかないのだが。
「面倒なことだが……人前に出ざるを得ないことは仕方あるまい。問題は、どうやって警護するかだな」
「そうですね……ローゼミア様、貴方はどうなさりたいですか?」
「私は……」
アルトリウスに問いかけられ、ローゼミアはしばし沈黙する。
彼女としても、判断は難しい所だろう。
女神の神託とやらでこの国の現状については把握していたようであるし、最早戦力らしい戦力が無いことも理解できているはずだ。
そして、先程悪魔が襲ってきたことからも、彼女が悪魔に狙われていることは間違いない。
人前に出るには、大きなリスクが存在しているのだ。
使用人たちが心配そうに見守る中、しばし黙考していたローゼミアは、ゆっくりと言葉を選ぶように声を上げた。
「私は……少しでも人々の不安を取り除きたい。そのために、人々に声を届けたいと……そう思います」
「……ローゼミア様。分かっているとは思いますが、それには大きな危険を伴います」
「承知しております。その上で、伏してお願いいたします――どうか、私を助けて頂けませんか」
その言葉に、俺は思わず眼を見開く。
それはつまり――
「人々の前には聖女として立ち、その護衛は俺たちに依頼する――つまりは、そういうことか?」
「はい……私の存在が少しでも、民の安寧となるのであれば、私はその役目を全うしたい。しかし、今の私たちには、あまりにも力が足りません」
また、随分と難しいことを言うものだ。
護衛は異邦人に任せるとなると、ローゼミアの扱いは俺たちとこの国の貴族たちの共同で行わなければならなくなる。
そうなれば、彼らとの間で揉めることになるのは間違いないだろう。
口で言うのは簡単だが、実行するとなるとそれなりにリスクが大きい、厄介な手だ。
しかし――同時に、理想的であることも間違いない。
「うーむ……アルトリウス、どう思う?」
「難しいとは思います。しかし……同時に、挑戦してみる価値はあるかと」
最大のリターンを求めるのであれば、その体制は決して間違いではない。
人々の不安を取り除く役を聖女に任せ、彼女自身は俺たちの――というより『キャメロット』の手によって管理する。
その二点を得るという、最も望ましい方針ではあるのだ。
問題は、貴族たちがそれに納得するかどうかである。既にほぼ力を失っているとはいえ、彼らにも立場がある。その調整は中々に難しいことだろう。
「……まあいい、その辺はお前さんに任せるとしよう」
「面倒だからって丸投げにしていませんか? 本来、クオンさんのクエストですよ?」
「俺には向かん。それに姫さんの方も、お前さんに世話して貰った方が嬉しかろうさ」
「そっ、それはっ!?」
慌てた様子で手をパタパタと振るローゼミアの姿に、思わずくつくつと笑いを零す。
いやはや、アクの強くない女というのは久しぶりに見た気がするな。
俺の周りにいるのはどうにも個性の強い連中ばかりだ。
そんな連中の一人である緋真は、意外そうな視線で俺のことを見上げていた。
「珍しいですね、先生がそんな配慮するなんて」
「あん? そりゃまあ、口説き落としたのはアルトリウスの方だろう。俺が傍にいるより、よほど慣れているだろうに。それに見目もいいしな」
「……ああ、そういう意味ですか。いや、分かってましたけど」
「何言ってんだ、お前は?」
「こっちの台詞なんですけど、もう!」
何故か憤慨した様子で背中を叩いてくる緋真。
その様子には困惑しつつも額を指で弾いて反撃しつつ、俺は改めてアルトリウスへと向けて声を上げた。
「ともあれ、そういうことだな。姫さんのことは『キャメロット』に任せる。俺はとっとと悪魔を斬りに行ってくるさ」
「構いませんが……一応、こちらからもフォローはしますので、どこに行くのかは教えてくださいね」
「分かってるさ。増援が必要なら連絡する」
「また無茶なことを……一応、他のクランの人々は、聖火の塔の奪還に動いています。街の奪還に動くとしたらその後ですね」
「了解だ。まあ、このタイミングだと他の連中の方が先にどこかの街に到達しそうだがな」
俺たちはこのクエストでそこそこ時間を要してしまったし、時間も時間なのでこれが終わったらログアウトするつもりだ。
その時間を考えると、他のプレイヤーが先に到達している可能性は高いだろう。
それで攻略できているかどうかはさておき、俺たちが一番乗りとはいかない可能性が高い。
まあ、それは仕方ないだろう。別段、都市の攻略を狙っている訳ではないのだ。
俺は強い悪魔を斬れればそれでいいし、都市の解放は誰かに譲ったところで問題はない。
「っと、そうだクオンさん。街に戻ってから少しお時間はありますか?」
「うん? ログアウトするだけだし、別段用事はないが」
「でしたら、少しお付き合いいただけますか? ローゼミア様のお披露目をしたいので」
「お披露目だ? ……ああ、そういうことか」
随分と拙速な話だと思ったが、つまりは既成事実を作りたいということだろう。
現地人と異邦人、両方の前で聖女の姿を晒し、『キャメロット』が彼女を護っているという事実を周囲に知らしめる。
それが全体の共通認識となれば、アルトリウスとしても動き易くなるはずだ。
尤も、あまりやり過ぎるわけにはいかないだろう。今回はあくまで聖女の存在と無事を知らしめ、アルトリウスたちが護衛についている事実を見せるだけでいい。
そしてそれだけならば、あまり大きな準備も必要ないだろう。確か教会の修理はエレノアたちが急ピッチで進めていたし、人が入れる程度にはなっているはずだ。
「お前さんのことだから、既に部下やエレノアたちに連絡はしてるんだろうが……相変わらず、あくどいことを考えるなぁ」
「清廉なだけではいられませんからね。ともあれ……よろしくお願いします、クオンさん」
「抑止力の役割、ってことだろ。構わん、ただ立ってるだけだろうからな」
俺は余計な連中が口出しをしないよう、武器を携えて控えていればいいだけだ。
場合によってはちょいと威圧することがあるかもしれないが、その程度は仕事の内に入らんだろう。
聖女の救出が俺のクエストであるということは周知の事実であるし、俺が立っていた方が説得力もある筈だ。
「また面倒なしがらみが増えてきたが……それはそれで、やりようはあるか」
今までの戦いとは異なる、国に深く入り込んだ上での戦い。
それが果たしていかなるものになるのかと、俺は思わず笑みを浮かべていた。